アーロに網を掛けましょう
「ひと休み致しましょうか」
だがこの日は、姫君がイアルのプレイスマットに取り掛かる前に休憩に入った。居間では針仕事をするので、道具をそのままにして午後のお茶は台所で飲む。ここ最近はもっぱらそんなカンジだ。
気付けば、勧められるまま三度に一度はイアルも腰を下ろして御相伴している。心なしかハーブティーも美味しく感じられるような。慣れというのはオソロシイ。知らぬ間に流されている気がして、少々戸惑いを覚えてしまうイアルである。
「――あれがアーロ、ですか?」
姫君が窓辺の小さな鉢を示して聞いた。見た目はイカツイ、ギザギザの植物。
だが家庭にあると助かる。軽い火傷には特効薬なので、台所近辺に置かれることが多い。
「ええ。さようでございます」
「初めて見ました。ここに来るまでは知りませんでした」
こんな不格好なアーロにも興味を持つんだ。やっぱ姫様はちょっと変わってる。
まあ辺境領でなきゃあこんなの見ないだろしなと、イアルは妙に納得もした。
ここは西海と密接な付き合いがあるから、珍しい植物だって普通に入って来る。
大陸最西端の海岸地帯にあるのは塩田だけではなかった。大きな港だってあるのだ。西海は貿易も盛んで、港には南の帝国の、ひいては帝国へ集まる天下の産物が運ばれてくる。辺境領には西海を経由して、狭い王国圏では思いもよらないモノがもたらされていた。
(西海の港での貿易のことを知れば、きっと色々聞きたがるだろうな)
姫君はたぶん何でも知りたがる。
保守的閉鎖的な土地柄であっても、快活で好奇心旺盛な気質は育めるものらしい。
だがイアルに語れることは多くない。貿易とか西海との関係とか、そういうのはお館様と再会してからのお楽しみ……とでも、しておいてもらうしかなかった。
果たして、そんな日がいつ来るのかは別として。
まあアーロのことなら、イアルだって少しはわかる。ゼフィネさん以上の知識はないけれども。
中原――中央の地は相対に痩せていて、あまり作物の実りもよろしくないと聞いたことがある。荒れ地でも枯れにくいアーロなら、何処でも育つのだろうか。
(いや、ダメか。クソ寒いらしいもんな、あの一帯)
アーロに寒さは大敵だ。ついでにイアルにとっても難敵。
辺境領民の常として、イアルは寒いのが苦手である。というか嫌いなのだ。
暑いのはまだいいが、寒いのだけは勘弁である。寒い所、まして雪が降る所なんて行きたくないし、絶対に住みたくない。
これはイアルだけでなく、大方の辺境領民に共通する傾向である。
みんな北の王国の民でなくてよかったと考えている。年の半分以上も雪に閉ざされて身動きできない土地なんて、頼まれたって御免だと思うからだ。
だいたいお館様からして、公都さえ『寒くてかなわん』と行きたがらない。
前回の伺候は数年前の秋。それも雪が降る前にとっとと戻られたはずだが、二度とおイヤみたいである。厭う理由は他にもあるだろうが、同時期の王都よりもマシな気候のはずではあった。
――姫様は、やっぱり帰りたいとか思うんだろうか。
だって故郷だ。クソ寒くても、たとえ良い想い出一つなさそうでも。
会いたい人間の一人二人くらいはいるよな。友達とかも。
そういうアレコレを考え始めると、またしても不用意に顔に出そうになる。
少なくとも日中に近侍している間はやめとこうと、イアルは思った。
「お借りした農政記録にあったのですけれど――」
姫君はイアルとゼフィネさんの両方を見ながら言った。
「南方の作物を育ててみた年を振り返る記載でした。やはり急な霜で寒さに弱い作物がダメになってしまって、とりあえず間に合わせで前の晩に古いシーツを被せておいた部分だけが助かった、と書かれていたのです」
「あ、ら……そうなのですか」
「けれどシーツだけだと心許なかった。第一、風で飛んでしまう。後で考えたら、湖岸の漁師さん達から棄てる網でも貰っておいたら、二重に覆いができたろうに。――結びには、そう書き添えられておりました」
「まあ――」
「それで。その方法を、アーロの霜除けの工夫に応用できないかと思ったのです。ほら、先日いらしたお爺さんの畑に。同じようにシーツと網を掛けてみたら、と」
(え。そんな方法が?)
ゼフィネさんは少し考えていた。イアルも考えてみた。
意外と妙案かもしれない。廃網なら無料でくれるだろうし、ざくっと網を掛けておくだけなら大して手も取られない。急ごしらえの予防策としては上等ではないか。
「よいと思います」
ゼフィネさんより先に答えてしまって、イアルは暫し焦った。だが姫君の顔はぱあっと明るくなり、ゼフィネさんも頷いた。咎められもしなかった。
「そうね。良いかもしれない。次にフィルが来たら伝えてみましょう」
フィル。ジョシュ爺さんの利口な孫だな。食材配達の時、あの子を捕まえるのは難しそうだ。となれば、俺の出番か。
「ただ、アーロについての記述ではないと思うのですけれど……」
「構いませんでしょう。物は試し。大した手間でもありませんもの。ダメで元々ですわよ」
ゼフィネさんは柔らかく微笑んだ。
何にせよ否定せず、他所の人間の意見でも聞く耳を持つのが辺境領気質だ。
色んな土地から色んな人間が寄り集まる地ならではである。辺境と呼ばれていても精神は柔軟で、その実、偏狭者などあんまりいない。
(姫様……段々とココに馴染んでこられたのかな)
イアルはふとそんな風に思った。
どの道、姫君は帰れない。実家が迎えに来ることなどないのだろうが、郷里に返すこと自体が危険である。順当に考えて、二度と帰郷することはかなわないだろう。
――それなら、この辺境領を好きになって欲しい。
少しでも気がまぎれるように。淋しさが軽くなるように。心安らかに暮らせるように。イアルはひっそりとそんな願いを抱いた。




