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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第九章 凛々しいお姫様

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借りものの護衛騎士


 「身命を捧げた、本来の主がいるのです」


 うん? ――なんか、妙な流れになってきた?


 首を傾げそうなイアルを置き去りに、姫君は続けた。


「あの者はその主に命じられ、心ならずも私の護衛をする破目になっただけです」


 え。姫君の護衛騎士なんて、嫌々なるか? 

 不承不承に任を受ける騎士なんて、いる? 


 自分のことは棚に上げ、イアルは心中で突っ込む。


「本当なら、岩にしがみ付いてでもその主の傍に付いていたかったはずです。そのためにこそ家も名も、栄誉も将来も、何もかもを捨てたのですから」


 ええーと。なんだか、話が逸れて来た……ような? 


「こんなところで落命しては不本意でしょう。きっと死んでも死にきれない。私だって、あんな忠義者に怪我をさせたのは不本意です。ましてや死なれてしまってはますます不本意。それではあの者の主に、とても申し訳が立ちません」


 はあ……話が、よく見えません。


 予期せぬ会話の迷走に束の間、一同の緊張が解けた。そして、代わりに疑問の輪が広がっていく。


「忠義者、と仰せですか」


 家宰殿はわざとゆったり髭を撫でた。


「はて。あの者が果たして忠義者でしょうかな。あなた様に不義理を働くような不埒者が?」


 ついでに、家宰殿は姫君の神経の方も逆撫でする。

不義理――護衛騎士の不義理。さらには不埒者。言葉の響きが不穏過ぎて、物騒ですらある。この先を聞くのが怖い気がした。


「あの者は、あなた様を騙した」


 家宰殿は断定した。イアルも他の者達も、咄嗟に息を呑む。


「謀を用いて、無理にもあなた様を修道院から引き戻した。そうでしたな?」


 な――何ですと?


 騙した? 謀? それに……引き戻すって? 修道院から? どこへ?


「あろうことか、やっと絶縁したはずのご実家へ」


 絶縁……⁈


 イアルの中で閃光のように何かが爆ぜて、一瞬だけ点滅した。

実家とは『とうに縁は切れている』――誰かも、そう言ってなかったか?


(ダメだ。今、何か大事なことを思い出し掛けたのに――捕まえられなかった)


 話の展開が急過ぎるのだ。それに家宰殿から不穏な言葉がぽんぽん出て来る。

どの単語も不適切。過激に過ぎる。


「言わば、あなた様を売った者でございましょう。それをまだ庇われるとは――」


 売った。姫様を――⁈


 さすがに聞き捨てできない。とても捨て置けなかった。


「お館様は、あの者を斬り捨ててもよいと仰せになられた」


 だが口を開きかけたイアルを、家宰殿のより厳しい追及が黙らせた。姫君の顔がサッと曇った。


「それをあなた様が、わざわざお館様に命乞いをしてやった。――そうでしたな?」


 え。家宰殿、何を疑って……そんなの、絶対に邪推でしょう。


「ために、あの者はおめおめと生け捕られた。そう聞き及んでおりますぞ」


 姫君は悲しそうだった。俯く目が昏い。こんな顔の姫君を見たくなかった。見ていられなかった。


「――あれは、あの者の責ではありません」


 頼むから。ウチの姫様に、こんな顔をさせないでくれよ……


「命じられて、仕方なくやらされたことです。本来の主を守るために、否応なく選ばされた結果なのです」

「……あなた様とも、数年来の知己でございましたな。あの者は?」


 家宰殿は怒っていた。静かに、確かに怒っていた。


「あなた様とて信用しておられた。だから賢いあなた様でも騙された。違いますか?」


 決して姫君にではない。その借りものの護衛騎士に対して。深く激しく、怒っていたのだ。


「あの者は卑怯にも、その信用を裏切り――」


 だが姫君はみなまで言わせなかった。


「選ばせる方が悪いのです」


 キッと、姫君は顔を上げる。


「あの者は、無理強いされたに過ぎません。それだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」


 姫君は家宰殿に異論の暇を与えなかった。


「惨い選択を迫られたのです。身命を捧げた唯一無二の主と、友である私。そのどちらかを選べと。あの者は悩み苦しみ、血を流す思いで主の方を選びました。それがすべてです。ですから、主を守ろうとしたあの者は忠義者です。何ひとつも、間違ってはおりません」


 姫君は毅然と言い切った。護衛騎士を友と呼び、主を選ぶ忠義の友は間違っていないと肯定する。その態度に迷いはない。


 ちょっと――いや、かなり吃驚した。おそらくその場の誰もが。


「――それに、もうじゅうぶんに報いは受けました」


 姫君は真っ直ぐに家宰殿の目を見据えた。家宰殿もまた姫君を見詰めていた。


「選んだ結果、あの者は本来の主から怒りを買いました。挙げ句、騎士の誓いを突き返されたのです。そして私の護衛をするよう命じられた。命尽きるまでまっとうせよ、帰り来ること罷りならん。二度と戻るな。――生涯の誓いを立てた主から、そう言い渡されたのです」


 身命を捧げた主――ああ、別の貴婦人なのだ。それがイアルにもわかった。

この姫君ではない、唯一無二の、絶対の存在。騎士が誓いを捧げた、生涯たった一人の相手。


 ――うわ、それ滅茶苦茶キツイ。それじゃあ何の為に、友だという姫様を裏切ったんだよ。


 自分だったらとても立ち直れない。打ちのめされて再起不能になるだろう。


「その上、今またこうして見ず知らずの方にまで誹りを受けている。――罰ならば、もうじゅうぶんでございましょう」


 家宰殿は押し黙った。姫君の凛々しい言葉の裏には、憐憫が滲んでいる。

なんだか、イアルにもその護衛騎士が哀れに思えてきた。


「選ばせる方が悪いのです」


 姫君は繰り返し、そう断言した。


「何も有事ではありません。戦でも、飢饉でも、災害でもない。平時にあって、あんな一本気で律儀な者に、そんな選択を強いる者が悪いのです。強いた者こそその責を負うべきでしょう。誹りを受けるべきでしょう。どれほど身分が高かろうと、権力があろうと、上に立つ者がすることではありません」


 しん……と皆、黙ってしまった。


 姫君は、その護衛騎士を庇っている訳ではない。怒っているのだ。

その護衛騎士が、いや、下の立場の者達が逆らえないのを見越して、平然と理不尽を強いる権力に。忠義者の愚直さに付け込んで、犠牲を強いる狡猾さに。当然のように弱い者を踏み躙る、強者の傲慢さに。そして、今もまだ怒り続けているのだ。


 きっと、自分もたくさんそんな目に遭ってきたから。同じ思いをしてきたからだ。イアルには痛い程よくわかった。



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