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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第十章 お館様、あんまりです!!

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待てど暮らせど来ぬ人を 


 う・わあ――。


 スゲエ破壊力。

 ドレス姿の姫君を初めて見たイアルは、目を瞠り息を吞んだ。


 いよいよお館様がお越しになるという当日である。


 メチャ可愛い。すごく綺麗。なんて美しい。てか、こんな変わるの? 


(まるでどこかの王女様みたいだ――)


 正直、見違えた。


 美とは、ヒト・モノ・カネを惜しみなく集積した成果物。

 イヴのドヤ顔が見える気がした。まあ今日のはイヴではなくゼフィネさんの労力だ。


 スッピンで地味な服装(なり)をしていてさえ、ウチの姫様は無類の器量佳しである。

それがゼフィネさんの辣腕によって、さらに麗しい姫君の姿になっている。

 お召し物は、イヴの一部の隙もない採寸の元に仕立てられた薔薇色のドレス。

実によくお似合いだった。若いワインを思わせるその色は、最近の流行りであるらしい。南の帝国からの輸入染料だとかで、やはりこれも高価な素材なのだろう。

 色も形も、ゼフィネさんの見立ては抜群だった。


 そして――黒髪には真珠の櫛。


(あんな櫛、お持ちだったんだ……)


 珍しく、姫君は装飾品を身に着けていた。

黄金で造られていて、嵌め込まれた真珠をさらに花の彫刻が彩る。ありきたりの品でないのは、イアルにもわかった。

 それはイアルも想像した通り、お館様から姫君への贈り物なのだった。

東方では櫛を贈る行為自体に求婚の意味があるのだが、その風習は西方ではあまり知られていない。


(あの長さでも、髪を結えるのか)


 イアルは妙なところに感心した。

 ゼフィネさんは少しだけ伸びた姫君の髪を横から上手に纏めて、飾り櫛を挿してやっている。大した腕である。


 イヴ――アイツもこんな芸当ができるのだろうか?


 仮縫い無しの一発仕上げで、ここまで姫君のお身に合わせてきた。

きっちり測れるその技量はさすがである。イヴは本職の仕立屋ではないのだから。

 けど。衣装を選んだり装飾品を合わせたり、或いは髪を結ったり化粧を施したりとかは、また別モノじゃなかろうか。たぶんに美的感覚の鋭さとか、手先の器用さ繊細さが問われる気がする。もしかそういう技術(アルテ)が不足するから、いついつまでもメイドのまんまで侍女になれなかったんじゃあ?


 間違っても口には出さないが、イアルはそんなことを考えた。


 先日、家宰殿と入れ替わるようにこの家にイヴが来た。

「姫君の衣装の採寸」だそうで、姫君の御身回りを諸々確認して帰って行った。

これからチョクチョク来るとも言っていた。


 イヴは既にして館奥の要だから、そうそうお遣いに出したりはしない。


 イヴは肩書こそ一メイドだが、実質的に空席のメイド長を担っている。

同時に侍女頭サルダーニャの片腕でもある。つまり、メイドの身ながら次期侍女頭候補の筆頭と目される存在なのだ。

 事実、何かと出来るヤツである。館奥はサルダーニャとイヴで回している。

その事情を知らないで、たかがメイドだと敏腕イヴを舐めてかかった奴は例外なく泣きを見た。不用意に凄腕イヴを怒らせて、無事で済んだ奴などいない。


 かく言うイアルも、実はイヴには頭が上がらない。

そして金輪際、上がらなそうに感じている。今も騎士団にいられること、辛うじてこの首が皮一枚で繋がったのは、間違いなくイヴのおかげだった。


 (どういうことだ?)


 そんな主力のイヴを、館奥の仕事を除けといてまで、わざわざここへ寄越すのである。しかも、これからも来ると言う。 


 つまり――そういうこと、だよな?


