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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十章 お館様、あんまりです!!

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働くお姫様


 「おい」


 庭の端で、イアルはラウルに呼び留められた。

 ゼフィネさんの隠居宅での仮初暮らしも、ひと月を超えた。

そろそろ夜には火の気が恋しい。ラウルは相変わらず農民の振りをして農作業に励む真似ごとをしていたが、最近では薪割をする時間が増えている。

 今朝は再びド定番。畑の雑草取りだ。


「おいって。聞こえねえのか、お前」

「……あんまり話とかするな、て言ったじゃないすか」


 ロクにラウルの方も見ずにイアルは答える。

最初に草むしりをするラウルを前にした時、ついガン見してしまって「見るんじゃねえ」と毒づかれたのだ。確か「話し掛けんな」って怒られたよな。


「……いいのか、あれ」


 ムスッとした顔で、ラウルは庭の物干し竿の方を顎で示す。陽射しもすっかり秋めいてきた晴天の下、姫君におかれては絶賛洗濯物干しの最中である。


 ちなみに、とうにドレスは脱がれていた。別に頼んでいたらしく、普通の農家の娘みたいな姿に着替えられている。だから環境的にはまったく違和感がない。


 姫君がガラリと服装(なり)を変えたのは、家宰殿の最初の来訪の後である。

正確にはお館様が不義理をしてとうとう会いに来なかった、その翌日からだ。

 あの後、イヴは出来上がった他のドレスも届けに来たのだが、どれもこれもそのまま陽の目を見ていなかった。


 姫君は今、ザ・村娘へと装いを新たにされている。

 エプロンまで着けていた。いつの間に調達して貰ったのだろうか。上は短いブラウスとチュニック。スカートはよくある形で、切り替えもなければ襞飾りも付いていない。あっさりと何の変哲もないが、そのぶん実用的で動きやすさ重視。

 いわゆる一般庶民の普段着だ。

 仕立ての良いワンピースも、イヴが丹念に採寸した綺麗なドレス類も、全てしまい込まれていた。こういうスパッとしたところは、年若でもしっかりしたご気性だとイアルは感心する。

 相対に女性の方が割り切りがいいのは承知しているが、みんなが皆こうではないはずだ。


(いいも何も。……俺に言われてもなあ)


 ただラウルが物申したいのは、どうやら姫君の衣服のことではないらしい。


「――止めたんすけどね。一応」


 ゼフィネさんの隠居宅に匿われること既にひと月余り。

 姫君は時に凛々しかったり、健気だったり、男前だったり。

折々に垣間見える素のご気性で、どうやらゼフィネさんの心をガッチリ掴んでしまったらしい。最早、姫君の行動に関して何ら干渉はなくなっていた。


「家の周りなら、出てもいいんじゃなくて?」


 それどころか、ゼフィネさんからは気分転換にと母屋の外に出ることさえ勧められた。ただし帽子だけは忘れずにね、と愛用の麦わらまで貸与してくれたのだ。

日除けだけでなく、まるっと顔も隠れる優れモノである。


「ゼフィネさんが、家の敷地内なら外に出て陽を浴びるくらい大丈夫でしょ。……って」


 洗濯物干しと麦わら帽子。それはどちらもイアルの胸をチクチク刺す光景であり要素だったが、もう前程痛くはない気がする。

 三年も経つしな。それとも、今自分がこの家にいるからだろうか。


 ――あ、姫様。なんか歌ってる。それ、何の歌すか?


 後ろ姿の姫君の、麦わら帽子の下から濃い青のリボンが見え隠れしている。


 あのリボン――どっかで見たような……

 

 ただ一箇所。華やかなのは黒髪を飾るリボンだけだった。まとめ髪にさっと結んだ青。衣服の簡素さに比べて、そこだけが鮮やかで目を引く色彩。


 どこでだった? 何だっけか? 

 だがイアルは咄嗟には思い出せない。


 イヴはドレスに合わせて髪の飾りも持ち込んだが、すべて片付けられたていた。現状で出番があったのは、かつて花束を結わえていたこのリボンだけである。


「まあ、俺等もいますしね」


 チッ、ラウルは舌打ちした。


「違えよ。そこじゃなくて」


 ラウルは肩をいからせて苛ついた 。


「お姫様に洗濯モノなんか干させて、いいのかって聞いてんだよっ」


 ――あ、そっち?


「それも、ゼフィネさんが――」


 ラウルはまたも舌打ちし、ギリギリと歯噛みした。


「ゼフィネ殿も、何を考えてるんだ」


 しゃがんだままラウルがぼやく。


(いや。そもそも洗濯以外にも、してるよ?)


