本が好き?
――ホントに読んでる。
実質的な護衛二日目。
お迎えして二回目の朝食の後、姫君におかれては居間で読書に勤しんでおられた。
そこそこにご機嫌も麗しい。わりと情緒は安定した方のようだ。姫君とは一律に気まぐれな人種というのは、単にイアルの思い込みだったらしい。
お召し物は紺色ワンピに変わっている。やっぱり派手なものではないけれど、色白のお顔にはよく映っていた。身に合い加減はやっぱりイマイチだが、襟が高めで茶色のよりは遥かにいい。
そしてゼフィネさん。こちらは誠にご機嫌がよろしくない。
イヴではないけれど、何となくゼフィネさんの顔色が読めるようになってしまったイアルには、なかなかの圧だった。
(まったく。余計なモンを持って来るなよ――)
ただし、家主の不機嫌の理由はハッキリしていた。
別にイアルに怒っているのではない。姫君が熱中している薄い本がお気に召さないのだ。とういうか冊子が。家宰殿が特にとシャールに持たせた、エルンスト辺境伯家の入門読本である。
実は昨日、シャールは少々怒られて帰っていた。
「これは、館勤めをする者のための教本でしょう」
新参者用の初学教材は、どうやら家宰殿が指定したらしい。これにゼフィネさんがいい顔をしなかったのだ。着替えのワンピース類と同じく、姫君を侍女と思わせる偽装工作の一環だろうか。それとも何か別の意図があるのか。お偉いさんの考えることは、イアルにはよくわからない。
「とても姫君のお目に入れるようなものではありません。これは持ち帰りなさい」
ゼフィネさんはビシッと申し渡した。日頃の温和な様子からすれば、これはなかなかの剣幕である。
(ゼフィネさんて。絶対怒らすとコワいよな……)
実際に怒ったところを見たことはなかったのだが。
より正確に言うと、別の誰かが怒られていても、ちゃんとイアルは直視してこなかった。すごくコワそうで、とても見ていられなかったからだ。幸いにしてイアル自身は怒られたことがなかったから、ちょっと現実的に逃げていたかもしれない。
「姫君には必ずお目を通していただくようにと、仰せつかっておりますが……」
内容としては何の問題もない。新たに館勤めを始める者達に向けた入門書なのだから。おもに字が読める者に向けて貸し出される。
書物はそれ自体が貴重だ。羊皮紙も依然高価なら、最近出回り始めた紙というのもまだまだ高い。だから、何代も何人も使い回している教本だった。けっこう年季の入った代物のはずだが、さすがにシャールは綺麗な状態のを選んで持って来ていた。
題材も記述もごく平易で、わかりやすい教本だと言われている。
辺境伯家の興りや家訓等が土地の伝承を交えて簡単に解説されていて、自分達が仕えるのがどういう家かを理解させるために役立つのだそうだ。ところどころに絵や図も入るので、割と取っ付き易い。
イアルも、確か騎士見習いの初め頃に座学で習った覚えがある。
(――やっぱ、姫君はお館様付の侍女に上がるとかじゃあないんだ)
ゼフィネさんが目くじらを立てるのは、使用人達とは一緒にするなって意味で、だよな?
イアルはほんのちょっとだけ安心した。
「あら、面白そう」
姫君の方は単純に興味を持ったらしい。それに何の抵抗もなかったようだ。
ゼフィネさんの叱責をてんで意に介さず、困っていたシャールからあっさりと本を受け取ってしまった。突き返すどころか、手にしたままパラパラめくり始める。
シャールはこれ幸いと逃げるように帰ってしまい、イアルは怖ろしくて、しばらくゼフィネさんの目を見られなかった。
(シャールのヤツ。黙って衣装箱の中に忍ばせとけばいいものを)
わざわざ見せたりするから。ゼフィネさんを怒らせるんだよ。
後が大変だろ。どうしてくれるよ、この空気。
ソツのないシャールにしては要領が悪い。らしくないなと思ったが、家宰殿の指示だ。シャールには渡さない選択はなかった。どの道怒られるから、正攻法でいったのだろう。黙って置いて帰れば、次回以降が来にくくなる。
(けど。もうチョイ雰囲気とか、和んでくれないだろうか……)
本日。姫君ご本人に対してもゼフィネさんは苛ついている。
「何かお手伝いしましょうか?」
今朝、姫君は進んでゼフィネさんにこう申し出ていた。
(いや、昨夜止められたじゃん――)
この家での最初の夕餉の後だ。自分で食器を片付けようとして『おやめください』とやんわり制止されていた。なのにめげずに、一晩おいてからまた二度目。
朝食の後に再び挑んだのだ。
「だって、これからしばらくお世話になるのですもの。私、何でも致しますよ?」
「とんでもございません」
勿論、即座に却下。
ゼフィネさんは、今朝は半ば奪うように姫君の食器を下げた。
着替えの手伝いは要らないと断るし、洗い物まで自分でやろうとする。果ては家事を手伝いたいなんて言い出す。お姫様なのに。
(ゼフィネさんでなくとも、調子が狂うよな)
そうは思うが、イアルには姫君へのゼフィネさんのあたりが少々きついような気がされてならない。常のゼフィネさんからは考えられないことだ。
これはよくない。
「……あの、あまり気を遣われなくても」
よせばいいのに、小さく吐息をつく姫君にイアルはつい声を掛けてしまった。
後ろ向きに食器を洗うゼフィネさんの肩がいかった気がして、イアルも皮膚がピリピリした。
「だって――暇なんだもの」
ゼフィネさんのにべもない拒絶にも、別に姫君は気落ちはしていなかった。ただすっかり手持ち無沙汰らしい。
「私、招かれざる客なのよ? なのに、ゼフィネさんは何もやらせてくれない。時間はあるのに、読むものだって――」
姫君は書を読むのがお好きらしかった。それでゼフィネさんの顔色を気にするより、もう読んじゃえとシャールの持って来た教本を出してくることにしたらしい。
さっきイアルと一緒に二階の部屋まで取りに行った。
(でも。なんで、わざわざ同じ部屋でソレ読むの?)
そして姫君は現在、自室ではなく居間でそれを読んでいる。何故だか、繕い物を出して取り掛かり始めたゼフィネさんの、あえて真ん前に座って。
お姫様って、空気読むとかとは無縁のイキモノなのだろうか。
『結婚しても、ギリギリまで親とは同居するな』
イアルは騎士団の先輩達が言っていたのを思い出す。
広いお屋敷ならいい。だが俺等の甲斐性じゃあダメだ。絶対にやめとけ。無駄に削られる。
俺。親いないから関係ないや。
他人事だとばかり、聞き流していたのに。
――あれは、こういう心境だったのだろうか。




