私を忘れる頃~虎の仔の瞳も青いのですって(1) (割込みUP!)
(あの頃って、実はアブなかったんだよな――)
後から思い返してみると、どうも姫君はもうお館様は来ないものと踏んで、自分なりに気持ちの整理を付けようとしていたのではなかったか。
イアルにはそんな気がしてならない。
シャールは相変わらず、三日に一度は使いに来ていた。
その度、季節ごとの花を忘れない。ある時、香りも芳しい秋の薔薇を持って来た。
少し青味がかった薄紫色。かなり珍しい色だった。取り合わせる小花も青や薄紫。
そしていつもと同じ、濃い青のリボンで束ねてある。
――ああ、このリボンだったんだ。
姫君が束ねた髪を飾る、唯一の鮮やかな彩り。
ドレスも他の飾りも、どうやら宝物みたいにされていた真珠の櫛さえもしまい込まれたのに、この青いリボンだけは残されていた。
たぶん――ひまわりと勿忘草の時から、ずっと。
「ありがとう。……とっても佳い香りだわ」
姫君はいつも通り、微笑んで受け取った。
「何か。ご伝言はありませんか」
あれ以来、シャールは帰り際には毎回姫君にそう尋ねるようになっていた。
何でも、どんな些細なことでも承ります。必ず、お館様にお伝え致します。
そういう、シャールなりの心配りであるらしかった。
「大丈夫よ」
姫君の返事は決まっていた。いや、全然。大丈夫なんかじゃなかったのだが。
「アイシャは皆に大事にされて、機嫌よう過ごしております。何もご心配には及びません――そうお伝えしておいて」
もう健気過ぎて、毎度やりとりを聞く方が辛い。いじらし過ぎた。
こんな伝言を貰って本当に安心して来ないのだとしたら、お館様はどうかしている。人として、致命的に何かが欠けているとしか思えない。
待たせに待たせ、さんざ気を持たせてとうとう来なかったあの日。
最初にシャールからこの伝言を聞かされて、お館様は何も感じなかったのだろうか。それでもすっ飛んで来ないなんて、お館様は男として最愛の女の気持ちがなに一つわかっていない。
(そりゃ俺だって、女ゴコロなんてわからないけど)
自分は、人の心の機微なんてものには疎い人間だ。
イアルはそう思っている。将来、恋人や嫁さんになってくれる相手をどうやって探すのか、見付けたとしてどう接してどんな風に大事にすればいいのか、皆目見当が付かない。でも。それでもわかる。
(お館様……これじゃ、あんまりだよ)
こんなのはない。こういうのは、ダメだ。
姫君が何も言わなくとも、イアルは何か言ってやりたくなる。
姫君は詰らなくとも、いっそイアルが詰め寄ってやりたい。
(ひと言。たったひと言でいいんだ。せめて、何か言ってやれよ)
シャールは、花は代わりに持って来る。だが手紙は一通もない。
少なくともイアルは見ていなかった。伝言すらないのだ。一度もイアルは傍聞きしたことがなかった。
シャールは姫君に伝言はないかと聞く。なら何故、その逆を訊かない?
聴いてこない? もぎ取って来いよ。筆頭小姓なんだろ、お前。
ゼフィネさん宅での短い月日で、イアルでも想う人との間で決して外してはならない要点だけは会得できた気がする。それがなんでお館様にわからないのか。
イアルは不思議でならなかった。
だがその日、帰ろうと挨拶したシャールに、初めて姫君は違うことを言った。
「そうだわ……。旦那様にお話しできていなかったことがあるの。あのね、シャール」
ふと思い出しでもしたように、不思議なことを口にしたのだ。
「虎の仔の瞳も――青いのですって」
シャールは一瞬、きょとんと瞳を見開いた。
「ト……ラ? で、ございますか?」
「そう。虎。大陸の西にはいないのかしら? まあ、私も実物は見たことがないのだけど」
話が読めない。シャールは怪訝な顔だ。
「東方や南、あとずっと北にもいるそうよ。獅子と同じ、大きくて強い獣なの」
「はあ……」
「別に……急がないの。何かの時にアイシャがそう言っていたと、旦那様にお伝えしておいてもらえたら」
珍しい。シャールの顔に「??」が浮かんでいる。
「……前にね。聞かれていたのよ。獅子も或る種の狼も、産まれた時は仔の目は青い。なら、虎は? って」
「――さようでございますか」
シャールの表情が素に戻った。定番の顔。無表情な筆頭小姓の顔になる。
主と姫君の個人的な会話の内容にまで、根掘り葉掘り立ち入ることはしない。
だから重用されるのだ。




