夢見る頃とか、たぶん過ぎてる? (1)
「美しい分だけ、絹には数多の蚕の命が捧げられておりますものね」
「ええ。本当に」
イアルは依然微妙な顔をしていたが、姫君はとっとと話を進めた。
「それに惜しみない人の手間暇の賜物でもある。第一関門の桑だってどこでもは育たない。蚕を養うだけの桑を確保するのもタイヘンなのに、そこを突破してもまだ幾つも課題があると言うわ」
ゼフィネさんも頷いていた。
「蚕自体があまり丈夫な生き物ではないみたい。あまり乾燥した環境だと、すぐに死んでしまうのですって。繭を作る大きさまで育てるのは、それは骨が折れるのだとか」
そう――なんだ。
「さらに繭から糸を取るにも、大量の水が要る。養蚕は東の皇国以外でもできるけれど、産業として興すにはそれなりの条件が揃わないと。実際にはいつでもどこでも、ってわけにはいかないわ」
――ホントに何でもかんでも、よくご存じだ。
「だから蓄積された知恵と経験が大事なのね」
絹の生産工程はずっと国外秘で、養蚕技術自体が門外不出の専門知識だったと姫君は教えてくれた。長い間、東の皇国だけの独占で切り札だったと。
「その昔は国禁だったのに。きっと戦乱や何かで、養蚕に熟練した人材もごっそり国外流出してしまったのでしょうね」
「え」
しれっと言うけど……ソレ、大惨事では?
「流出……まるっと、出ちゃったんですか?」
その専売特許が? ええ、そうよ。姫君はサクッと肯定する。
うわあ。東方ではそんなことが起きていたのか。
「――エラいことじゃあないですかっ」
それがいかにヤバい事態なのかは、イアルにもわかる。
かつては西の辺境領でも、良いワインを造る秘訣は大事に守られていた。
ワインの醸造技術流出には非常に敏感で、神経を尖らせていたのだ。
ワインの味は原料の葡萄によるところが大きいが、職人によって仕上がりには雲泥の差が出る。だから最高級品種である『人魚のワイン』を造れる職人は、絶対に領外へは出さなかった。なのに先代末期からの動乱でその伝統が崩れた。
優秀な職人が根刮ぎ散逸してしまったのだ。
そして十数年以上を経た現在でも、伝説の『人魚のワイン』は未だ復活していない。神話の昔、飲めば人魚でさえ人の女に姿を変えたと云う、幻の逸品である。
領主家の蔵にごく僅かに現存しているという噂はあるが、どうせ眉唾だろう。
「そうよ。エラいこと。ヘタすると国難」
姫君は淡々と続けた。
「でも、もう大昔。何世紀も前のことだから」
「え……」
今日のイアルはかなり口数が多い。普段はこんなに喋らないし、会話も続かない。
「て――ダイジョウブだったんですか?」
姫君はイアルにこの物知らずめ、みたいな態度は取らなかった。
何を聞いても許されそうな気がする。多少言葉が不適切でも、叱られたりもしなそうだ。それで安心して聞けた。
「まさか。ダイジョウブじゃなかったと思うわ。持ち出し即死罪だもの」
姫君はさらりと言う。
「だって貿易の柱で目玉、稼ぎ頭なのよ? 持ち出しなんて発覚すればタダでは済まない。一族郎党、漏れなく連座させられて女子供まで悉く死罪になってたって」
「い、一族郎党……」
凄まじいな。
当地のお館様も苛烈だが、ひと頃と違ってもうそうそう大量処刑なんぞはなさらない。最近では、重罪人でもせいぜいが僻地の岩塩鉱に送り込まれて終身強制労働とかだろう。まして係累皆引っ括って同罪で極刑だなんて。
(そりゃ、昔は壮絶におっかなかったけど)
お館様に代替わりした頃、西の辺境領では連日公開処刑が行われていた。
捕えた端から野盗や奴隷商達を処刑していたからだ。ほぼ毎日だったから、じきに珍しい見世物ではなくなり、広場には次第に見物人も集まらなくなってしまった。要は見飽きたのだ。
あの時分には刑場だろうが領境だろうが、あちこち首や刑死体で溢れていた。
イアル達子供でさえ怯えていたのは最初の方だけで、やがては慣れた。
辺境領の者達は感覚が麻痺していたのかもしれない。
たまたま奴隷商の元締めに女がいて、お館様はその首まで容赦なく落としてみせたのだが、領民達は別に何とも思わなかった。なのにそれが話題になったのは、王家と大公家が「見せしめでもやりすぎだ」と厳重注意を寄越したからである。
ドミネ教会もギャンギャン言ってたんだっけ?
