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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第九章 凛々しいお姫様

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ちょっと……待って!


「――聞きたいのは、それだけです」


 姫君の懸念事項とは、双方に犠牲者が出ていないかどうか。その一点だけだった。


(……もしかして、ラウルのおっさんに確認したかったのって。そこ?)


 イアルはぼんやり思い出した。姫様は「直に聞いてみたいこと」があったと言われていた。


 うん? なら、さっきおっさんが明後日の方を向いたのはどーゆー意味なんだ?


(よもやおっさん、姫様の護衛騎士に怪我させましたとか言わないだろうな……)


 ともあれ、幸い死人は出ていない。

護衛騎士の傷は治る、手当ても受けた。治療も続いているし、ちゃんと世話だってされている。訊問も拷問もなし。虐待もされていない。

 ついでに馬の一頭も死んでないとかで、姫君はそこまできっちり確認していた。


(わざわざ馬のことまで聞くって。そんなに馬がお好きなのかな?)


 そう言えば。イアルが乗って来たままこの家の裏に留め置く馬を、時々気にしていたような。あれ、もしか触りたかったりするのだろうか。


「そうですか……」


 そこまで聞いて、ようやく姫君は安堵したらしい。


「―――それで」


 心スッキリ晴れ晴れとした姫君の顔付きを見て、家宰殿は静かに訊いた。


「他に……他の事。たとえばご自身のことは、何も聞かれませんのか」

「え? 私?」


 姫君は慌てた。何にも考えていなかったらしい。


 いや、あるでしょうに。色々。ほら。この先、これから私はどうなりますか? とか。


「私のことは、別に――」


 ここでハッと気付いたように、姫君の口調が変わった。


「あ、あのっ。できればっ。このまま、叶うならばっっ。……もう少しだけ、ここでご厄介になりたいですっ……!」


 言ってしまってから、姫君はまるで叱られた子みたいにゼフィネさんの方を見る。


「………って、ご迷惑なのは重々、わかっています。ただ今後の身の振り方の算段が付くまで、どうか今しばらく置いていただけませんか。もう少し落ち着いたら、ちゃんと自分から出て行きますから――」


 え。ええっ?

 何ですって⁈ 今度はこちらが慌てた。


「ほら、こちらのご領内は治安がいいでしょう? なら、私みたいな小娘でも一人で生きていけるかな、なんて……」


 確かに。当代お館様は苛烈に治安回復に取り組まれたから、今この地は大陸でも有数の安全な領である。だがこれには、ゼフィネさんまでが眉を吊り上げた。


「あ! 生計を立てる術なら、何とか自分で考えます。決してどなたにもお邪魔にならないように致します。だから――このご領地の片隅にでも、住まわせていただけないものでしょうか」


 姫君は、周りが無言なのを違う風に解釈したようだ。


「って……勝手に思っていたのですけれど」


 聞いている全員、只ただ驚いていただけなのだが。


「ここなら仕事も見付かるかと。あの、私。修道院で生まれ育ったので、人よりも読み書きは出来る方だと思うので」


 え。お生まれも、ですか? 


 またしても、イアルの胸は疼いた。そんなの聞いたことがない。修道院とはある一定年齢以上の人間が行く先であって、子供が生まれ育つ場所ではないだろう。

付属の孤児院とかじゃあ、人並み以上の読み書きなんて習えない。だとしたら――仮にも子爵家の子女が、貴族の娘が修道院で誕生って。


(いったい、どういう事情なんだよ……)


 もうこれだけでも姫君の不遇な身の上が透けて見える気がして、イアルは心が痛んだ。


「あっ。ごめんなさいっ。余りにも厚かましいお願いでしたよね。――どうかお忘れください」


 いや、そうじゃなくて。


「――お館様は、お許しになりますまい」


 家宰殿が全員の沈黙を代表して答えた。出るは溜息ばかりのようだ。


「……やはり、こちらには置いてはいただけませんか」


 姫君は可哀想なくらいにシュンとしていた。


 いや、そうじゃないです。そうではなくて。


「お館様は、あなた様が何処か他所に行かれるなど、絶対にお許しになりません」


 そう。それ。そっちです。

何で、どうして一人で生きて行こうとしてるんですか? 

 俺等が目を剥くのはむしろ、そっちです。家宰殿、もっと強く! 何なら全否定しといてください。


 だが姫君は不安げな顔だ。


「お館様は仰せでしたな。――アイシャは何処へもやらん。郷には決して返さぬ。二度と離さん。生涯、我が傍に置く――」


 家宰殿の声はよく通った。


「――お館様は、そう仰せでしたが?」


 『生涯、傍に置く――』


 聞きながら、姫君の瞳が揺れる。


「姫君にも、そう仰せではないのですか?」


「……旦那様の、お傍に侍れるような身分ではないのです」


 旦那様――? お館様のこと、だよな。どう考えても。


「我が身の程は、よく弁えておりますから」


 何故か姫君は悲しそうだった。


「私のことは、よくお調べになったのでしょう? ならばもう、何もかも御存知ですね。確かに以前の私には、薄っぺらでも仮の身分がありました。ですが、それも自ら望んで手離してしまいました」


 自ら? 望んで?

 掛けるべき言葉が見付からなかった。家宰殿始め、一同に沈黙が落ちた。


「――私は、自分から家と縁切りするような娘です」


 縁切り。そう聞いた瞬間、イアルの中でチカチカと鈍い閃光が再点灯した。


 ジョシュの世間話の終盤で、何気に引っ掛かっていたもの。

実家と縁が切れた。それも子爵家。中原の貴族の、聖母教会ゆかりのお姫様。


 修道院――


 イアルが心を痛めたその単語が何度も何度も再生される。中原にある修道院なんて一つしかない。聖ソフィアだ。あの音に聞こえた『駆け込み聖堂』。

 

 (姫様は……あの『聖ソフィアの縁切り娘』なのか)


 イアルの中で、何かの塊が溶けた瞬間だった。



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