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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第五章 姫君は――誰?

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招かれざる客 ~心臓に悪いこと その二発目


 「ああ、男手は足りてんだな」


 ある昼下がり、ゼフィネさんの隠居宅に来客があった。

それはイアルにとっては不意の客、招かれざる客だった。


「よかったよ。ゼフィネ様のとこに手伝いの若い衆が来てくれてて」


 もっとも、事前に聞いていた人物ではあった。訪問者は、かねてゼフィネさんが懇意にしている年配の農夫だ。近在の葡萄農家の主で、どうやら頻繁に来る顔馴染であるらしい。名をジョシュという。


(慌てることはない。近所の住人だ。いきなり来ることだってある)


 だがイアルは内心で焦っていた。自分が詰めている間はこの家に訪問客はない。そう高を括っていたのだ。確かに館からはシャールのお使い便以外は人を寄越さない。だが、館以外にも近所の人間がいるではないか。どうして最初から、除外して考えていたのだろう。


(普通に客が来ないと思い込んでたなんて――)


 バカかよ。抜け過ぎだろ、俺。


 ジョシュ爺さんは丘陵地帯でワイン用の葡萄を栽培している。辺境領の主要な特産品づくりに従事しているのである。

 そして領都周辺の農家の常として、自宅用に作る野菜の余分なんかを街で売っていた。それで普段から、定期的にこの家にも立ち寄る習慣になっていた。市へと赴く途上に、青物運搬のついでにゼフィネさん宅用に取り分けておいた食材を届けてくれるのだ。頼んでおけば鶏肉や卵も都合してくれた。


 日頃からゼフィネさんはあまり出掛けない。

 それでも日々の暮らしに不自由はなかった。ジョシュのおかげで買い出しの必要がないからだ。常ならば数日おきには来ているジョシュの顔がイアル的にお初なのは、この時期たまたまジョシュの本業が忙しかったせいである。イアル達が到着してからのこの幾日間、たまたま顔を出していなかっただけのことだった。


(落ち着け。これは一般領民だ。それに、これからちょくちょく会う爺さんだ)


 今後もジョシュがいれば、誰も外出することなく食材調達の目途が立つ。

姫君の滞在がいつまでになるかはわからない。だが館からの荷馬車便をやたら頻発すれば、さすがに怪しまれる。

 この老人はむしろ自分達を助けてくれる人間のはずだ。イアルはそう思い直した。


「いつかの年みたく急に冷え込むといけねえから」


 勝手口からひょいと大きな顔を出し、そのまま招き入れられたジョシュはそこが指定席らしい台所の椅子に陣取った。


 ゲッ。サッサと帰ってくれよ。


「ほら、ゼフィネ様、今年は春先の寒さで余分の薪を使い切ってなすったろ? 

もうすっかり無いようだったから、霜が降りるより前に少しだけでも薪割っとくかと思ってよ。そいで、ちょっくら寄らせてもらったんだ」


 奇特なことだ。本来、葡萄摘みの時期は目が回る程に忙しい。それこそ猫の手も借りたいくらいだと聞く。もう最盛期は過ぎたのだろうか。

 村中が絶賛農繁期の最中にもかかわらず、村だけでなく街にも出ない老女の単身住居を忘れずに気に掛けてくれる。ありがたき配慮、誠に善き隣人である。

普段なら。

 

 だがその義理堅さが却って恨めしい。


 護衛騎士としてイアルは、人の好さそうなジョシュの来訪をあまり歓迎できなかった。目下、この家には秘匿しておきたい客人がいる。


(普通だ。とにかく普通にしとけ。そうしてれば爺さんもそのうち帰る)


 イアルは来訪事態には慌てたものの、ジョシュ本人に対してはあまり警戒はしていなかった。しかし、その世間話の内容には大いに慌て、驚かされた。

 ジョシュがもたらした情報が衝撃だったからだ。とても『心臓に悪い』どころでは済まなかった。


 

「ほら、こないだから旧街道筋がどエライ騒ぎになっとるでしょう」


 ――ん? 旧街道? 何かあったのか?


