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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十章 お館様、あんまりです!!

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ゼフィネさんってこんな人


「いつからお館様は空約束をされる方になりましたの?」


 勿論、ゼフィネさんには怒る権利があった。


「そ、それは――」

「当代西の辺境伯、エルンストの獅子伯ジークヴァルト様は、出来ない約束をされる方に成り下がられたと。つまりは、そういうことなのかしら?」

「ゼフィネ様――」


 姫君を預かる際にも、その当日夜明け一番に叩き起こされたゼフィネさんである。


「それは……いささか、お言葉が過ぎるかと」


 だいたいが、またしても今日の今日だったのだ。

 今朝、顔を洗うなり『今日行く』と先触れに寄越されたこのシャールが伝えて来ていた。


「―――お前は、何を言っているのかしら」


 今朝も今朝とて、ゼフィネさんは文句ひとつ言わずに姫君のお支度を整えた。

のみならず、家宰殿の来訪以降は張り切って家中を磨き上げ、細部に至るまで準備万端。気合を入れまくっていたのだ。そういうゼフィネさんである。


「戯言はおよしなさいな。この辺境伯家のご領内で、領主であり辺境伯家ご当主であるお館様に、断れない客があるとでも?」

「………」


 そんな客はいない。いるはずがない。いていいはずがなかった。


「それとも、はるばる北の王家から使者でも来たと言うの?」

「………」 

「でなければ、急に公国の査察でも押し寄せたのかしら?」


 ゼフィネさんの顔は、確かに微笑んでいた。


「ああ。もしや大司教様直々の審問が乱入したとでも?」


 微笑んではいるのに、笑った顔のまま詰問調で畳み掛ける。笑みは口許だけで、その唇から棘を刺す。こんな様をイアルは間近で見たことがなかった。


「家宰殿は何をしていたの? サルダーニャは何処にいたと? 客あしらいなら海千山千、万事心得て手慣れた強者達が揃いも揃って、迷惑千万な客のつまみ出し方を忘れたとでも? よもやお前は、そう言いたいの?」


 いっそ辛辣だ。重ねる言葉が、どんどんキツくなる。


「は!」


 ゼフィネさんは驚くほど怒っていた。


「寝言なら、寝ながらおっしゃい!!」


 否、切れていた。


「それで……シャール。お前はいったい、何をやっていたの?」

「わ、私は――」


 申し訳ありません。シャールはひたすら謝った。

 ここは謝るしかない。謝罪一択。申し訳ございません。申し開きもございません。はい。いかにも。仰せの通りです。お詫びのしようもございません。こちらが悪うございました。すいません、ごめんなさい……

 ゼフィネさんに追い詰められて、シャールの声がだんだんか細く小さくなる。


 なんか――すいません。

 イアルまでつられて頭を下げそうになった。

正直、怖い。ゼフィネさん、怖過ぎだ。


(そうか――だから、()()()怒らせちゃあいけないんだ)


 騎士団の申し送りは正しかった。騎士団長の判断は的を得ていたのだ。


「……ゼフィネさん、もういいのです」


 見かねて姫君が間に入った。

ココで口を挟めるのって、素直にスゴイとイアルは思う。


「私なら構いませんから。私のために、そんなに怒っていただくことはないのです」


 反対に姫君は少しも怒っていなかった。逆にゼフィネさんを宥め、慰めさえした。


「それよりも――せっかくゼフィネさんがここまで準備してくれたのに……。

すっかり無駄にしてしまって、本当にごめんなさい」


 別に姫君は何も悪くない。何の落ち度も責任もない。だから、これっぽっちも謝る必要はないのだ。

 それでようやくゼフィネさんも、はたと我に帰った。


「シャールも……いいのよ、もう謝らないで」


 姫君はシャールのことも忘れなかった。悪くもないのにゼフィネさんに当たられ続けるシャールまでを、順当に労わった。


「あなたのせいではないのだもの」


 勿論、シャールのせいではない。たぶん、誰のせいでも。


「シャール。今日もお勤めご苦労様。何度も足を運ばせた上に、却って気を遣わせてしまって……。ごめんなさい、許してね」


 シャールにはこの方が堪えたようだ。

 打たれ強いというか、叩かれたってシャールは弱りはしない。日頃から文句とか苦情とか罵倒とか、責められ詰られるのには慣れている。だが庇われることなんて皆無である。優しくねぎらってもらう方が、慣れないぶんよほど当惑したらしい。

