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黒髪の寵姫  獅子伯年代記Ⅰ    作者: vientoverde
第四章 風変わりな姫君

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お静かに願います


 (あんなの読んで、面白いのか?)


 イアルは首を傾げた。姫君は好き嫌いせずに何でも読んでいる。


 家宰殿は年代記には貸出許可を出さなかったが、他のモノならあっさり開示してくれた。それは領内各地の地誌とか農政記録とか行政記録とかで、中には御用日誌のようなものまで混じっている。

 これからもシャールにバンバン持たせる気らしい。


 正直、あまり楽しそうなものはない。


(うーん。家宰殿は、本当に姫君に文官試験でも受けさせる気なのだろうか?)


 たまに目に付く軽めの読み物は、どれも領内の伝説伝承の類のようだ。子供が喜びそうなお伽話もある。


(単に、硬軟取り混ぜて……というだけ?) 


 あるいは姫君には、西の辺境領に愛着を持って欲しいと期待しての選書ということなのか? 家宰殿の思惑が、イアルにはいま一つよくわからない。




「姫君、誠に申しあげにくいのですが――」


 三回目に来た時、シャールは済まなそうに告げた。


「実は、ご希望の書物には閲覧制限が掛かっておりまして、」


 つまり当家の年代記はお見せできません、ということだった。


「元来、書架棟内でのみお読みいただける類の資料になるのです。したがって持ち出しそのものが許可されておらず……」


 別にシャールのせいではなかった。

 そもそもその書架棟自体、自由に立ち入れる人間が限られている。より細かく言うと、館の一番奥の一棟がまるごと書架棟として使われていて、さらに内部が図書室と文書保管庫とに分かれているのだ。そして文書保管庫に充てた部分についてが、けっこう厳格な立ち入り制限区域だった。だからしょうがない。


 ちなみに、中庭を挟んだ書架棟の隣は独立した離れなのだが、こちらは現在使われていなかった。


「ああ、そうなのね。なら仕方ないわ。残念」


 おそらく家宰殿の一存で断るよう指示があったのだろう。

だが実際に面と向かって謝りに来るのはシャールだ。申し訳ありません、シャールはしきりに畏まったが、姫君は実にあっさりしていた。


「わかりました」


 それ以上は聞きもせず、さして残念そうな様子もない。


 身構えていたシャールは、ちょっと拍子抜けしてしまった。

 何処へ何を伝えに行かされても抗議、反論、愚痴、悪態、果ては罵詈雑言まで浴びせられるのがシャールの常である。

 姫君にももっと、なんで? どうして? と詰られると覚悟していた。

 こういう大人な反応には、逆にシャールは耐性がない。理不尽な役回りでも平気だし、非難にも動じないのに、攻撃されないと却って不安になってしまう。けっこう損な性分なのだ。


(よかったな、シャール。今日は怒られなくて)


 姫君は聡いだけでなく、大層物分かりもよろしいようだ。が、さらりと引き下がった後の呟きの方にはイアルまでギョッとした。


「じゃあ、私がエルンスト辺境伯家の文官になったら、見せてもらえるということかしら?」

「えっ」


 シャールの声が僅かに裏返った。咄嗟に返答できなかったこと自体、シャールにはかなり珍しい。並大抵のことでは狼狽えないから、『氷』の筆頭小姓なのだ。


(また、心臓に悪い発言を――)


 まあイアルだって、もしか文官になるのか? とか思いはしたが。

どうやら文官に勧誘したとかの線ではないようだ。


「――ですが、代わりのモノをお持ちしています」


 そして、シャールが馬車いっぱいの書物を見せて、ゼフィネさんが今度こそはっきり目を剥いた。あれにはイアルだって冷や汗ものだった。




 (器用な読み方してんな……)


 姫君は選り好みもしない。宣言通りに手あたり次第、片端から読み耽っていた。


 イアルが感心したのは、姫君が時々は同時に数冊を広げて交互に同時進行で読み進めたりすることだ。

 変わった読書法だなあとイアルが見ていると、姫君はふと思い出したように行きつ戻りつ、あちらの書物の別の項を開いてはまたこちらに戻って来たりする。何か考え付くと、その都度読み返して確認しているらしい。

 面白いなあとイアルは思った。よくあんな風にできるものだ。


 基本的にイアルは、一度に一つのことしかできない。

書物と向き合うならその一冊だけ。しかもかなり苦心して格闘する。かなりの確率で眠くなるからだ、しかしたまに熱中すれば、その間は没頭する。気が散るから一切飲み食いもしない。

 ただ、もし途中で話し掛けられでもしようものなら、たちまち集中力の糸が切れてしまう。いったん中断するともう容易く戻れない。再開した時には、何を何処まで読んでいたのか覚束なくなっている。だいたいそんなカンジだ。


 それで、イアルも黙って静かに姫君を見守っていた。


(こういうのを想定して、寡黙な騎士を所望されたとか?)


 そんなワケないか。


(何か――ダミアンが集中してる時に、似ている気がする…)


 姫君もあのやり方で、ちゃんと頭に入るらしい。地頭のいい人間とは、皆ああなのだろうか。


(イヴも、いつも色んなことしてるんだよなあ……)


 一時にあれもこれも考えて、同時進行で進めていくという芸当はイアルにはできない。だが、幼馴染のイヴなどは苦にならないらしい。幾つもの仕事を並行してこなし、他人が一つ片付ける所用時間で二つ三つは仕上げてしまう。イアルには驚異的だ。

 コツがあるのだと言うが、たぶん何回聞いても真似はできない。


(ダミアンといいイヴといい、何で俺はこの姫君を見ていると極端な人間ばかりを連想してしまうのだろう)


 イアルの思考は何となく緩んでいた。それにはわけがある。ゼフィネさんのお怒りが解けたからだ。


(なんか――今度は俺が手持ち無沙汰?)


 シャールが帰った後にも怖い目をしていたゼフィネさんだったが、やがて諦めたらしい。しばらくすると、何も言わなくなった。

 姫君がおとなしくされている分には、もういいと思うことにしたのだろうか。

会話がない時間が長いので、それなりにイアルも気にしてはいるが、おかげで微小な摩擦も生じない。間に挟まれなくて気を揉まずに済む分、イアルはホッとしていた。


 ただ、いきなり暇になってしまった。


(俺、護衛に来てるんだよな……?)


 時々、ここに来た目的を忘れてしまいそうになる。

まだ日中は暑い。けれど湖岸の風が渡るせいか家の中は涼しかった。すこぶる快適である。まったくゼフィネさんの隠居宅は、素晴らしい立地なのだった。


 危惧していたような危機はない。今のところ。

だが鍛錬しないと体が鈍る。なので、イアルは朝晩と休憩時に剣の素振りだけは続けている。その甲斐あってか、ちゃんと腹は減る。飯は旨い。勤務があるから当然、酒は控えている。


 緊張を維持するのが難しくなっているのを、イアルは自覚していた。

そんな状態のところに、心臓に悪い強烈な二発目が来た。



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