「見せしめ――でしょうね。問答無用で乳飲み子まで処刑したと記録にあるらしいから」
「ち、乳飲み子まで……」
そんなお館様だが、女子供まで連座させたりはしない。
それに昨今は公開処刑自体がめっきり減った。それは教会が喧しいからではない。王家や大公家を憚ったわけでもない。単にじゅうぶん治安が回復されたからだ。
「大昔なら、それでもそれなりに抑止効果が働いていたのかしら……」
えええ……聞いているだけでイアルはげんなりする。苛烈どころではなかった。
てか記録って、ドコの?
姫君はまるで世間話みたいに分析する。
「でもどうしても、あそこは周期的に国の箍が緩んじゃう時期があるみたい。
王朝が斃れて交替する頃とか。で、そういう虚を突かれて、遺憾な漏れが生じてしまうのかしらね。ほら、東の皇国って何百年か置きに王朝が交替してるから。
そういう間隙を狙われるのかも」
へえ。数千年もの歴史を誇る高度文明の先進地。東の皇国って、ずっと同じ王統とかでもないのか。
何だか。どれも初耳話ばかり。
情報量の多さにイアルは混乱した。それにしても、なんでこんなによくご存知なのだろうか。自分は咄嗟に頭がついて行かないというのに。
「そして国禁の技術が持ち出されて、他の国々にまで伝わってしまった。体制さえしっかりしていれば関所が機能して国外流出を未然に防げたのでしょうけれど」
遠い遠い昔、しかも遥か遠い他国のことなのに。なんで詳しいんだろう?
「バレたら、即死罪。不埒な輩はともかく、身内まで軒並み巻き添えで処刑。
それが徹底してる時代には無謀な卵泥棒もそうそう出なかったのだとか。皇国的には末代までの痛恨の極み……だったでしょうね」
「卵泥棒――」
「ええ。まあ有り体に言えば、盗まれたのね。養蚕技術と蚕の卵をごっそり。
行先の方は色々みたいよ。たとえばオアシスの国々。それと今のエドナ」
列挙する姫君に、ゼフィネさんも頻りに頷く。
「エドナも――?」
「ええ。今では新興の産地みたいに思われているけれど、実はけっこう歴史があるの。だって、卵泥棒を公称した最初の国だもの」
「え。そう……なんですか?」
「ええ。かつては一大産地だったのよ。古くはセリカ――絹の国と呼ばれたくらい。ただ、長いこと産業としては途絶えていたのですって。なんでも疫病が最初に大流行した時代に国を閉じてしまって、その間に養蚕に従事する人口を維持できなくなったとか。それですっかり先細ってしまったって聞いたことがあるわ」
疫病の大流行のことならイアルも知っている。
といっても、最初ではなく最近のだが。まだ数十年くらい前の話である。
方々で猖獗を極め、大陸の西半分に甚大な被害を出したそうだ。
バタバタ人が死んで、中には全滅した村々も少なくなかったと聞く。
西の辺境領は他所より比較的にもマシだったようだが、それでも大勢が亡くなった。ここが例外的に少ない被害で済んだのは、アル湖と特産の石鹸のおかげなのだと言われている。
常に綺麗な飲み水を確保できたし、適宜手洗いをする習慣が根付いていた。
加えて、下水を不用意に垂れ流させない仕組みが整ってもいたからだと。
だけど。
(……エドナって。弱小国だとばかり思ってた)
「さらにエドナは大きな戦に巻き込まれて敗戦を喫した。以降、領土の大半を失ったまま国力が戻らない。そう考えられているでしょう?」
あれはあくまで、言ってるだけの名ばかり独立国。
自称王国でも、その実は北の王国と南の帝国の二重支配を受ける最弱地帯。
治めてるらしい王家も称号だけで、普通の領主家以下じゃないかと小バカにされていたのだ。




