姫君の好きなモノ
「お館様からです」
一日置いて、再びシャールが来た。また花を持って。
今回のは淡いピンク。この時期によく見る花だと思うが、イアルはとんと名前を知らない。そして今日も青いリボンで束ねてあった。
「可愛いお花……それに空色のリボンも綺麗。とても素敵だわ」
受け取った姫君がうっとりと見入る。
(うん。確定)
ピンクに水色。女子を喜ばせる色の取り合わせ。
コレ、絶対にお館様じゃない。シャールの手配なのだ。たぶん発案自体がシャールだな。イアルは確信した。
「何かご要り用なモノ、ご希望のモノがございましたら何なりと」
シャールが淡々と言う。内心鼻高々そうだけど、いつもながらソツがない。
まあ社交辞令かな。
この間の薄い教本からの歴史話は、あれ以上続かなかった。イアルが相手では、展開のしようもなかったのだろう。やがてゼフィネさんのご機嫌も収束して常態に戻ったから、イアルは胸を撫で下ろしていた。
そして今日、シャールはつゆほども教本のことを話題に出そうとしない。
綺麗に忘れた振りを決め込む気で、あえて触れないつもりだ。
「そう言っていただけるなら」
だが、姫君は忘れていなかった。流れるようにまた話を蒸し返したのだ。
「実はお願いしたいモノがあって」
あ。なんか嫌な予感が。イアルの勘は当たっていた。
「あなたがこの前持って来てくれた読み物。あれ、とても面白かったの。古の大洪水関連のことが書かれていたり、すごく興味深い。それで、この地の歴史を詳しく記したものがあれば是非読んでみたくなったの」
姫君にはあれでお終い、ではなかったらしい。
「こちらは歴代で年代記を編纂するお家だから、私が見てもいいような内容があればな、と思って」
直々のご希望だが、シャールは前回ゼフィネさんに叱り飛ばされている。
それで恐いもの知らずのシャールも少々返答に困ってしまった。
「――年代記がお好きなので?」
シャールにすれば予想外の変化球が飛んできたわけだ。珍しく不思議顔で、質問に質問で返してきた。姫君はにっこりと、さらに打ち返す。
「ええ。好きよ。とても好き。だから貴重な記録に触れられる、またとない機会ですもの。読めるものなら何でも。手当たり次第に読みたいわ」
そんなの読みたがる女性が存在したのか。初めて見たよ。いや、お目にかかりました。
「歴史は読みでがあるから、大好きなの」
そんな好き好き連呼されると――いや、おい。ダミアン。
「年代記でも戦記でも、書き手によってまるで見立てが異なるのが面白いでしょう? 正反対の解釈を読み比べるのも、楽しいわよね」
面白い――楽しい? 楽しいんだ。
喜べ、ダミアン。こんなところに思わぬお前の同志がいたぞ。
西の辺境領文官のダミアンは文書係にして年代記担当。辺境伯家館最奥部の書架棟に詰めている。つまりは秀才揃いの文官にあって、精鋭中の精鋭なのだ。
(ダミアンが聞いたら、泣いて喜ぶだろうな)
『お前達騎士団、ひいては館の人間は書架棟の値打ちと重要性を理解していない』
いつもダミアンは口惜しがっていた。
俊才ダミアンは日々、身命を削って辺境伯家の記録を綴っている。
彼は当代お館様の治世を記録して、後には年代記に纏める役目を担うからだ。
彼が宰領する書架棟は、エルンストの最重要財産に規定される場所だった。
歴代の当家・当地の記録が保管されているし、その他にも数々の文献や貴重な資料が所蔵されているらしい。
そのため格付けとしては、穀物庫や宝物庫より上に来ている。書架棟とその周辺区域は西の辺境伯家館でも厳重警備対象と位置づけられていた。
しかし武門の家系ではあまりダミアンの仕事は理解されず、じゅうぶん顧みられているとは言えない。関係者以外には記録や貴重な資料を読み返す者もいなかった。
それがダミアンの大いなる悩みの種なのだ。
