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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第八章 愛称はお姫様

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絹の来た道 ~虫から……ですか?


 「あら。そんな驚くこと?」


 姫君はさも不思議そうに首を傾げた。虫染めの真紅(スカーレット)……でも、抵抗はないらしい。妙齢女子なのに、虫とか平気なのだろうか? イアルの方が不思議である。


「あ。もしかして抵抗がある? 生き物の命を染めの道具に使うから」

「え。いえ……」


 別に、そういうわけでは。口ごもるイアルを、気付けばゼフィネさんが見ている。面白がられてんな、これ。


「そうよね。食べるものだけでなく、人間は服飾にまで生き物の命を頂いている。そういう罪深い技で社会を成り立たせているものね」


 いえ。別にそうたいそうなものでは。てか、まだ虫ネタ続いたりしますか?


「ほら。たとえば絹からして虫からできるじゃない?」

「え――」

「だって絹って、蚕という虫が吐く糸から織って作るワケでしょ」

「カ、イ……コ?」

「ええ、そうよ。蚕」

「………」

「まあ産地以外ではあんまり見ないわよね。私も実物は見たことないし」

「―――……」

「言うなれば――そうね。特大の芋虫、みたいなものかしら」

「いも、虫……」

 

 芋虫。虫か。やっぱり虫なのか。イアルには軽く衝撃でさえあった。もうさっきから刺激強過ぎ。しかも特大って……うげ。


「そこは蛾の幼虫だから。わりと大きな蛾ね」

「蛾……」


 アレか。時たま、運が悪いと南部の山や藪なんぞで大群と遭遇する羽虫。イアル的には粉粉撒き散らかすのが気色悪いのだが、特に毒とかではないらしい。確か、鱗粉ってシロモノだ。 


(あれはまだ小さいけど――東の方には、やたらデカい蛾もいるって聞いたことある)


 幸いにして、伝聞のまた聞きにしかイアルは知らない。けど大きい蛾って。もう想像しただけで……エグッ。


「そうね。蝶の一種だとでも思えば。蝶なら平気でしょ?」

「………」


 平気じゃないです。それに一緒じゃないと思う。絶対。


 イアルは夏場に領内河川で見るカゲロウの群さえ好きではなかった。人によっては「さながら夏の雪のよう」とか優雅な喩えをされる風物詩だが、イアルは間違ってもそんな感想を抱いたことはない。


「ともかく、高級服飾素材の絹だって虫のおかげで出来るのよ」


 だからそんな顔しないで。ますますうげげとなったイアルがゼフィネさんを見ると小さく頷いている。


 ――え? ご存知でしたか? てか、知らなかったの俺だけ? コレって、もしか常識だったりするの?


「そう言えば。絹の輸入量って、ご当地でも回復したのですか」


 イアルの顔から拒絶感が拭えていなかったのだろう。姫君は、今度はゼフィネさんの方へ話を振った。


「そうですわねえ……まあ、ひと頃よりは。以前は良い絹が入らず難儀したものですけれど」


 一時期は東方との交易そのものが途絶えていたせいである。

 それで絹がとんでもない超高級品になってしまった。絹の原産地である遥か遠い東の皇国で王朝が交替したためだが、混乱期における政情不穏のあおりで長いこと隊商が交易路を通れなかったのだ。大陸の東の端で新政権が体制として安定するまで、シャレにならないくらい治安が悪化していたらしい。

 何処も同じだが、ヒトとモノの往来を盛んにするのが国を富ませる礎になる。

それだから新王朝も、交易路の安全確保には真っ先に取り組んだようだ。


(まさにああいうカンジだよな)


 この地でも、お館様が同じことをやった。東方と同じ理屈だ。当主に就くなり苛烈な治安回復手段に出て、辺境領内に安全を取り戻した。そして、そこへ新街道を敷いた。莫大な借財の上に強行した、大博奕みたいな公共事業だった。

 さしもの肝が据わった家宰殿さえ目を剥いたそうだが、その新街道が今、周り回って西の辺境領を潤わせている。

 ココは本来は国境地帯だから、従前からヒトもモノも活発に行き交う地だったのだ。だが内乱のせいで、領全体が疲弊して虫の息になってしまった。たとえ激烈でも確実に治安を回復させる処置を講じて、往時の交易をも復活させたのは当代お館様である。再び商人達を呼び戻したのは、お館様の手腕だった。


