借りものの護衛騎士
「身命を捧げた、本来の主がいるのです」
うん? ――なんか、妙な流れになってきた?
首を傾げそうなイアルを置き去りに、姫君は続けた。
「あの者はその主に命じられ、心ならずも私の護衛をする破目になっただけです」
え。姫君の護衛騎士なんて、嫌々なるか?
不承不承に任を受ける騎士なんて、いる?
自分のことは棚に上げ、イアルは心中で突っ込む。
「本当なら、岩にしがみ付いてでもその主の傍に付いていたかったはずです。そのためにこそ家も名も、栄誉も将来も、何もかもを捨てたのですから」
ええーと。なんだか、話が逸れて来た……ような?
「こんなところで落命しては不本意でしょう。きっと死んでも死にきれない。私だって、あんな忠義者に怪我をさせたのは不本意です。ましてや死なれてしまってはますます不本意。それではあの者の主に、とても申し訳が立ちません」
はあ……話が、よく見えません。
予期せぬ会話の迷走に束の間、一同の緊張が解けた。そして、代わりに疑問の輪が広がっていく。
「忠義者、と仰せですか」
家宰殿はわざとゆったり髭を撫でた。
「はて。あの者が果たして忠義者でしょうかな。あなた様に不義理を働くような不埒者が?」
ついでに、家宰殿は姫君の神経の方も逆撫でする。
不義理――護衛騎士の不義理。さらには不埒者。言葉の響きが不穏過ぎて、物騒ですらある。この先を聞くのが怖い気がした。
「あの者は、あなた様を騙した」
家宰殿は断定した。イアルも他の者達も、咄嗟に息を呑む。
「謀を用いて、無理にもあなた様を修道院から引き戻した。そうでしたな?」
な――何ですと?
騙した? 謀? それに……引き戻すって? 修道院から? どこへ?
「あろうことか、やっと絶縁したはずのご実家へ」
絶縁……⁈
イアルの中で閃光のように何かが爆ぜて、一瞬だけ点滅した。
実家とは『とうに縁は切れている』――誰かも、そう言ってなかったか?
(ダメだ。今、何か大事なことを思い出し掛けたのに――捕まえられなかった)
話の展開が急過ぎるのだ。それに家宰殿から不穏な言葉がぽんぽん出て来る。
どの単語も不適切。過激に過ぎる。
「言わば、あなた様を売った者でございましょう。それをまだ庇われるとは――」
売った。姫様を――⁈
さすがに聞き捨てできない。とても捨て置けなかった。
「お館様は、あの者を斬り捨ててもよいと仰せになられた」
だが口を開きかけたイアルを、家宰殿のより厳しい追及が黙らせた。姫君の顔がサッと曇った。
「それをあなた様が、わざわざお館様に命乞いをしてやった。――そうでしたな?」
え。家宰殿、何を疑って……そんなの、絶対に邪推でしょう。
「ために、あの者はおめおめと生け捕られた。そう聞き及んでおりますぞ」
姫君は悲しそうだった。俯く目が昏い。こんな顔の姫君を見たくなかった。見ていられなかった。
「――あれは、あの者の責ではありません」
頼むから。ウチの姫様に、こんな顔をさせないでくれよ……
「命じられて、仕方なくやらされたことです。本来の主を守るために、否応なく選ばされた結果なのです」
「……あなた様とも、数年来の知己でございましたな。あの者は?」
家宰殿は怒っていた。静かに、確かに怒っていた。
「あなた様とて信用しておられた。だから賢いあなた様でも騙された。違いますか?」
決して姫君にではない。その借りものの護衛騎士に対して。深く激しく、怒っていたのだ。
「あの者は卑怯にも、その信用を裏切り――」
だが姫君はみなまで言わせなかった。
「選ばせる方が悪いのです」
キッと、姫君は顔を上げる。
「あの者は、無理強いされたに過ぎません。それだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」
姫君は家宰殿に異論の暇を与えなかった。
「惨い選択を迫られたのです。身命を捧げた唯一無二の主と、友である私。そのどちらかを選べと。あの者は悩み苦しみ、血を流す思いで主の方を選びました。それがすべてです。ですから、主を守ろうとしたあの者は忠義者です。何ひとつも、間違ってはおりません」
姫君は毅然と言い切った。護衛騎士を友と呼び、主を選ぶ忠義の友は間違っていないと肯定する。その態度に迷いはない。
ちょっと――いや、かなり吃驚した。おそらくその場の誰もが。
「――それに、もうじゅうぶんに報いは受けました」
姫君は真っ直ぐに家宰殿の目を見据えた。家宰殿もまた姫君を見詰めていた。
「選んだ結果、あの者は本来の主から怒りを買いました。挙げ句、騎士の誓いを突き返されたのです。そして私の護衛をするよう命じられた。命尽きるまでまっとうせよ、帰り来ること罷りならん。二度と戻るな。――生涯の誓いを立てた主から、そう言い渡されたのです」
身命を捧げた主――ああ、別の貴婦人なのだ。それがイアルにもわかった。
この姫君ではない、唯一無二の、絶対の存在。騎士が誓いを捧げた、生涯たった一人の相手。
――うわ、それ滅茶苦茶キツイ。それじゃあ何の為に、友だという姫様を裏切ったんだよ。
自分だったらとても立ち直れない。打ちのめされて再起不能になるだろう。
「その上、今またこうして見ず知らずの方にまで誹りを受けている。――罰ならば、もうじゅうぶんでございましょう」
家宰殿は押し黙った。姫君の凛々しい言葉の裏には、憐憫が滲んでいる。
なんだか、イアルにもその護衛騎士が哀れに思えてきた。
「選ばせる方が悪いのです」
姫君は繰り返し、そう断言した。
「何も有事ではありません。戦でも、飢饉でも、災害でもない。平時にあって、あんな一本気で律儀な者に、そんな選択を強いる者が悪いのです。強いた者こそその責を負うべきでしょう。誹りを受けるべきでしょう。どれほど身分が高かろうと、権力があろうと、上に立つ者がすることではありません」
しん……と皆、黙ってしまった。
姫君は、その護衛騎士を庇っている訳ではない。怒っているのだ。
その護衛騎士が、いや、下の立場の者達が逆らえないのを見越して、平然と理不尽を強いる権力に。忠義者の愚直さに付け込んで、犠牲を強いる狡猾さに。当然のように弱い者を踏み躙る、強者の傲慢さに。そして、今もまだ怒り続けているのだ。
きっと、自分もたくさんそんな目に遭ってきたから。同じ思いをしてきたからだ。イアルには痛い程よくわかった。




