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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十二章 縁を切りたい女達

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侯爵令嬢ナターシャ・フォン・ブリゼ(1)


 ――だからか。


 それでわざわざフォン・ブリゼが姫様を養女にしたのか。


 悲運の子爵令嬢が乗っていた馬車は、公国筆頭貴族フォン・ブリゼ侯爵家のものだった。公国最上位の高位貴族で、超の付く名門だ。

 公国には公爵家はない。一説には、大公家が不祥の事態を起こせばいつでも降格できるよう公爵位を空けてあるのだと言う。あの王家ならありそうな話ではある。したがって、公国では実質的な貴族階層のてっぺんは侯爵になる。


「二大侯爵家の……ナターシャ・フォン・ブリゼ様、ね」


 しかもフォン・ブリゼは二大侯爵家の片翼を担っている。

ともに遠祖を辿れば北の王家に突き当たるという、名家中の名家である。

てっぺんのそのまたてっぺん、名実ともに公国きっての家格として君臨していた。さらには一代置きに宰相と大公妃を交互に輩出する、公国最重臣でもあった。


 ちなみに、かつては当辺境伯家を加えて『選公三家』と呼ばれた時期もある。

しかしエルンストには他家に嫁に出す娘は生まれて来ない。それに累代の大公は、王国由来の厳格な血統主義で決まったから、次代を選定する余地もほとんどなかった。今では埃をかぶった昔話である。


「そうそう。それ。そうらしいがね!」


 ようわからんけど。ジョシュは無駄に興奮していた。


「ということは、本来の大公妃になられるはずだったナターシャ様のお身代わり。ということなのかしら」


 ゼフィネさんは、絶対に知っていたのだと思う。そも最初から。


「では、現大公の正当な――前の婚約者の代わりに、側妃になれということだったのね? 本当なら今頃、ナターシャ様が今上の大公妃として公宮で大公代行の政務を執っておられるはずだった」


 え? 


「そのナターシャ様の代替が務まると見込まれて、新たに白羽の矢が立ったのが、その中原の子爵家令嬢だったと。そうなのね?」


 ゼフィネさんは何気に過激なことを言っている。

 愚昧な新大公の英明な元婚約者。その名も高き侯爵令嬢ナターシャ・フォン・ブリゼ様。相当優秀な方だったらしいことはイアルとて承知していた。有名だから。

 けど大公代行って。しかも公宮の仕切りじゃなくて政務を執る? それに。


(姫様がその代役? それって――すげえことなんじゃあ……?)


 まだ二十代前半というお歳にもかかわらず、侯爵令嬢ナターシャ様は非常な著名人である。元来が公国貴族の間では類稀なる才媛で聞こえた方なのだ。

 ただ現在、『絶世の悲劇のヒロイン』としての方がお名が通ってしまっている。特に庶民の間では、あまりにおいたわしい婚約破棄事件のおかげで、彼女以後の修道院はすっかり不幸の代名詞と化していた。


 ――あの侯爵令嬢、もしか今は『駆け込み聖堂』においでなのか?

 つまり、てことはまさかそこでウチの姫様と一緒にいらした?


 何やらイアルは変な汗が出て来た。

 

 (なんか、その組み合わせって……)


 それって――なんかマズくないか? 

背を流れる汗が冷たい。またも不穏な話になりそうな予感がして、何だかイアルは寒くなってきた。


「だからこそ、わざわざフォン・ブリゼ侯爵家がご養女にした。うまい折衷案だとでも思ったのかしら。順番の代にあえて二大侯爵家からお妃を立てることに意味がある。けれど実娘ではないのだから、必ずしも正妃でなくて構わない。側妃ならば誰の顔も潰れない、どこにも角は立たない。色んな意味で諸々、都合がいい。

浅薄なりに、下手な考えなりにもそう画策したと。要は、そいうことよね?」


 既によく心得ているであろうゼフィネさんは、ゆっくりと言葉を区切りながら、念を押すように畳み掛けた。聞いている内、イアルも段々と腹が立ってきた。

ゼフィネさんの言葉の端々にも、怒りが滲んでいる気がする。


「前の公国宰相だったフォン・ブリゼ侯爵家……よね」

「ああ、そうらしいわな。確かそんな風に聞いたよ、うん」


(二大侯爵家って、どんだけ腰抜けなんだよ?)


