苦手なモノはなんですか?
「イアルって……もしや小さい虫が苦手だったりするのかしら?」
姫君はさも不思議そうに首を傾げた。
真紅が虫染めでも、何ら抵抗はないらしい。妙齢女子なのに。虫とか平気なのだろうか? イアルの方が不思議である。
「え」
「ホラ。時々、生理的に受け付けない方もいらっしゃるから。蟻とかアブラ虫とか蜘蛛の子とか。小さいのがうじゃうじゃしてると気色悪い、って」
(げっ。連打で来ますか?)
イアルは夏場に領内河川で見るカゲロウの群さえ好きではなかった。
人によっては「さながら夏の雪のよう」とか優雅な喩えをされる風物詩だが、間違ってもそんな感想を抱いたことはない。
「いえ。そんなことはありません」
だがきっぱり強がって見せておく。何の虫ごとき。護衛騎士が怯んでたまるか。
「もしかして――虫全般がキライ?」
「え……」
「さっきも真紅の話で凄い顔をしてたわ」
べ、別にそういうわけでは。口ごもるイアルをゼフィネさんが見ていた。
面白がられてんな、コレ。
「そうね。生き物の命を染めの道具に使うのだもの。私も抵抗がないわけではないけれど」
「え。いえ……」
「そうよね。皆が好きな蜂蜜だって、人間は虫の上前を撥ねている。けれど食べ物だけでなく服飾にまで生き物の命を奪うなんて。罪深いことだと思うわ」
いえ。そうたいそうなものでは。てか、まだ虫ネタ続いたりしますか?
「あと――たとえば絹にしても、虫の命を貰ってできるじゃない?」
「え――」
「え? そんな驚く?」
なんか楽しそうだな? チラ見するにゼフィネさんはもっと楽し気である。
「だって絹は、蚕という虫が吐く糸から織って作るのよ?」
嘘。瞬時イアルは耳を疑う。相手がイヴならのっけから嘘だと思う話だ。
コレ、もしか目からウロコ的な話?
「カ、イ……コ?」
「ええ、そうよ。蚕」
「………」
「まあ産地以外ではあんまり見ないわよね。私も実物は見たことないし」
「―――……」
「言うなれば――そうね。特大の芋虫、みたいなものかしら」
「いも、虫……」
芋虫。虫か。やっぱり虫なのか。イアルには軽く衝撃でさえあった。
もうさっきから刺激強過ぎ。しかも特大って……うげ。
「そこそこ大きいかな。わりと大きな蛾の幼虫だから」
「蛾……」
アレか。時たま、運が悪いと南部の山や藪なんぞで大群と遭遇する羽虫。
イアル的には粉粉撒き散らかすのが気色悪いのだが、特に毒とかではないらしい。確か、鱗粉ってシロモノだ。
(アレはまだ小さいけど。東方には、やたらデカい蛾もいるって聞いたことある)
幸いにして、伝聞のまた聞きにしかイアルは知らない。
けどもう想像しただけで……エグッ。
「あ。蝶の一種だとでも思えば? 蝶なら平気でしょ?」
「………」
平気じゃないです。それに一緒じゃないと思う。絶対。
「ともかく、高級服飾素材の絹だって虫の恩恵なのよ」
もう、そんな顔しないで。
ますますうげげとなったイアルがゼフィネさんを見ると、小さく頷いている。
――え? ご存知でしたか? てか、知らなかったの俺だけ?
「まあ、殿方だと……仕方ないかしらね」
この家の女主人はお優しかった。
(コレって、もしか常識だったりするの?)
