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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第九章 凛々しいお姫様

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その男、デルソト


 「家宰殿」デルソト卿。

 辣腕で鳴らすその男は、エルンスト辺境伯家内の実務者頂点に立っている。


 元は一介の騎士に過ぎなかった。それが今では一身限定とは言え爵位持ちである。領内でも有名な立志伝中の人物だった。


 他家における家宰や執事長のような存在ではない。何せ、家宰「殿」なのだ。

その権限は単なる家内統括の長に留まらなかった。言うなれば城代。それもその筆頭位にいる。半ば独立国にも等しい西の辺境領の、宰相に相当する存在だと認識されていた。


(その御大が、わざわざ万障繰り合わせてまで出張って来てる)

 

 居間の空気は張り詰めていた。端で見守るゼフィネさんは終始無言で、イアルも黙って隅に控える。随行してきたシャールも、ラウルでさえも場の雰囲気にピリピリしていた。家宰殿はもう一人警護の者を従えて来ていたから、その騎士に敷地入口で立ち番を任せて、ラウルも勝手口から母屋内へ移動したのだ。

 

「姫君にはお変わりなく。ご機嫌麗しゅうお過ごしでしょうか」


 家宰殿は、顔だけならにこやかである。

こういうところはゼフィネさんと変わらない。対照的に、現侍女頭のサルダーニャはあまり笑わなかった。サルダーニャの片腕のイヴなんぞも倣っているつもりなのか、仕事中はにこりともしない。


「何か足りないものがございましたら、どうぞこちらのゼフィネ殿に仰ってください。使いをするこのシャールにお申し付けいただいても結構です」


 ゼフィネさんとシャールが、順に頷く。


「あなた様のことは、お館様から()()と承っておりますので」


 口ぶりも、あくまで穏やかだった。


「ここでのお暮しはご不自由でしょうが、暫くはご辛抱いただきますよう」


 ――長いな、前置き。


 家宰殿の意図するところ、そしてその底がイアルにはまるで見えない。

だがどうでもいい世間話をしに来たはずがなかった。


「――さて、姫君に置かれましては。何かお気になることはございますかな?」


 ほら来た、ここからが本題だ。

 姫君は少しだけ躊躇い、それから意を決したように言った。


「幾つか、お尋ねしたいことが。いえ、お聞きせねばならないことがあります。

よろしいですか?」

「――何なりと」


 小さい息を一つだけ。そっと吐いた後、姫君はきっぱりと尋いた。


「他の者は、どうなったのでしょう」


 いえ、姫君はすぐに言い直した。「他の者は、どうなりますか」


「……どう、とは?」


 今日の家宰殿はどうも意地が悪い。普段はこんなではない。一を聞いて十を知れる類の人間だ。恐ろしく先読み先回りがきく。お館様の短い言葉で言外の余白を察し、瞬時に意図されるところを悟って補える人物なのだ。それに言葉を飾る方でもなかった。人柄としてはむしろ、実直な方だろう。


 ああ――


 イアルにもわかった。


(家宰殿は値踏みに来たんだ。姫様を)


 わかった瞬間、イアルの口中に苦い味が広がった。

 西の辺境伯家の実権は、家宰殿が握っている。叩き上げで、現場もよく知っている。貧乏な騎士爵家の四男だか五男の生まれ。家を継げない平騎士から、知恵と才覚だけを頼りにまさに身一つで今の地位にまで昇り詰めた。

 何よりの功績は、辺境伯家を出て在野に下っていたお館様を見出して、当主に据えたことだろう。以来十余年、お館様と共に重責を担って荒廃した辺境領の復興に腕を揮い続けた。その尽力が認められ、一代限りとは言え男爵位まで賜っている。異例の出世である。じき永代の男爵になるのは確実だとも目されていた。


(姫様。大丈夫かな……)


 西の辺境伯家はこの家宰殿で持っている。不毛な後継争いでも潰れなかったのは家宰殿のお陰だし、立て直せたのも家宰殿あってのことだ。館内は無論、家内のこと、辺境領のことで、この家宰殿が掌握していないことなど一つもなかった。


「………」


 家宰殿は無言で姫君に続きを促す。けっこうな圧だ。

時として激情の血を滾らせるお館様に、恐れず諫言できるのは家宰殿だけである。お館様に忌憚なく物申し、お館様の決定に異議を唱えて翻させることができる唯一の人間。それが、このデルソト卿なのである。


「では、まず。私に供をしていた者達、その殆どが逃げ失せたと聞きました」


 姫君は、家宰殿を前にしてこう切り出した。


「――さようでございますな」


 ゲッ。ホントに逃げてたのかよ。なんのための随行だ。


 まったく公国貴族の連中ときたら。何が二大侯爵家だよ。ロクな供回りを揃えてないじゃないか。外野のイアルでさえ嘆かわしいと呆れてしまう。


「であれば。私に付随っていた者にも、こちらのお家の皆様にも、死人は一人も出ていない。心配な怪我人も殆ど居ない。――私はそのように承知しておりますが」


 何たる不忠。何たる無様。それなのにまず負傷者の有無を確認するあたり、姫様はさすがだなとイアルは思う。それに手強過ぎる御大を前に、一歩も引いていない。なんだか頼もしくも誇らしくも感じられた。


「――その通りでございます」


 ただ会話の行方については、イアルも皆も固唾を飲んで見守っている。

百戦錬磨の老練な家宰殿に、片やこの可憐な少女。単なる護衛に過ぎないイアルは、黙って聞いているしかなかった。たとえどんなにもどかしくても。


「怪我人は、ごく軽傷の方が数名。酷い怪我をしたのは唯一人だけ。――そうなのですね?」


 ここでラウルが僅かに視線を逸らした。気付いたが、イアルは流しておく。


「仰せの通りです」

「そして斬り合いで怪我をしたその唯一人とは、私の護衛騎士。お間違いありませんか」

「――間違いございません」


 居合わせた全員にピリリと緊張が走った。

姫君と護衛騎士――それはたぶん、あまり嬉しい組み合わせではない。


「それは……癒える傷なのでしょうか」

「―――その護衛騎士が、お気に掛かりますのか」


 家宰殿の声音が心なしか硬い。無理もない。先の奥方様のことがある。誰もが嫌な連想をしてしまう。


「ええ」


 だが、姫君は淡々と答えた。「あれは、借りものですから」


「――なんと?」


 意外過ぎた切り返しに、家宰殿が思わず訊き返した。


「聞き間違いですかな。借りもの――と姫君は仰せですか? あの護衛騎士を?」


 はい。姫君は力強く頷いた。


「借りものです。いいえ、預かりものでしょうか。あの者には、きちんと別の主があるのです」



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