ゼフィネさんってこんな人
「いつからお館様は空約束をされる方になりましたの?」
勿論、ゼフィネさんには怒る権利があった。
「そ、それは――」
「当代西の辺境伯、エルンストの獅子伯ジークヴァルト様は、出来ない約束をされる方に成り下がられたと。つまりは、そういうことなのかしら?」
「ゼフィネ様――」
姫君を預かる際にも、その当日夜明け一番に叩き起こされたゼフィネさんである。
「それは……いささか、お言葉が過ぎるかと」
だいたいが、またしても今日の今日だったのだ。
今朝、顔を洗うなり『今日行く』と先触れに寄越されたこのシャールが伝えて来ていた。
「―――お前は、何を言っているのかしら」
今朝も今朝とて、ゼフィネさんは文句ひとつ言わずに姫君のお支度を整えた。
のみならず、家宰殿の来訪以降は張り切って家中を磨き上げ、細部に至るまで準備万端。気合を入れまくっていたのだ。そういうゼフィネさんである。
「戯言はおよしなさいな。この辺境伯家のご領内で、領主であり辺境伯家ご当主であるお館様に、断れない客があるとでも?」
「………」
そんな客はいない。いるはずがない。いていいはずがなかった。
「それとも、はるばる北の王家から使者でも来たと言うの?」
「………」
「でなければ、急に公国の査察でも押し寄せたのかしら?」
ゼフィネさんの顔は、確かに微笑んでいた。
「ああ。もしや大司教様直々の審問が乱入したとでも?」
微笑んではいるのに、笑った顔のまま詰問調で畳み掛ける。笑みは口許だけで、その唇から棘を刺す。こんな様をイアルは間近で見たことがなかった。
「家宰殿は何をしていたの? サルダーニャは何処にいたと? 客あしらいなら海千山千、万事心得て手慣れた強者達が揃いも揃って、迷惑千万な客のつまみ出し方を忘れたとでも? よもやお前は、そう言いたいの?」
いっそ辛辣だ。重ねる言葉が、どんどんキツくなる。
「は!」
ゼフィネさんは驚くほど怒っていた。
「寝言なら、寝ながらおっしゃい!!」
否、切れていた。
「それで……シャール。お前はいったい、何をやっていたの?」
「わ、私は――」
申し訳ありません。シャールはひたすら謝った。
ここは謝るしかない。謝罪一択。申し訳ございません。申し開きもございません。はい。いかにも。仰せの通りです。お詫びのしようもございません。こちらが悪うございました。すいません、ごめんなさい……
ゼフィネさんに追い詰められて、シャールの声がだんだんか細く小さくなる。
なんか――すいません。
イアルまでつられて頭を下げそうになった。
正直、怖い。ゼフィネさん、怖過ぎだ。
(そうか――だから、絶対に怒らせちゃあいけないんだ)
騎士団の申し送りは正しかった。騎士団長の判断は的を得ていたのだ。
「……ゼフィネさん、もういいのです」
見かねて姫君が間に入った。
ココで口を挟めるのって、素直にスゴイとイアルは思う。
「私なら構いませんから。私のために、そんなに怒っていただくことはないのです」
反対に姫君は少しも怒っていなかった。逆にゼフィネさんを宥め、慰めさえした。
「それよりも――せっかくゼフィネさんがここまで準備してくれたのに……。
すっかり無駄にしてしまって、本当にごめんなさい」
別に姫君は何も悪くない。何の落ち度も責任もない。だから、これっぽっちも謝る必要はないのだ。
それでようやくゼフィネさんも、はたと我に帰った。
「シャールも……いいのよ、もう謝らないで」
姫君はシャールのことも忘れなかった。悪くもないのにゼフィネさんに当たられ続けるシャールまでを、順当に労わった。
「あなたのせいではないのだもの」
勿論、シャールのせいではない。たぶん、誰のせいでも。
「シャール。今日もお勤めご苦労様。何度も足を運ばせた上に、却って気を遣わせてしまって……。ごめんなさい、許してね」
シャールにはこの方が堪えたようだ。
打たれ強いというか、叩かれたってシャールは弱りはしない。日頃から文句とか苦情とか罵倒とか、責められ詰られるのには慣れている。だが庇われることなんて皆無である。優しくねぎらってもらう方が、慣れないぶんよほど当惑したらしい。
ゼフィネさんに怒られている時とは別の意味で、真顔で固まってしまった。