 姫君は家の中ではそれこそ、何でも家のことをやっていた。

それは別にゼフィネさんが頼んだ訳でも、楽をしたがったからでもない。

 姫君自ら、ゼフィネさんと一緒に何でもやっているのだ。同じ家で暮らす家族が家事を分担するように、普通に助け合って生活している。力仕事はイアルの受け持ちだった。


「ったく、姫君にそんなことさせんじゃねえよ」


 いえ、掃除も炊事もなさってますけど? ――とは、とてもラウルには言えない。互いに親しく話す間柄でなくてよかった。まあじきにバレるだろうが。


 ――俺に怒られてもなあ。直訴してくれよ。




 「あの、いいんでしょうか」


 イアルだって気にはなった。だからゼフィネさんに直に聞いてみたのだ。

 姫君が頻繁に台所に立ち入りだした時だ。淑女の嗜みらしく刺繍をするくらいなら、イアルだって何とも思わなかった。だがそのうち、自分で皿を下げたり器を出したり、遂にはゼフィネさんの洗い物を手伝い始めた。

 おや? とは思ったものの、何故かもうゼフィネさんが制止しない。

それで仕方なしに引き続き、イアルも何も言わずに様子を見ていた。


(……いや。さすがに、あれは)


 しかし、その延長で一緒に料理までやろうとする。豆の下拵えに手を出すにあたり、さすがにイアルとて黙ってばかりはいられくなった。姫君が就寝された後で、恐れながらとおずおずゼフィネさんに切り出してみたのだ。


「あれは………いい、んでしょうか」


 ゼフィネさんは、何が? とも聞かなかった。


「いいのよ」


 ただ一言、肯定だけを返した。「私はね、」

 ゼフィネさんはまるで言って聞かせるようにゆっくりと続けた。


「姫様にはここでは、出来るだけ普通の暮らしをしていただこうと思っているの。普通の家の、普通の暮らしを」


 それは。ゼフィネさんの言わんとすることは、なんとなくイアルにもわかった。イアルとて、普通の家庭では育っていない。

 姫君もそうなのだろう。修道院で生まれ育ったという姫君も。きっと――イアル同様、家庭を知らない。


「せめてここにいる間くらいは、ね」

「………」


 それで、イアルも何も言えなくなってしまった。


 この先、姫君の暮らしはどういう風になるのだろう。

 お館様は決して悪いようにはなさらない。不自由はさせないだろうし、それなりに貴族の娘らしい暮らしはできるのかもしれない。

 だが少なくとも、女性として思い描く普通の暮らしは送れないはずだ。

たぶんこれからの未来、姫君にはあまり多くの自由は許されていない。

 これはイアルの確信的な予感だった。だから同時に願わずにはいられなかった。


 ――姫様にはどうか、幸せであって欲しい。


 出来るなら、叶うなら。イアルはその時、ゼフィネさんがよかれと思うことには一切口を出すまいと決めた。それに姫君が楽しそうなら、それだけでいい。


(姫様が色々手を広げても、俺は黙って受け入れる)


 イアルはそう決めた。




 (お。済まれた、かな?)


 洗濯ものを干し終えたのか、姫君の鼻歌が聞こえなくなった。

出る時にはイアルが洗濯籠を持った。干すのは手伝わなくていいと言われたので、家に入る時も運ぶぐらいはと思っていたら、姫君がじっとこちらを見ている。

イアルの方を、より正確にはその後ろのラウルを。

 視線に気付いたラウルはギョッとして、うっかり姫君と目を合わせてしまった。

そして柄にもなく慌てて目を逸らした。姫君の方は不作法をせず、洗濯籠を小脇に置いてから麦わら帽子を取って上に載せ、真っ直ぐにラウルの方を向いた。

 そして、ちょこんと軽くお辞儀をして見せた。


『いつもありがとう。宜しくお願いしますね』


 そんなカンジだ。ラウルも慌てて起立した。直立不動でほぼ直角に腰を折る。

騎士団長にだって、いや家宰殿にも、お館様の御前でさえこんな礼はしないだろう。こんな折り目正しいラウルの姿、きっと誰も見たことがないに違いない。

 姫君はただ小さく頷いて、洗濯籠を自分で取ってから家に戻った。

それをラウルは、ずっと同じ姿勢で見送る。


「……もういいですよ」


 ラウルに直るきっかけを教えてやって、イアルも姫君の後に続き足早に家に入った。

 視界の隅を、日焼けしたラウルの顔が過る。何故だか顔を赤らめていたような。いや……気のせいだろう。残暑の頃から来る日も来る日も慣れない草むしりなんぞしている。だから、あれはさらに灼けて赤く焦げただけなのだ。たぶん。



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