(いよいよ、姫様はお館様のお傍に上がるのだろうか――)


 その辺りを考えると、やっぱりイアルは胸がザワザワしてしまう。

大きなお世話だろうに、ギュウッと締め付けられるような痛ましさを覚える。

 きっとそれで姫様が幸せになれるのかとか、要らぬことを考えてしまうからだ。


 だって、真新しい人生ならば幸せでなくてはならないだろう。

 姫様は家も身分も故郷も知人も、根こそぎ失くした。名さえ捨てたのだ。

これから先が前より良くならなくてどうする。大きすぎる代償ならば、報われねばならない。でないと意味がないはずだ。




 なのに。

 肝心のお館様は来なかった。


 ――いや。なんで?


約束の日。とうとうお館様が来なかったのだ。

 家宰殿が調整した日程は、来訪の少し後だった。例によって、当日の朝になっていきなり「昼前には行く」と知らせがあった。


(え。またしても今日の今日?)


お館様は思い立ったらもう動かれているような方である。どうとかすると先触れを追い越してしまわれたりするのを、イアルも知っていた。


 だが結局、待てど暮らせどお館様が現れることはなかった。

準備万端整えて、首を長くしてお待ちしていたにもかかわらず。


 急なお渡りの先触れに、この家では大わらわでお迎えする支度をしていたのだ。

 まず湯浴み。日向のぬる水で行水できる時期はもう終わっていたから、最近の習慣に則り、朝からイアルが湯を沸かす手伝いをした。ラウルまでが落ち着かずに水を汲み、薪を割り続けた。

 そこから後がゼフィネさんの出番だ。ゼフィネさんは腕によりをかけて姫君を磨き上げた。特に黒髪を念入りに梳かして、ごく薄く化粧も施した。最後にお召し替えをした。


 修道女のような無機質な服でさえ目を惹く姫君だから、何を着せても似合ったろう。上質な衣装を纏えば、さらに素の器量の良さが際立つ。

 あでやかな薔薇色と相俟って、新しいドレスは姫君の肌の質感をいっそう引き立てていた。

 誰よりお館様に見せたい、お館様のための装いだったはずだ。



 それなのに、そのお館様が来ない。


 とうに正午を過ぎ、午後に入って遅い昼食を摂った後でも、まったくお越しの気配はなかった。

 ゼフィネさんは、あらためて午後のお茶を用意した。それでもまだ来ない。

 お湯は何度も沸かし直し、ポットを幾度も温めた。いつしか、それらもすっかり冷めてしまった。


(何でだ? どうして来ないんだよっ⁈)


 姫君はしゃんと座っている。だがイアルには、真新しいドレスがしくしく泣いているように思えてしょうがなかった。


 姫君のために誂えた薔薇色のドレスは、ギリギリでその前日にイヴが届けていた。刺繍の縁取りは襟元だけというあっさりした仕上がりで、この装飾では袖口と裾がなんとも寂しいと、ゼフィネさんからは叱言も出たものだ。


「急拵えでは間に合わなかったの?」


 ゼフィネさん的にはいたくご不満だったのだが、いざ着付けてみるとその少ない装飾がむしろよかった。非常に上品だ。ゼフィネさんの見立てた色も形も、姫君の黒眸黒髪によく映えていた。

 ご到着時の姫君の地味な灰色のワンピースを見て、ゼフィネさんにはかなり思うところがあったらしい。なんとしても華やかな装いをさせたかったようだ。


「……片付けましょうか」


 夕刻が近付く頃、姫君からそっと切り出した。

とりあえず着替えてきますねと席を立った途端に、ようやくシャールだけが来た。


「――お館様は、お越しになれません」


 まさかの、いや案の定……というか。一日待ちわびさせた最後が、このたった一言の伝達だった。

 なんでも不意に追い返せない来客が押し掛けて来て、そいつが長尻だったせいで、家宰殿が苦心惨憺して捻出した僅かな空き時間が無惨に消えてなくなったのだという。とうとう次に来る本来の予定客の到着が告げられるまで、延々とその無粋な客が喋り倒したらしかった。


 で。挙げ句、こちらの約束はすっぽかし?


「――いったい、どういうことなのかしら?」


 とんだ待ちぼうけを食わされて、日頃あからさまに感情を見せないはずのゼフィネさんが、遂に怒った。


「そんなことは、お館様が約束を違えてよい理由にはなりません!」



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