「旦那様は領主としてのおつとめが第一です。こんな時期に、こんなところでゆっくりなさる領主殿なら、逆にそちらの方が心配よ」
姫君は微笑んだ。その健気さが、逆にチクリと胸を刺す。却って痛みを覚えてしまう。
――大人だなあ。
そうか。仮にも人に傅かれる立場にある方ならば、こんな風に場を収めるものなのか。先の奥方様も、家臣にこういうことの一つも言えていたら、何かが変わっていたのだろうか。
「あ。こんなところって、そういう意味ではないのですよっ」
姫君は慌ててゼフィネさんを振り返った。
「――ええ。ええ。わかっていますよ」
ゼフィネさんがやっと普通に笑ってくれた。
ようやく平素の調子に戻り、シャールに何か飲んでからお帰りなさいと勧める。
シャールはいえ、急ぎ戻りますのでと固辞した。
「シャール。旦那様にお伝えしておいて」
では気を付けてねとシャールに声を掛けた姫君は、最後にこう付け加えた。
「アイシャは皆に大事にされて、機嫌よう過ごしております。何もご心配には及びません――と」
ね? 姫君は明るく笑って見せた。
聞いている、見ている方の胸が詰まる。訳もなく湧き上がる罪悪感を、さらに短刀でグサグサやられる心地だ。
ゼフィネさんの執拗な罵倒以上に、ある意味こっちの方が効く。
シャールは唇を噛んだ。この伝言、ちとキツイよな?
「それから……いつもありがとう、シャール」
「―――……え?」
「いつも細やかに私を気遣ってくれて。――届けてくれる花束。あのお花を選んでくれているのは、シャール。あなたでしょう?」
返事を待たずに、姫君は続けた。
「旦那様はお優しくて情け深い方だけれど。季節ごとのお花とか、女が好む綺麗な可愛いものに気が回る方ではないと思う」
姫君は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。シャールは口を真一文字に結んでいる。
「あ。ごめんなさい、シャールを困らせちゃった……。答えなくて、いいからね」
「………」
「そうね。せめて――最初の、あの勿忘草だけは。旦那様が選んでくださっていたら、すごく嬉しいと思うけれど――」
姫君がもらった最初の花束。ひまわりに、青い小花。あれ、勿忘草だったのか……
恋人に捧げる花だ。
――忘れないで。忘れていない。そういう意味合いの。
「あ、いいのよ。無理に返事しなくて」
「……お館様の、ご指示です」
シャールはやっとそれだけ言った。
イアルにもわかってしまった。花を選ぶどころか、花束を贈ること自体がシャールの気配りだったに違いない。
「……ありがとう」
どれもこれも聞かぬが花、言わぬが花、なのか?
(なら――そういうことにしておくさ)
お館様は確かに情のある主である。
領主としては当然、苛烈で容赦ない面も見せる。が、貴族にしては情というものを持ち合わせている。一面では情には厚い方だ。今の今まで、イアルはそう思えていた。
しかし、男としてはどうか。
最愛の大事な女に、優しくも情け深くもない。そういうのはどうなのか。
姫様みたいな女の子に手を出しておいて、もうひと月以上も顔さえ見せずに放ったらかしている。挙げ句、ほんの一時の約束さえも反故にした。
これはない。こんなのはないだろう。
「――あなたは優しい人ね、シャール」
「………」
シャールは結局、黙ったまま帰って行った。
この時、シャールは決めたのだと思う。
生れて初めて。自分以外の、誰かの味方をしてみようと。
しかし当のお館様が、なんの言い訳も寄越さなかった。それどころか何かで埋め合わせをなさろうとする様子も見えない。手紙一通、伝言の一つも届かなかった。
それは少なからずイアルを憤慨させた。
この日を境に、この家の人間達は割り切れない感情を燻らせることになる。
ただし以降、何故か門外不出のはずのエルンスト辺境伯家年代記が、姫君の元へ順次貸し出されるようになった。
だがこの措置は逆にゼフィネさんの怒りの炎に油を注いだ。
「それで誤魔化すおつもり……?」
もっともゼフィネさんはあくまで静かに憤怒を滾らせていたので、やっと気付いたイアル達が肝を冷やすのは、かなり後なのだった。