 前宰相だか何だか知らないが、フォン・ブリゼは自慢の娘をさんざ踏み付けにされている。それでなおかつ、同じその相手に今度は養女までをホイホイ差し出そうとした。 

 それも側妃――側女にだと?


(ウチの姫様は、あんなバカ大公の側女になるために生まれて来たんじゃねえよっ!)


 イアルは吠えた。心中で盛大に吠えた。


 バカぼん公シオンの心証は、ここ辺境領では最悪だ。


 惚れた腫れたの気の迷いで、十年来の婚約者をポイっと捨てた男のクズ。

 挙げ句、そうまでして貰った嫁さんの方にさえもう飽きて、放り投げてる。

さんざ大騒ぎしといて、サッサと平民娘への熱は冷めましたとばかりポツンと放置。守ろうとさえせずに公宮で孤立させてる。とんだゲス野郎。

 それで自分は平気な顔で、もう何人も他の女に目移りしまくってやがるんだ。

色ボケの外道かよ?

 ケッ。その上、ヘタレときてる。

 成婚後日も経たない内から、自分の仕事を丸投げするためだけに側妃を娶った。

どこまで無能だよ。それもロクに付き合いのない家の娘さんだったらしい。

どんだけ無神経なんだ。

 大公として、てか当主として、てんで使いものにならないポンコツじゃないか。


(あんなボンクラに、うちの姫様は勿体な過ぎるんだよっ)


 公都へなんて。あんなバカタレのところへなんか、やってたまるか。


 しかし怒る反面、イアルは先日来思い悩んでいた懸念をすっかり脇へ退けてしまっている。


『いよいよ姫様はお館様のお傍に上がるのか?』


 大公家の側妃になるのは屈辱で、我等がお館様の側女ならば栄誉なのか。

いずれにせよイアルは部外者なのだが、新大公のことを考えるちムカついてしようがない。とても腹の虫が収まりそうになかった。


「なんでも、若い大公様がどうでもお妃にするってゴリ押しした平民の娘っ子は、教えても諭してもてんで何も覚えられんもんで、大公宮はもうしっちゃかめっちゃかなんだろ?」


 ジョシュは肯きながら続けた。どこまで裏が取れている話なのか。


「それで無理にも頼み込んで、今の側妃様に公宮に入ってもらったらしいけども。ほら、もうお一人いらっしゃるだろ? 側妃様が。けんども、やっぱ色々と前の御方……フォン・ブリゼの姫さんな。あの方みたく思うようにはいかんらしいよ。

しかも、過労が祟ってその側妃様も最近は寝込みがちなんだとか」


 ジョシュの暴露話は終わらなそうである。


「……当たり前でしょうに」


 ゼフィネさんは、ジョシュよりも痛烈だった。


「わかっていたことでしょうに。平民の娘では、どだい逆立ちしたって大公妃は無理だって。それなりに素地のある貴族の娘でさえ、途中からではとても荷が重いと辞退する地位ですよ。現に今の側妃様でさえ、何度もお断りになったとか」


 ――そうなんだ。


 嫌がる相手を拝み倒して来てもらった上に、過労で倒れるまでこき使いやがったのか。あのバカ大公。どこまで最低だよ。


「それでも小さい頃ならまだしも、成人する年頃になってから妃教育を始めて、今更どこをどう教育したって大公妃を目指せるところまで到達できるはずがないのよ。せめて人前に出せるように仕上がればお慰み、って程度の話でしょうに」


 ゼフィネさんには微塵も容赦がなかった。


「素質とか性格とか、それ以前の問題だわ。務まるかどうか、なんて考える余地もない。野兎に向かって、さあ狐になれ、雑草に薔薇の花を咲かせて見せろと命じるようなものよ。最初から無理無体の無為無謀な無茶ぶりなのに、なれると思う方もやらそうと思う方も、初めからどうかしているわ。まったくもって狂気の沙汰よ」


 しかし至極同感である。

ただし些か不敵な表現に付き、あまり声高に諸手を挙げられないのが残念だった。



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