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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十二章 縁を切りたい女達

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だから、もう来ないで ~ジョシュ再々来

 

 「ゼフィネさまあっ!」


 イアルの願い虚しく、またジョシュがやって来た。

 個人的に、イアルはもうこの顔を見たくなかった。


 (爺さん。あんた等、まだ絶賛農繁期とかじゃないのかよ⁈)


 イアルのココロの叫びは顔に出ていたかもしれない。

しかしそれで動じるようなジョシュではなかった。


「いやあ。こないだはホント! 助かりましたで」


 ジョシュ爺さんは上機嫌でホクホク顔だった。

例によって孫のフィルを引き連れて、彼に両手で籠を抱えさせている。

大きな籠はパンでいっぱいだった。

 祖父の方は果物入りの小籠を持っていた。小粒の葡萄がぎっしり詰まっている。

選果で弾いた実は一部が生食用になるのだ。


「おかげで、裏の畑のアーロが霜にやられんで済みましたわ~~」


 ジョシュは、先般のアーロ霜除け対策のお礼に訪れたようだ。

姫君が過去の農政記録の中に見付けた記載、アル湖の漁師達から廃棄する網を貰って来て、間に合わせに掛けておくというのを実践したらしい。あの直後に食材配達に来たフィルに伝えてあったのが、どうやら間に合ったみたいである。


(そういや、あの後すぐ霜が降りたな……)


 少し前だ。急に冷え込んで暖炉に薪をくべ続けた朝があった。

 すばしっこいフィルの首根っこをすんでのところでイアルがつかんで押し留め、ゼフィネさんが噛み砕いてごく簡潔に説明しただけだったが、正確に伝達されたらしい。フィルは頭の回転も敏捷である。


「ほんにありがとさんでしたなあ。これ、キモチだけだども。お礼に」

「まあ。これはご丁寧に」


 ジョシュはどん! と大小の籠を台所のテーブルに置いた。

 ついでにどっかと指定席に腰を下ろし、フィルだけを帰す。

今も忙しいだろうに。いったんこの体勢になったが最後、陣取った場所からはなかなか重い腰を上げないのだ。


(かっ。……またかよ)


 本当に。もう来ないで欲しい。

 正直な、嘘偽らざるイアルの本音だった。


 籠の中のパンは焼きたてのようで、布巾の下からいい匂いがしてくる。

しばらく自家製平パンが続いたから、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。

 しかし、それとこれとは別問題だ。


(いや、だから早く帰ってくれって)


 この爺さんが来ると、イアルの精神面にはロクなことがない。

無駄にココロを削られる。とても穏やかならざるどころではなかった。毎度毎度、持って来るネタが心臓に悪過ぎるのだ。

 ジョシュは、まるで冷たい手でこちらの心臓を直に握り潰すような話ばかりしていく。惑乱された方はものすごく消耗する。これ以上はごめんなのだった。


「あのな、ゼフィネ様よ。その、災難に遭った遠くの姫さんな」


 またもやゼフィネさんに語って聞かせようと、あれこれ噂話を仕込んできたのだろう。ジョシュの中では、まだまだこの話題が続いている。


「ホレ。あの、元は子爵家のお嬢さんだった」


 ――聞きたくない。


 勘弁してくれよ。イアルは思った。

 姫君の口から漏れ聞く断片だけでも、諸々に胸を刺されている。

軽々に根掘り葉掘り事情を知りたがっていいはずがない。未だイアルはラウルにさえアレコレ詳細を尋ねたりしていないのだ。世間話の軽い口からなんて、絶対に語って欲しくなかった。


「ええ。確か中央……中原の方だったわね」


 中央の地――北の王国と大公国の中程に位置する地域。

やがては地平線の彼方まで広がる大草原へと続く地でもある。それで別名、中原。


(大草原の先は、大砂漠なんだって言われてた――)


 その砂漠を越えてさらに大陸を東へ行けば、果ては偉大なる東の皇国へ至るという。ウチの姫様は草原とも浅からぬ縁があったというのも、ついこの間判明したところである。ただ、さすがに草原の先は知らないそうだ。


 草原とは互いに人質を交換するのか。それとも一方的に差し出すだけなのか。

中原での平地と草原の力関係は、今一つイアルにはわからない。

 中原だとて、国境地帯には変わりないはずである。

 だが異民族である草原の民達と境を接していても、辺境伯は置かれていない。

王領直轄地が飛び地として点在する地域らしいから、王国軍が巡回してもよさそうなのに、それもないようだ。


 一般には、駿馬を育て上げる草原の民達が比較的にも温厚だからだとは言われている。中原貴族達とは剣を交えるほど敵対はしていないのかもしれない。しかし決して友好を結んでもいない。時と場所によっては、名伯楽達は略奪も行うようだ。


 『中原の領地はすべて捨て石』


 お館様のお考えによれば、あの辺の中小の貴族領はみんな防波堤扱いで、ひとつ残らず捨て駒にされているのだという。

 群立する領の全部を逐次切り取るのは、存外に難しい。

必ず持久戦になる。おまけに決して肥沃な土地ではなく、資源にも乏しい。

だから単にモトが取れなくて、結果として異民族による大規模侵攻がなされていないだけだと。


「前に言うとっただろう? 聖母教会ゆかりの方みたいだって。ほんで、いったいどこの修道院にいらしたのかと思ってたけども、」


 あ、もういい。やめて。聞きたくない。

 修道院――に続く固有名詞をイアルはもう諳んじていた。


「ほれ、例の聖ソフィア女子修道院」


 出た。

 そりゃ――それしかないだろ。嫌でも浮かぶさ。

 あのド田舎で唯一の特筆すべき場所。由緒正しい名所にして大陸有数の古刹。

やたら古くて、おそろしく有名で、とんでもなく特殊な機能を有する聖ソフィア女子修道院。最古にして聖母教会の頂点に立つ、名高い『駆け込み聖堂』が。


 ――まさか、姫様があの『聖ソフィアの縁切り娘』だなんてバレてないよな?


 もうこれ以上、姫君について巷であれこれ言われて欲しくなかった。

もうイアルはココロが痛過ぎる。


「いやあ。どうにも、あの修道院で妙なご縁ができちまったんだろうなあ」


 だが、善人ジョシュの話は妙な方向に逸れていた。


「ご縁……?」

「うん。あの姫さん。なんでも、もっと高い身分の姫さんの代わりにって指名されたんだと。んで、是が非にも側妃にって、公都へお輿入れする最中だったんだと」

「あ……ら? それはいったい、どなたの身替りでのお輿入れだったの?」

「それがよ、ゼフィネ様」


 ジョシュは勿体をつけて間を置いた。


「あの二大侯爵家のご息女様! フォン・ブリゼ侯爵家のナターシャ様なんだよ!!」



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