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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第八章 愛称はお姫様

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アーロに網を掛けましょう


 「ひと休み致しましょうか」


 だがこの日は、姫君がイアルのプレイスマットに取り掛かる前に休憩に入った。居間で針仕事をするので、道具をそのままにして台所で午後のお茶を飲む。ここ最近はもっぱらそんなカンジだ。

 気付けば、勧められるまま三度に一度はイアルも腰を下ろして御相伴している。心なしかハーブティーも美味しく感じられるような。慣れというのはオソロシイ。知らぬ間に流されている気がして、イアルは少々戸惑いを覚えてしまう。


「――あれがアーロ、ですか?」


 姫君が窓辺の小さな鉢を示して聞いた。見た目はイカツイ、ギザギザの植物。

だが家庭にあると助かる。軽い火傷には特効薬なので、台所近辺に置かれることが多い。


「ええ。さようでございます」

「初めて見ました。ここに来るまでは知りませんでした」


 姫君はたぶん好奇心が強いのだ。こんな不格好なアーロにも興味を持つんだ。

やっぱちょっと変わってる。


 まあ辺境領でなきゃあ見ないだろうなと、イアルは妙に納得した。

中原――中央の地は相対に痩せていて、あまり作物の実りもよろしくないと聞いたことがある。荒れ地でも枯れにくいアーロなら、何処でも育つのかな。


(いや、ダメか。クソ寒いらしいもんな、あの一帯)


 辺境領民の常として、イアルは寒いのが苦手である。というか嫌いだ。

暑いのはまだいいが、寒いのだけは勘弁である。寒いところ、まして雪が降るところなんて行きたくないし、絶対に住みたくない。だからイアルだけでなく大方の辺境領民は、北の王国の民でなくてよかったと思っている。年の半分以上も雪に閉ざされて身動きできない土地なんて、頼まれたって御免なのだ。

 お館様からして、公都さえ『寒くてかなわん』と行きたがらない。前回の伺候は秋、それも雪が降る前にとっとと戻られたはずだが、二度とお厭みたいである。

理由は他にもあるだろうが、同時期の王都よりもマシな気候のはずではあった。


 ――姫君も、やっぱり帰りたいとか思うんだろうか。


 会いたい人間の一人二人くらいはいるよな。そういうアレコレを考え始めると、またしても顔に出そうになる。少なくとも日中に近侍している間はやめとこうと、イアルは思った。


「お借りした農政記録にあったのですけれど――」


 姫君はイアルとゼフィネさんの両方を見ながら言った。


「南方の作物を育ててみた年を振り返る記載でした。やはり急な霜でダメになってしまって、とりあえず間に合わせで前の晩に古いシーツを被せておいた部分だけが助かった、と書かれていたのです」

「あ、ら……そうなのですか」

「けれどシーツだけだと心許なかった。第一、風で飛んでしまう。後で考えたら、湖岸の漁師さん達から棄てる網でも貰っておいたら、二重に覆いができたろうに。――そう書かれていたのです」

「まあ――」

 

 ゼフィネさんは少し考えた。イアルも考えてみた。意外と妙案かもしれない。

廃網なら無料(タダ)でくれるだろうし、ざくっと網を掛けておくだけなら大して手も取られない。急ごしらえの予防策としては上等ではないか。


「よいと思います」


 ゼフィネさんより先にイアルが答えてしまい、暫し焦った。だが姫君の顔はぱあっと明るくなり、ゼフィネさんも怒らなかった。


「そうね。良いかもしれない。次にフィルが来たら伝えてみましょう」


 フィル。ジョシュ爺さんの利口な孫だな。食材配達の時、あの子を捕まえるのは難しそうだ。となれば、俺の出番か。


「ただ、アーロについての記述ではないと思うのですけれど……」

「構いませんでしょう。物は試し。大した手間でもありませんもの。ダメで元々ですわよ」


 ゼフィネさんはは柔らかく微笑んだ。

何にせよ否定せず、他所の人間の意見でも聞く耳を持つのが辺境領気質だ。色んな土地から色んな人間が寄り集まる地ならではである。辺境と呼ばれていても精神は柔軟で、偏狭者はあまりいない。


(段々とココに馴染んでこられたのかな)


 イアルはふとそんな風に思った。

どの道、姫君は帰れない。実家が迎えに来ることなどないのだろうが、郷里に返すこと自体が危険である。順当に考えて、二度と帰郷することはかなわないだろう。


 ――それなら、この辺境領を好きになって欲しい。


 少しでも気がまぎれるように。淋しさが軽くなるように。心安らかに暮らせるように。イアルはそんな願いを抱いた。



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