自分が物知らずなことを、イアルはきちんと自覚している。
常日頃からイヴに指摘され、露骨にバカにされ扱き下ろされてもいた。
「そう言えば。絹の輸入量って、ご当地でも回復したのですか」
イアルの顔から生理的拒否感が拭えていなかったのだろう。
姫君はサッサと虫から離れ、ゼフィネさんへと話を振った。
「そうですわねえ……まあひと頃よりは。以前は良い絹が入らず難儀したものですけれど」
一時期は東方との交易そのものが途絶えていた。
それで絹がとんでもない超高級品になってしまった。絹の原産地である遥か遠い東の皇国で王朝が交替したためだ。混乱期における政情不穏のあおりで、事実上、交易路が閉ざされていたのだ。大陸の東の端で新政権が体制として安定するまで、隊商が通れないくらい治安が悪化していたらしい。
(……ココも、おんなじだったよな)
いつでも何処でも、ヒトとモノの往来を盛んにするのが国を富ませる礎になる。それだから新王朝も、交易路の安全確保には真っ先に取り組んだのだ。
この地でも、お館様が同じことをやった。
東方と同じ理屈だ。
当主に就くなり苛烈な治安回復手段に出て、辺境領内に平穏を取り戻した。
そして、そこへ新街道を敷いた。莫大な借財の上に強行した、大博奕みたいな公共事業だった。
さしもの肝が据わった家宰殿さえ目を剥いたそうだが、その新街道が今、周り回って西の辺境領を潤わせている。
ここは国境地帯だから、本来はヒトもモノも活発に行き交っていたのだ。
だが内乱のせいで、領全体が疲弊して虫の息になってしまった。
激烈でも確実な処置を講じて、再び商人達を呼び戻したのはお館様の手腕である。結果、往時以上の交易を復活させたのだから。
「ただ、やはり東のものは依然品薄ですわね」
「まあ、やはり? では、こちらでも引き続きオアシス諸国から絹を?」
「いえ。最近では、もっと近い別産地の絹が手に入るようになりました。昨今ではむしろ、エドナ産の流通量が増えておりますわ。もっとも品質の方は本家本元には遠く及ばないという評判ですけれど」
女性二人はサクサク、スース―話が通じているようだったが、イアルの頭には新たな疑問が浮かぶ。
え? 絹って、そもそも全部が東から来るんじゃないの?
だって東方の特産品なんだろ??
「あの――絹って、東の国以外でも作れるんですか?」
絹は東の皇国の独産布。
あの光沢は、文化の香り高い東方の神秘の輝き――じゃあなかったのか?
なのに、姫君はあっさりと言う。
「作れるわよ。桑の木さえ育てば養蚕は出来る。だから他の場所――オアシス諸国やエドナでも広まったのよ」
「へ?」
素で反応し過ぎたイアルは、ゼフィネさんに軽く睨まれた。
「あの。クワ? それにヨウ……サ、ンって??」
だがここはやっぱり聞いてみる。知らないことは聞く。聞ける時には思い切って聞こうと、イアルは決めている。だって聞いた方が早い。知ったかぶりすると後でメチャクチャ恥をかく。それのが余計に恥ずかしい。
『え? そこからなの?』
イヴにはよく呆れられる。しょっちゅう『アンタには生きる技術が足りない』と貶される。つまり自分には世間知が足りないのだなと、イアルは解釈していた。
なので、なるべく解消する努力をする。自分的にはしているつもりだ。
(とりあえずわからないことは質問しとこう。姫様も呆れたかも、だけど)
「あ。ごめんなさい。そうよね、聞き慣れない単語だものね」
だが姫君は呆れたりしなかった。イヴのように『そんなことも知らないで、よく生きてこれたね』とか言い募ったりもせず、むしろ懇切丁寧に教えてくれた。
「桑というのは植物の種類。青々とした葉を付けて、それを蚕に与えるの。
養蚕とは蚕を飼うこと。蚕を養い育てるから養蚕。そういう言い方をするの」
わかりやすい。それによくご存じだなあ。イアルは感心した。
「理屈としては一定の条件があれば養蚕自体は可能とされている。もちろん技術は必要よ。でもまずは桑の確保ね。蚕は他の葉は食べないから」
イアルは内心で舌を巻いた。
こういうことって、たぶん辺境領の農政記録には載ってない気がする。
どこで教わるんだろうか。修道院て何気に浮世離れしてる印象があるけど。
淑女教育でも習わないと思う。
「絹地が出来上がるまでには複雑な工程があるのだけれど、ものすごく大ざっぱにまとめてしまうとね。まず蚕を卵から孵して、幼虫が繭を作る大きさになるまで育てるのね」
イアルが得心するのを確かめながら、姫君はゆっくり解説する。
「で、大きくなって繭を作ったら、それが羽化する前に繭ごと煮てしまう。その繭から糸を取るの。その糸を織り上げて布地にする。絹はそうしてできるのよ」
虫入りのまま、繭を煮る……? しかもそこそこデカいのを。
「つまり絹を布にするには、その繭が大量に必要になるということ。だから産地では、繭になる蚕をとにかくたくさん飼ってる」
「………」
うぐぐ。大量の虫。ダメだ、ムリ。
世の女性の憧れ、柔らかく光る絹。あれが、虫が吐く糸だって――?
うへえ。おそらく殆どの女性は虫を嫌いだよな?
蛾が作るって知っても、絹の人気は衰えないのだろうか。
美に対する女性の度量って、どこまで広く大きくなるのか。
恐るべしだとイアルは思った。