 ジョシュはさも当然のように言うが、イアルは知らない。


「んでも、この農繁期に村から助勢の人手はいっさい出せねって。お館様の方でハッキリ断ってくださったとかで。ほんに儂等は助かったんですわ」


 ああ、ヤレヤレ。ホントによかった。ジョシュ爺さんは汗を拭った。

丘陵地帯総出で葡萄摘みをするこの時期、追い込み段階に入ってもまだ昼間は残暑が厳しい。


「おお、こりゃどうも」


 ゼフィネさんがにこやかに果実水を出してやる。


「さあ、どうぞ」

「んじゃあ遠慮なく」


 ジョシュは、旨そうにごくごくと喉を鳴らして一杯目を飲み干した。

この気の好い爺さんは、常からゼフィネさんと軽く世間話もしていく間柄だ。面白い話を耳にすれば、市の行き帰りでなくてもこの家まで語りに来るのが常だった。


 彼からは近郷の村々の話だけでなく、町中の情報も結構入る。

おかげで聞き上手なゼフィネさんは、居ながらにして市井の様子にも通じていた。


 ――つまり、逆もあるということだ。


 姫君の存在は絶対に秘密。話し好きの口から漏らされてよい類の話ではなかった。


「そいでも滅多に来ない助勢の頼みだで。無下にもできんて、代わりにお館から若い衆を遣ってくれたそうでな。なんだか騎士見習い連中が大勢駆り出されて、旧街道筋まで出張ってくれたらしいんだわ。ホント、ありがてえこって。儂等皆、まっこと助かりましたで」


 そういえば。イアルは思い出す。ここへ来る当日、なんとなく騎士団詰所がざわついていた。昼前後だったろうか。何事かとは思ったが、イアルは野次馬根性で確かめに行ったりしなかった。

 どの道、何かあるなら自分が呼ばれる。イアルは遊軍だ。うっかりイアルが顔を見せたら、ちょうどいい、今からすぐ何処そこへ行って来いなんて振られるに決まっていた。わざわざ自分から難儀を拾いに行くことはない。


(だけど今、俺はいない。こっちに来てる)


 一般人の農民が迷惑に思う助勢の頼み。つまりは頭数が要ったわけで、兵力が要ったわけではない。剣を振るう場面ではないのだろう。

 だが「無下にもできん」内容だ。それで未熟な騎士見習いばかりを出した。


(大した事態じゃあないのか……)


 しかし、旧街道筋ということはすなわち物見台からの応援要請である。近隣他領による輪番に、当辺境伯家は参加していない。その部外者の辺境領にまで助力を求めるなら、非常事態ではなかったか。


「んだが、そんならゼフィネ様とこへはしばらく、お館から誰も来れなかろうと思うてな。儂だけちょこっと長めの昼休憩てことにして、抜けて来たんだよ」


 騎士見習いを大勢。ひよっこ共をまとめて遣るなら、セインあたりが統率して出張ったのだろうか。ジョシュ爺さんの話を聴く限り、ロクな人間は出していなさそうだ。


(あいつも気の毒にな)


 イアルはまたも緊張感のないことを考えてしまった。


 復職したばかりのセインは、騎士団第四隊の同僚。むこうは班長だ。本来はイアルより二期上の先輩である。

 決して悪い人間ではないのに運がない男だった。やっと正騎士に昇格してさあこれからという時に、郷里の母親が大病をした。ひとり親でひとりっ子の一人息子だったセインは、実家に戻る決断をした。

 それで泣く泣く騎士団を辞めようとしたところ、休職扱いにしておくと籍だけは残してもらえたのだ。


『お館様の温情だ。何年後でもいいから戻って来い』


 騎士団長はそう言って、辺境伯家からの餞別まで持たせてくれたという。

大いに感激したセインは二年余りを経て戻って来た。休職中は無給だったが、何でもしますという意気込みで帰還したのだ。


(あれじゃ、もう何を振られても断れないよなあ)


 律儀さを見込まれたらしいセインは、今は班長として主に新入り達の面倒を見ている。

 生真面目さではイアルとどっこいどっこい。そう揶揄われる性分だが、とても同じようにはできないとイアルは思う。セインに託されるのはあまり出来の良い連中ではない。どちらかと言えば問題児。見習い期間中に篩い落とされそうな当確微妙の一群だ。

 しかもイアルの見るところ、軽薄なお喋りばっかり。大きな揉め事は起こさずとも、小さい摩擦などしゅっちゅうである。方々に謝りに行き、始末をつけるのは班長セインだから、あれでは連日胃が痛いだろう。


(俺、平の遊軍でよかったかも。身が持たねえもん)


「それで? 旧街道で何かあったの?」


 二杯目の果実水を注ぎつつ、ゼフィネさんはさりげなく話の先を促す。


「それがよ。ゼフィネ様」


 ジョシュは沈痛な面持ちで告げた。


「――どうやら人死にが、出ちまったみたいなんだよ」


 人死に……⁈


 いきなり飛び出しt物騒な単語に、イアルの身体がいっぺんに反応した。束の間、背筋がピシリと凍る。伸びきっていた縄をピっと張り直したように、イアルの意識が臨戦態勢に就いた瞬間だった。


 

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