私を忘れる頃~虎の仔の瞳も青いのですって(2) (割込みUP‼)
「―――……」
ゼフィネさんの方は、珍しく目に複雑な色を浮かべていた。ほんの束の間、その眼差しが揺らぐ。
『産まれた時は仔の目は青い――』
その脳裏には遠い記憶が蘇っていた。
現当主ジークヴァルト様が、なぜ少年期にご生母と親子して館から追われたのか。あの頃、お館様の乳母をも務めたゼフィネさんは、今もよく覚えているのだ。
この西の辺境の地でも、青い眼で産まれて来る赤子はそれなりにいる。
北の方に多いらしい。当地では目の薄青さはたいてい幼児期特有の傾向で、ほとんどの子は成長につれ他の濃い色に落ち着いていく。太陽の光が弱い北の王国なら、青いままで大人になるのかもしれない。しかし陽光眩しい辺境領では、色変わりはよくあることだった。
なのに、まだ幼いジークヴァルト様が青い眼ではなくなったというただそれだけの理由で、先代は混血の息子だけを無情に切り捨てた。
『どうしても青い眼の跡取り息子が欲しい』
今も称賛される偉大な父に肩を並べるような。
早くに亡くした自慢の嫡男と同じ色の、青い眼をした跡継ぎが。
その一念で、凡庸な先代は誰彼見境なしに手を付けた。
挙げ句、その手は他卿の女性にまで及び、西海との関係を軋ませた。
折しも西海衆の有力部族の姫との再縁話が進んでいて、その協議に西海から人が来ていた。難に遭ったのはその中の一人だ。侍女ではない。そのまま部族長の姫の護衛に就くはずだった西海の女性騎士。ジークヴァルト様のご生母である。
結局、縁組が婚儀に至ることはなかった。
西海では有数の名家の姫の輿入れ話は、先代の不徳で潰れた。
ちょうど北の王国から、異教徒の女を圏内の大貴族の正妻に据えることに横槍が入ったせいもある。婚儀の日取りを詰めている段階で、外野である北の僻地の新興国が「西海の女を娶るなら側室に置け」と難癖を付けてきたのだ。
西海部族連合の長であるバルトロメオ殿は激怒した。
友好の印であればと覚悟を決めて、父親程も歳の離れた先代の後妻に納まる予定だった姫はとうとう辺境領の地を踏まなかった。さらに姫の護衛の懐妊で、二重三重に辺境領と西海との仲はこじれた。ジークヴァルト様がいなければ、未だに破綻状態だったろう。
ジークヴァルト様をあげたご生母は、あまり厚遇されたとは言えない。
彼女には不本意な出来事だったはずだ。懐妊さえ隠せれば、郷里にも戻れた。
だが無事に元気で男児が産まれ、その目が開いて青い色が覗くと、先代の態度ががらりと一変した。たとえ生母は異族でその身分は低くても、遂に青い眼の息子を得たと狂喜したのだ。
ただし長くは持たなかった。
ジークヴァルト様が大きくなり父親と同じ黄金色の眼に色変わりしてしまうと、先代は急速に興味を失った。そして露骨に母子を冷遇し始めた。一時期の歓喜はきれいに忘れ果て、母子を片隅に追いやった。果ては館から出し、辺境領から放逐に及んだ。
息子は他に何人もいた。もっと生まれの良い側女が複数いたし、若い愛妾も次々と登場していた。替えは幾らでもきいた。だから、あっさりと異族の母とその息子を棄ててしまえた。
母子を受け容れ、庇護してくれたのは『西海の親父殿』バルトロメオ殿である。
『親父殿』――ジークヴァルド様が父と認める、ただ一人の義父殿だ。
獅子の眼が青いわけではなかったのに――
古い思い出が過る度、ゼフィネさんは痛みを覚える。
先々代は青い目をしていたのだそうだ。
惜しまれつつ世を去ったジークヴァルド様の祖父上は、今なお称えられるエルンストの『青い眼の獅子』である。しかしエルンストの英主に捧げる『青い眼の獅子』の賛辞は、単なる比喩に過ぎない。
歴代当主が皆、青い眼をしていたこともない。
紋章は青染めの獅子。領地の湖水アルの深い青。領主家エルンストの青い色は、つまりは象徴なのだ。
早逝した先代の最初の奥方の瞳も青かった。
彼女は先代に青い眼の跡取りを残してくれた。嫡男で長男。父や周囲の期待を一身に受けた彼女の息子もまた、若死にした。
逆縁の悲しみが先代を壊したのか、それとも初婚の妻の死から既におかしくなり始めていたのか、ゼフィネさんにはわからない。
ただその後、先代が迎え入れた後妻達や数多の側女愛妾達にも、青い目が多かった。ゼフィネさんや周囲が主の狂気を疑う頃には、もう何もかも手遅れだった。
亡くした者達が生き返ることはない。
どれだけ悼んでも、失った者を抱き締める時など来はしない。新たに青い眼の息子を儲けたところで、世を去った奥方や嫡男が戻って来るわけではなかったのに。
過ぎ去った日々は二度と帰らない。かの短くも穏やかで、満ち足りた昔を、再び生き直せるはずもなかったのに。
『――虎の仔の瞳も、青いのですって』
ゼフィネさんにしても、虎なんていう猛獣は知らなかった。
獅子も狼も、幼獣の眼の色なんぞ見当も付かない。しかしたとえ獣にせよ、幼子の眼が青いなどという話を、あのジークヴァルト様がする相手ができたのである。
そしてその相手がこの、まだ若い十代の姫君なのだ。
そのことだけは、しみじみとゼフィネさんにはよくわかった。