「不思議よね、同じ事象を元に描くのでしょうに」
「戦記、ですか……」
シャールにすれば、不思議なのはこの姫君の方だった。
今までの誰にもなかった反応。さすがのシャールも面食らったようだ。ものすごく微妙な目の色をしていた。あえて忖度なしに言わせてもらうなら、ドン引き。
「だって、歴史って下手な物語よりよほどよくできた筋立てでしょう?」
姫君は力説した。
「それに史実であっても、書き手の見識によって見えて来る情景や伝わってくる心象が全く違う。きっと、それが醍醐味なのよね。私、特に面白味のない議事録や帳簿類でも飽きずに読める方なのだけれど、やっぱり記録にせよ物語にせよ、巧い人の手になる記述には俄然、興を搔き立てられるの」
「………」
シャールは沈黙した。勿論、イアルも。ゼフィネさんまで黙ってしまった。
「辺境伯家の来歴なんて、最高の素材ですもの。武門の誉れの千年紀ならきっと栄枯盛衰、色んな要素がてんこもりのはずだわ。絶対、面白いに決まってる。ああ、考えただけでわくわくするわ」
「…………」
「……――」
「―――――」
えーと。
(何から突っ込もう……)
議事録? 帳簿? なんでそんなの読むかな? もしかして見るだけじゃなくて、自分で作成もされるとか?
ツッコミどころは満載だが、何からどこから尋ねるべきか。それともいっそ全てを聞き流すべきか。
シャールも調子が狂ったようだ。それはゼフィネさんも同様で、いつもよりいくぶん表情がぎこちない。しかし、どちらもそれ以上は深追いしなかった。
「――さようで」
理解しがたいと思うのは、何もシャールだけではない。控え目に言っても、姫君の関心事項はイアルにもよくわからない。
(お姫様って、そういうお勉強はさせられないもんじゃあないのだろうか?)
通常、淑女には必要以上の教養は必要ではないとされている。
もっと有体に言うと、知恵が過ぎると敬遠される。物知らずでは困るくせに、聡過ぎると嫁の貰い手がなくなると歓迎されないのだ。特に上流の令嬢程、知っていることでもおっとりと知らない振りをしているぐらいが丁度いい、なんて言われる。
それでいて、決して愚かであることは許されない。
矛盾している。まったくもってないものねだりだ。上つ方というのは実に厄介だと、イアルは思う。
平民の嫁さんなら、賢いに越したことはない。
家の切り盛りには知恵と工夫が要る。亭主の稼ぎは同じでも、伴侶の出来不出来で暮らし向きがまるで違って来るのだ。
女の一生は男次第? 何言ってやがる。そんなのお貴族様の戯言だ。
男の一生だって、女次第なんだよ。
イアルの認識は辺境領民としてはごく一般的だ。他所は違っていて、これは地域限定、あくまで辺境領的感覚なのかもしれないが。
(――姫君は、相当毛色が変わってるよな)
何かとざっくり大雑把な部類に入るイアルでも、そう感じた。
うら若く麗しい姫君がなんでこういういささか特殊な嗜好になったのか。まるで謎である。
それが知る人ぞ知るサシャばあやの薫陶のたまものだとわかるのは、イアル達がもう少し姫君と打ち解けてからになる。また、姫君を養育したそのばあやが実は代々史官を務める家系の出であり、その豊富な知識量で同じく史官の身であるダミアンをも圧倒し、いたく驚愕させることになるのは、もっともっと先の話になる。
「――では次回、何か読む物をお持ち致します」
シャールはそれだけは請け負った。あまり共感は得られなかったにせよ、ともかく姫君の意向はきっちり伝えられ、シャールは言葉通りに次々と読み物を届けるようになる。
持ち出し制限のある年代記こそ貸し出されなかったが、以後持ち込まれるのは家宰殿が厳選した辺境領の記録、それも地誌や農政記録だった。
それがまたしてもゼフィネさんの柳眉を逆立てるわけなのだが、それもまた別の話である。