「ああ……」

「ただ、やはり東のものは依然品薄ですわね」

「まあ、やっぱり? では、こちらでも引き続きオアシス諸国から絹を?」

「いえ。最近では、もっと近い別産地の絹が手に入るようになりました。昨今ではむしろ、エドナ産の流通量が増えておりますわ。もっとも品質の方は本家本元には遠く及ばないという評判ですけれど」

 

 女性二人はサクサク、スース―話が通じているようだったが、イアルの頭には素朴な疑問が浮かぶ。


 え? 絹って、そもそも全部が東から来るんじゃないの? だって東方の特産品なんだろ??


「あの――絹って、東の国以外でも作れるんですか?」


 絹は東の皇国の独産布。あの光沢は、文化の香り高い東方の神秘の輝き――じゃあなかったのか?


 なのに、姫君はあっさりと言う。


「作れるわよ。蚕に食べさせる桑さえ育てば、養蚕は出来るわ。だから他の場所……オアシス諸国やエドナでも広まったのよ」

「へ?」


 素で反応し過ぎたイアルは、ゼフィネさんに軽く睨まれた。


「あの。クワ? それにヨウ……サ、ンって??」

 

 だがここはやっぱり聞いてみる。知らないことは聞く。聞ける時には、イアルは思い切ってなるべく聞こうと決めている。だって聞いた方が早い。知ったかぶりすると後でメチャクチャ恥をかく。それのが余計に恥ずかしい。自分が物知らずなことを、イアルはきちんと自覚していた。


 『え? そこからなの?』


 イヴにはよく呆れられる。姫君も呆れたろうか。

 イヴからはしょっちゅう『アンタには生きる技術(アルテ)が足りない』とか貶されもするのだが、それはつまり自分には世間知が足りないということだと、イアルは解釈していた。なので、なるべく解消する努力をする。イアル的にはしているつもりだ。だからわからない時は、とりあえず聞いておく。


「あ。ごめんなさい。そうよね、聞き慣れない単語だものね」


 だが姫君は、呆れたりはしなかった。イヴのように『そんなことも知らないで、よく生きてこれたね』とか言い募ったりもせず、別にバカにもしなかった。むしろ懇切丁寧に教えてくれる。


「桑というのは植物の一種。青々とした葉を付ける木よ。それが蚕に与える唯一の餌になるの。養蚕とは蚕を飼うこと。絹の素である蚕を養い育てるから養蚕。そういう言い方をするの」


 よくご存じだなあ。それにわかりやすい。イアルは感心した。


「絹地が出来上がるまでには複雑な工程があるけれど、理屈としては一定の条件があれば養蚕自体は可能とされているの。もちろん技術は必要よ。でも要は桑という植物ね。蚕は桑の葉しか食べないから」


 こういうことって、たぶん辺境領の農政記録には載ってない気がする。

何処で教わるんだろうか。修道院て浮世離れしてる印象があるけど。淑女教育でも養蚕なんて習わないだろうにと、イアルは内心で舌を巻いた。


「ものすごく大ざっぱにまとめてしまうとね。まず蚕を卵から孵して、幼虫が繭を作る大きさになるまで育てるのね」


 イアルが得心するのを確かめながら、姫君はゆっくり解説してくれる。


「で、大きくなって繭を作ったら、それが羽化する前に繭ごと煮てしまう。その繭から糸を取るの。その糸を織り上げて布地にする。絹はそうしてできるのよ」


 虫入りのまま、繭を煮る……? しかもそこそこデカいのを。


「つまり絹を布にするには、その繭が大量に必要になるということ。だから産地では、繭になる蚕をとにかくたくさん養ってる」

「………」


 うぐぐ。大量の虫。ダメだ、想像したくない。


 世の女性の憧れ、柔らかく光る絹。

あれが、虫が吐く糸だって――? うへえ。殆どの女性は、おそらく虫を嫌いだよな? 蛾が作るって知っても、絹の人気は衰えないものだろうか。


 美に対する女性の度量って、どこまで広く大きくなるのか。恐るべしだとイアルは思った。



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