消えた花嫁(1)
(よりによって旧街道なんて通って、おまけにあんなヘボ台を頼るだなんて……)
イアルは胸が潰れる思いがした。これでは不幸中の不幸ではないか。
欠片も幸いがない。気の毒としか、言葉が見付からなかった。
旧街道の物見台を、イアル達辺境領民は「ヘボ台」と呼んでいる。
人の通らぬ寂れた街道に建つ、形ばかりの物見台。詰めているのはド素人。
『あれでは野盗が出てもヘボ台の内で震えているのが関の山。それか、いっそ逃げ出すに違いない』
露骨に鼻で笑っているくらいなのだ。ちなみに西の辺境伯家は物見台には一切、関わっていない。それも当然で、辺境領内には既に新街道が通されているからである。
(なんであんな路を通るんだよ……)
西の辺境領の者は、かつて北の王国が大公国と往来するために敷いた街道を「旧街道」、そして当代お館様になってから通した領内の主要幹線路を「新街道」と呼び分けている。
王の命による旧街道は、かつてはまさしく金の道だった。最短かつ安全確実に、公国から王国へ黄金を治める道程だったのだ。しかし、近年では金の運搬は滅多にない。もう金はほとんど採れないからだ。
大公領沖合にある金山の島。だがその金脈は既に枯渇しかけている。大公家の命運が尽きかけて久しいように。
(普通はこっち。皆ウチの新街道を使うだろうに)
もっとも両国間の金以外の荷や人の往来は、そこそこ活発である。ただし使われる経路は新街道の方に移っている。西の辺境領の私道の方が、よほど治安が担保されているからだ。通行料は掛かるが、野盗も出ない。
安全なのは、西の辺境領内の新街道。
辺境領民からすれば、もうこちらが本道である。
実際、遠来の旅人達にしても新街道を利用するのが当たり前になっている。すっかり本道に取って替わってしまった感があった。
対して「金」の道は既に寂れた「旧」の路。もう通る者とて少ないのだ。依然として公都へ至る公式幹線道に規定されてはいるが、昔日の面影はなかった。
「それは、いつ頃のお話なのかしら」
ゼフィネさんの声はとても冷静だった。
野盗の襲撃は七日余りも前だという。
なんでも旧街道筋の物見台に随行達が逃げ込んできたらしい。
「野盗が出た‼ どうかお助けください」
「ぶわ……ッ⁈ 一大事⁉」
慌てふためき大騒ぎしたらしいその割に、実際の動きは鈍かった。
本格的な捜索が始まったのは、おそらく数日後である。
物見台では、まず輪番嶺の当主に伺いを立てた。その日は一日、律儀に返事が来るのを待っていたというから恐れ入る。ようやく申し訳程度に周囲を探し始めたのは翌日だ。
しかも、あくまで捜索であって救助活動ではなかった。
野盗相手に少人数ではとうてい太刀打ちできない。めっきり減りはしたが、その分凶暴化もしている。それがわかり切っていたから、物見台の当番員達はすぐには腰を上げず、まずは主家に知らせた。当日にしたのは、たぶんこのくらいである。
這う這うの体だった随行達の方も、実は守るべき主の馬車を放って我先に逃げ出していた。だから強くは言えなかった。
(どこまでヘボいんだよ……)
捜索体制を整えるのは、さらに遅れた。
物見台で何かあれば、その月の当番領で事にあたるのが原則になっている。当番外の他領にまで協力を仰ぐのは、有時に限られていた。
今回こそ、間違いなく有事だった。
そうした場合は領主間で直々に要請し合うのが通例だそうだ。旧街道そのものが近隣の領境になっているから、本来的にはほぼ全ての公国臣下の領主に声を掛けることになるらしいのだが、それではとても間に合わない。輪番の領主はひとまず、幾つかの近隣領主家に捜索の助勢応援を頼んだ。これが翌々日だ。
そしてその翌々日の陽が傾く頃にようやく思い出して、旧街道をひた走れば到達する最寄りの侯爵領まで早馬で急使を送った。
(辺境領に一番に頼んでこない時点で、ヘボ極まってるし)
この侯爵家、フォン・ブリゼは公国きっての名家である。
いわゆる二大侯爵家の一家で、代々で交互に大公妃と公国宰相を輩出する家柄だった。元から高位貴族なわけだが、最近では別の意味でも有名になっている。
本来、当代の大公正妃を出すはずの家だったからだ。
そのフォン・ブリゼからの返答を待ちつつ、輪番その他の領主家達は合議して、西の辺境伯家にも委細を知らせて加勢を願うことにした。
辺境領内へ早馬が来て、領境の砦に入れて貰えたのは翌々日の深夜。
領境の砦から辺境伯家館に急報を送ったのが三日目早朝。館が事態を把握して騎士団から人を出したのはその夕刻だった。
声掛けこそ最後だったが、動きは辺境伯家が一番早かったようだ。
辺境領から出動した、騎士見習いばかりの急編成班はよく働いた。
本隊を待たずに捜索を開始し、そしてすぐに崖下に馬車を見つけた。転落して横倒しになったらしい、激しく損傷した状態の車体を発見したのだ。
貴人の乗る、ひときわ豪奢な馬車だった。無残な残骸の付近に人の姿は無かった。御者の姿さえ見当たらなかったそうだ。
だが車体の紋章だけははっきり見えた。馬車には、公国きっての名家のよく知られた紋章があった。それは急を知らせる早馬が急いだ先であり、まさしく二大侯爵家の一方、フォン・ブリゼ家のものだった。
(つまり、難に遭ったのは大公側妃――)
イアルは皮膚がピリピリした。擦ってみると自分の腕が総毛立っている。
心臓に悪いどころの話ではなかった。




