イニシャルはE(とR)
「まあ――」
ゼフィネさんの声が暫し華やぐ。姫君の手仕事第一号、この家の女主人に捧げるプレイスマットが出来上がっていた。
「なんと愛らしいこと……とても素敵ですわ」
長方形綿布の上下左右、四方をぐるりと赤い糸の刺繍が縁取る。メチャクチャにラブリーな仕上がりである。
「気に入ってもらえましたか?」
「ええ、ええ。それはもう! けれど、使うのが勿体ないような……」
「あら! それはダメですよ、毎日使ってくださらないと」
姫君はコロコロと笑った。
「これは質の良い綿布ですもの。どんどん使って、ガンガン洗って大丈夫」
その方が逆に風合いが増しますよ。姫君もゼフィネさんもニコニコしている。
刺繍糸は植物のアカネ染め。最初は鮮やかな緋色だが、年月とともに褪色していく。姫君の言う通り、使う程に段々と日々の暮らしに馴染んでいくのだろう。
普通だな――
今も女性二人は和やかに話していた。もう普通にできている姫君とゼフィネさんは、やはり凄いなとイアルは感心する。ジョシュが帰っても、いつもながらイアルは自然に素になど戻れなかった。様々な懊悩が露骨に出てしまう気がしていた。
殊にいつまでも刺さっている棘は、姫君の実家のことだ。断片を聞くだけでもロクでもなさそうで、思い出す度にむかっ腹が立ってしょうがない。人の噂なんぞ鵜呑みにするものではないが、この風聞は的はずれではないだろう。
――現側妃にしたって、なんで実家はどうにか断ってやらなかったんだよ。
あんな評判の悪い相手に。実際、新バカ大公みたいなのに嫁がせたら幸せになれない――てか、ほぼほぼ不幸確定じゃないかとイアルは思う。イアル的には貴族の親の考えは、全然わけがわからない。
(……よく、こうもまともにお育ちだ)
姫君の近くにいて、イアルは何一つ嫌な思いをしたことがない。
愛され大切に育てられても真っ直ぐに成長するとは限らないが、不遇な生い立ちは少なからず人に歪みを生じさせる。
『あの娘等――『行儀見習い』達を見てたらわかるでしょ?』
イヴに言われるまでもなかった。館でたまに『行儀見習い』達と接触する時なんて、ムカついて仕方がないのだ。同様に不遇であったろうと思うのに、姫君は特にひねもせず成人されている。おそらく稀有な例なのだ。
「イアル?」
姫君に名を呼ばれて、イアルは我に返った。
「は、い……?」
「次はあなたの番ね。これから取り掛かるから」
不意打ちみたいににっこりと笑いかけられて、イアルはドキドキしてしまった。無防備に油断していたらしい、普段はそんなに慌てたりしない。領都で評判の居酒屋看板娘と握手しても、酒場で婀娜っぽいお姉さんにしなだれかかられても、こんなにドキマギはしなかった。何なら、付き合いで連れて行かれた西海風酒場の妖艶な踊り子にだって。あれはいっそ着てない方がマシ? と疑問符が付くぐらい煽情的だったのに。
「あなたも、こんなカンジでいい?」
姫君はゼフィネさんご満悦のプレイスマットの意匠を指し示した。
たぶん……花とかを表しているのだろう。華やかで可愛らしい刺繍。見事な仕上がりだと思う。けど、コレ――
(俺が持つの? 使うの? 毎日?)
イアルは頭を掻いた。騎士団でこんなのを見られたら、絶対にネタにされる。
確実に半年かそこらは――いや、最低限として赤の色が褪せるまでは揶揄われるはずだ。
「何かご希望はあったりするかしら?」
「……できれば。もうちょい、地味な方が」
失礼かな? そうは思ったが、ゼフィネさんも何も言わない、いいみたいだ。
「そうなの? たとえばイニシャルだけ、とかの方がいい?」
「――はい。できれば」
姫君は少し考えた。
「もしかして……色も赤じゃない方がいいのかしら?」
むこうから聞いてくれたので、イアルはありがたく頷いた。
「藍青の糸なら、ございますよ」
ゼフィネさんが違う刺繍糸を出して来てくれた。これもよく使われる草木染だ。これなら恥ずかしくない。じゃあこれでとあっさり落ち着いた。
(図々しかったかな……)
厚かましくも注文をつけるなんて。下さると言う物をありがたく頂戴しないなんて、ホントは論外だよな?
「なら。外の方も……そうかしら」
「え?」
「イアルはあのヒトと話すことって、ある?」
間違いようがない。姫君はラウルのことを尋ねているのだ。あのおっさんのことを。
「ラウル……ですか」
「――あのヒトは、ラウルというのね」
やっぱり。自己紹介も他己紹介もされてない。なんでだよ? 今更だけど。
「イアルはあの人とはよく話すの?」
「え。いや、」
よく、どころか滅多に話さない。
この家へ来た当初、礼儀として毎朝の挨拶くらいはしとこうと声掛けしたら、うるせえと一蹴されたのだ。
『うっとうしいから寄って来んな。お互い無視でいいんだよ、無視で』
――いや別に。懐いてくつもりとかじゃあないですけど。
以来、日常的には没交渉なのである。
「じゃあ。イアルからあのヒトにもご希望を聞いておいてくれないかしら」
「はあ……」
何で、ここで「じゃあ」になるんだろう? あのヒトに話し掛けるなって言われてるんだけど、俺。
「本当は……あのヒトに、直に聞いてみたいことがあるのだけど――」
「は、い?」
え。なんで? ここまであのおっさんと接点とかあった? そんな必要ある??
「でも。あのヒトも私と同じ日にここへ来て、そのままずっといるのよね?」
「は……い」
そのはずだ。イアルもだが、もう半月からもこの家から離れていない。
「じゃあ、聞いても知らないか……」
何を聞かれたかったんだろう。気にはなったが、イアルは根掘り葉掘り詮索しなかった。元々そういう性分でもあるのだが、尋ねない方がいい気がしたのだ。