 ゼフィネさんに怒られている時とは別の意味で、真顔で固まってしまった。


「旦那様は領主としてのおつとめが第一です。こんな時期に、こんなところでゆっくりなさる領主殿なら、逆にそちらの方が心配よ」


 姫君は微笑んだ。その健気さが、逆にチクリと胸を刺す。却って痛みを覚えてしまう。


 ――大人だなあ。


 そうか。仮にも人に傅かれる立場にある方ならば、こんな風に場を収めるものなのか。先の奥方様も、家臣にこういうことの一つも言えていたら、何かが変わっていたのだろうか。


「あ。こんなところって、そういう意味ではないのですよっ」


 姫君は慌ててゼフィネさんを振り返った。


「――ええ。ええ。わかっていますよ」


 ゼフィネさんがやっと普通に笑ってくれた。

ようやく平素の調子に戻り、シャールに何か飲んでからお帰りなさいと勧める。

 シャールはいえ、急ぎ戻りますのでと固辞した。

 

「シャール。旦那様にお伝えしておいて」


 では気を付けてねとシャールに声を掛けた姫君は、最後にこう付け加えた。


「アイシャは皆に大事にされて、機嫌よう過ごしております。何もご心配には及びません――と」


 ね? 姫君は明るく笑って見せた。

 聞いている、見ている方の胸が詰まる。訳もなく湧き上がる罪悪感を、さらに短刀でグサグサやられる心地だ。

 ゼフィネさんの執拗な罵倒以上に、ある意味こっちの方が効く。

 シャールは唇を噛んだ。この伝言、ちとキツイよな?


「それから……いつもありがとう、シャール」

「―――……え?」

「いつも細やかに私を気遣ってくれて。――届けてくれる花束。あのお花を選んでくれているのは、シャール。あなたでしょう?」


 返事を待たずに、姫君は続けた。


「旦那様はお優しくて情け深い方だけれど。季節ごとのお花とか、女が好む綺麗な可愛いものに気が回る方ではないと思う」


 姫君は茶目っ気たっぷりに微笑んだ。シャールは口を真一文字に結んでいる。


「あ。ごめんなさい、シャールを困らせちゃった……。答えなくて、いいからね」

「………」

「そうね。せめて――最初の、あの勿忘草だけは。旦那様が選んでくださっていたら、すごく嬉しいと思うけれど――」


 姫君がもらった最初の花束。ひまわりに、青い小花。あれ、勿忘草だったのか……

 

 恋人に捧げる花だ。

 ――忘れないで。忘れていない。そういう意味合いの。


「あ、いいのよ。無理に返事しなくて」

「……お館様の、ご指示です」


 シャールはやっとそれだけ言った。

イアルにもわかってしまった。花を選ぶどころか、花束を贈ること自体がシャールの気配りだったに違いない。


「……ありがとう」


 どれもこれも聞かぬが花、言わぬが花、なのか? 


(なら――そういうことにしておくさ)


 お館様は確かに情のある主である。

領主としては当然、苛烈で容赦ない面も見せる。が、貴族にしては情というものを持ち合わせている。一面では情には厚い方だ。今の今まで、イアルはそう思えていた。

 しかし、男としてはどうか。

 最愛の大事な女に、優しくも情け深くもない。そういうのはどうなのか。

 姫様みたいな女の子に手を出しておいて、もうひと月以上も顔さえ見せずに放ったらかしている。挙げ句、ほんの一時の約束さえも反故にした。

 これはない。こんなのはないだろう。


「――あなたは優しい人ね、シャール」

「………」


 シャールは結局、黙ったまま帰って行った。

 この時、シャールは決めたのだと思う。

生れて初めて。自分以外の、誰かの味方をしてみようと。



 しかし当のお館様が、なんの言い訳も寄越さなかった。それどころか何かで埋め合わせをなさろうとする様子も見えない。手紙一通、伝言の一つも届かなかった。

 それは少なからずイアルを憤慨させた。

この日を境に、この家の人間達は割り切れない感情を燻らせることになる。


 ただし以降、何故か門外不出のはずのエルンスト辺境伯家年代記が、姫君の元へ順次貸し出されるようになった。


 だがこの措置は逆にゼフィネさんの怒りの炎に油を注いだ。


「それで誤魔化すおつもり……?」


 もっともゼフィネさんはあくまで静かに憤怒を滾らせていたので、やっと気付いたイアル達が肝を冷やすのは、かなり後なのだった。



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