訳アリの姫君
(うーん)
灰色が、茶色になっただけ――?
とりあえず姫君は、修道女のような禁欲の灰色からは解放されていた。
どうしても姫君のお召し物が気になったらしいゼフィネさんが、届いた荷を解くやいなや着替えさせたからだ。
だが、その替えの服自体がゼフィネさんのお気に召さない。色は変われど、依然地味。今度はたぶん、館の侍女が着るような色だ。『行儀見習い』のお嬢様方が、絶対に着たがらないお仕着せの色。
(こんなものしかご用意できなかったなんて――)
ゼフィネさんの眉の端がそう語っている気がする。
『あれ、コワいんだよね』イヴが言っていた。
『ある瞬間に、なんかこうご機嫌を読めるようになっちゃうの。そしたらもう気付かない頃には戻れない』
――ちょうど、こういうカンジだろうか。
「せめて肩を。少し直しましょうか」
シャールが持参した衣服は、どれも姫君らしくはなかった。
替えのワンピースはどれも悪くはない。濃い色目も綿地なのも、あえて館から来ている侍女という態に見せるためなのだろう。決して悪くはない。悪くはないが、良くもなかった。
しかも、微妙に寸法が合っていない。足首が隠れる丈になったのはいいとして、肩のあたりがずれている。ゼフィネさんでなくとも気になる。チラ見えしそうな首筋に目を奪われそうになってしまう。
――なんかホント、色々心臓に悪い。
確かに急なお越しではあった。けどなあ。
――いいのか? これで?
「大丈夫ですよ? これでじゅうぶん」
姫君の方はこだわりもなく笑っている。
机の上には、ひまわりが飾られていた。いささか殺風景な部屋に、そこだけが華やぐ色彩。文字通り咲き誇っている。
現実として、こんな普通に見える家では華美なドレス姿は浮くだろう。
しかし、当たり前ならやんごとなき姫君の衣装というのは間に合わせで用意するのではなく、仕立職人に特別に誂えさせるものではないだろうか。
「それに、必要なら自分で直せますから」
『それは私の仕事です』
ゼフィネさんがそう言いたいのを飲み込んでいる。イアルも読めるようになってしまったらしい。
「得意な方ではないけれど、針仕事はできますよ? 修道院では繕い物も刺繍もしていましたもの」
「………」
外野のイアルは口出しせずに、黙っているべき場面だった。
ヘタに女性の会話に介入すると大ヤケドをする。何かに付け、寡黙な方が類焼は少ない。イヴに言われるまでもなく、イアルも経験則で知っている。
(うーん。修道院にいると、こんな風になるもんなのか?)
修道女の暮らしぶりはいたく質素であるという。それはイアルも承知していた。
この場合の修道女とは、心ならずも修道院へ追放された気の毒な娘さん達ではなく、聖母教会に所属する年季の入った女性達のことである。
イアル達の棲息する社会は、一応はドミネ教の宗教圏に入っている。
とは言え、西の辺境領自体は昔から何でもありの多民族多宗教地域なので、何かと大らかだ。北の王国発の厳格な一神教は、本来は窮屈なものだそうだが、この地ではあまり俗人を縛れていない。
要は、聖職者への敬意が決して高くないのだ。まあ他地域の信心深いドミネ教徒達が、眉を顰めるくらいには。
(でも。聖母教会にはたいがい好意的だよな)
それでも、聖母教会の修道女達の方はけっこう尊敬されていた。
たぶん無欲だからだろう。名前だけの清貧を気取る教会の坊主共と違い、寄進やお布施を集らない。
つましくとも日々の糧に感謝し、住居は雨露をしのげればよく、粗末でも身を覆う衣が与えられたことで満足する。それでいて奉仕活動にも熱心だ。
領主家エルンストは歴代、伝統的に教会とは不仲である。
特に今のお館様に代替わりした時、教会とは何やかやと軋轢があったと聞く。
しかし、聖母教会と揉めたという話はまったく聞かない。お館様びいきの領民達は、事あるごとに坊主共をけちょんけちょんに貶すのだが、領都の聖母教会なんかには参拝者が絶えないそうだ。
(……このお年頃なら、おしゃれとかしたいもんじゃないのか?)
お幾つくらいのお年だろうか。
姫君はきっと十代。自分よりは絶対に歳下に違いない。
現在二十一歳。年明けには二十二歳になるイアルはそう踏んだ。
しっかりした話し振りからして、成人はされていそうだ。とすると十五歳――よりは上、だろう。
再び、イアルの胸にズキンと疼くような痛みが走る。
『――あの方は、お館様のオンナだ』
昨夜のシャールの捨て台詞が、また耳の奥で何度も何度も再生される。
この姫君が、お館様の――?
とてもそうは思えない。お館様付侍女にする試しのために来られたにしては、少々物々しかった。段取りが仰々しいし、いささか手も込み過ぎていた。ゼフィネさんや周りの態度だって丁重に過ぎるだろう。
きっとこの姫君は、匿われるような境遇なのだ。お館様に、辺境伯家に。
どちらかと言うと何かの事情で逃げて来たとか、落ち延びた亡命者だか。
姫君はそういうのに近い気がする。
絶対に咎人とかではない。窓の鳴子は決して逃亡防止の仕掛けなんかではないだろう。たとえ囚われ人みたいに見えたとしても。
もしかしたら追手から守り、庇護すべき方なのではないか。だってイアルの他に、手練れのラウルまで付けているのだ。
だけど――アイシャって。
お館様は姫君をアイシャと呼ぶという。
本当の名ではないのだろう。
よくある名だ。健やかな人生をとか、天寿を全うして欲しいとか、そんなささやかな願いを託して女の子に付ける名前。南の方ではごくありふれた固有名詞。
だが、エルンストの男にとっては特別な名。
やっぱり、お館様の――?
違うだろ。違うと思う。思いたい。そうだ、客。客人なのだ。きっと姫君は遠来の客だ。何で館に迎えないのか、どうしてこの家に逗留するのかはわからないが。
仮にお館様の側女候補にしたって、こんなところに長くは置かないはずだ。
だいたい着るものからして地味過ぎだろう。お館様のお傍に上げるなら、それなりに支度をする。寄って集って磨き上げる。なのにゼフィネさんだって、別に姫君を飾り立てようとはしてない……よな?
(第一、お館様のお相手を務めるには若過ぎだ)
お館様は三十路過ぎである。年齢もだが、体格差とてちとエグイ。
そんな気がする。お館様とこの姫君が並ぶさまを想像するのは何やら妙に生々しくて、イアルの脳が断固として拒絶した。
(もうやめよう……これ以上は考えるまい。姫君にも失礼だ)
勝手に決め付けたりあれこれ憶測したり。あまりにも無礼というものである。
おまけに痛ましいと感じるなんて、思い上がりもいいところだった。
(ああ、もうっっ。集中しろ、俺!)
イアルを悩ます姫君は、実際に遠来の客だった。そして元を辿れば姫君と呼んで何ら差し障りない身の上でもあった。
ただし訳アリにも程があったので、この先々にもっとイアルの胸を痛めることになる。




