今は昔――もしくは、今も昔も
「私、何にも悪いことしてないのに――」
ゼフィネさんの隠居宅。居間の一隅で、マリカはしおらしくしゅんとしていた。
「こんなの……あんまりですっ。私、別に何もしてませんっっ……」
ほぼ半べそ。これが昔ながらの常套手段だった。泣き言から始めて、様子を確かめつつ涙なんかもほんの少しだけ足して見せる。
「酷い……っ。マリカは、ただ大好きなゼフィネさんにまた会いたかっただけなのに。それにイアルの姿まで見えたから、ただただ懐かしくなって……」
水色の大きな目で巡らす、意味ありげな視線。
イアルのことをちゃんと認識して格別に意識してますよという訴求。
今でも俺はチョロいと思われてるんだなと、即座にイアルは理解した。
それだけ舐められてるわけだ。今なら妙に冷静に分析できる。
「どうして……? なんで二人共。そんな怖い顔で私のことを見るんですか?
何故、いつまでもいつまでも怒ってるんですか⁇」
――そりゃ、怒るだろ。
逆に訊きたい。なんで怒られないと思うのか?
「酷いわ。……こんなの、酷過ぎる」
(あれから三年――か)
マリカはそろそろ十八だろうか。変わらない。ピンクブロンドに水色の瞳。色白の顔も華奢な体付きも、メイドの頃とあまり変わっていないように見える。
そして三年経っても、未だに同じ手で通用すると思ってる。いちばん変化がないのは、頭の中なのか。
以前もこんなカンジだったんだよな。イアルは思い出していた。
わかりやすい泣き落としだったのだ。効果があると見れば、マリカはひたすら涙涙で切り抜けてきた。いっそ泣き真似だったのかもしれない。
泣けば必ず誰かが慰めてくれたからだ。だがそんな時代はとうに終わっている。
もう誰も庇ってくれない。許してはくれない。
イアルは自分でも驚くほど醒めた目でマリカを見ていた。
しかしマリカの切替も早い。
「私、貴族になったんです‼」
形勢不利と覚るや、すぐに泣き止んで方法を変えてきた。次は揺さぶりを掛ける魂胆か。
(は? なんの冗談だよ? そのお花畑頭、とうとうイカれちまったのか?)
「嘘じゃないです‼ ……男爵家の養女に入ったんです。それで、またお館にあがることになって。今度は、行儀見習いの侍女として!」
『行儀見習い』‼
マリカは殊更にそこを強調した。正確には「侍女」の方も「見習い」なのだが。
――は?
悪い冗談だと、イアルは思った。それもかなり性質が悪い。
それこそ寝言ではないか。あれだけのことをしでかしておいて、今更誰が、エルンスト辺境伯家の誰が、マリカを館に迎え入れてくれる?
「だから! その前に……マナーとか行儀作法とか。是非! ゼフィネさんに教わりたくて。お館で恥をかかないよう、ゼフィネさん直々にちゃんと仕込んで欲しいんです。ほら、あたし平民育ちだから――」
出た。必殺上目遣い。きっとこれまでの人生、この仕種で「もう、しょうがないなあ」となあなあに持ち込めて、なし崩し的うやむや展開を勝ち得てきたのだ。
間違った方向の成功体験。賞味期限はとっくに切れていた。
こんなイタイやつだったのか? イアルは秘かに呆れもした。
「私。何度もお手紙でお願いしたじゃないですか。手紙――読んでくださったんでしょ?」
寝言なら、寝てから言えよ。イアルはまるでイヴみたいな感想を抱く。
そんなことがあるものか。あるはずがない。悪い夢でも見ているのか?
可愛いだけでも無邪気なだけでもなかったマリカが引き起こした厄災を、エルンスト辺境伯家もイアル達も忘れていない。
誰の所業で先の奥方様の醜聞が暴かれた? あまねく醜聞が領内外にまで喧伝された? 公都の紅い薔薇と謳われた大公姫の名誉が、あそこまで地に堕ちた?
ブロンドの護衛騎士が命を落としたのも「私は悪くない」で片付ける気か?
誰の所為でラウルは護衛騎士を斬り、独り泥を被ったのか。
どれだけの人間が連座させられた? 何人が放逐された?
ゼノが追放されたのは、何の咎だ?
これからランスに訪れる不遇は、誰が引き起こした結果だ?
ラウルは忘れないし、イアルも覚えている。それは、ゼフィネさんにしても同じだろう。
「―――……」
ゼフィネさんの反応は冷たい。目線は険しく、唇は閉じたまま。見事に黙殺だ。
「―――……」
イアルも、あえて何も言ってやらなかった。
あの頃は――三年前の昔なら、慰めてやれていたのだろう。
どうした? 言ってみなよ。話くらいならいつでも聞くから。きっともっと優しくできていたと思う。嘘泣きだとか、微塵も考えなかった。たとえ嘘くさいと思っても、もう少し暖かい目で見れて、力になってやろうと思えていたのかもしれない。
俺も純だったんだよな。たぶん今よりかはずっと。
「私、何にも悪いことしてないのに――」
そして今。やはりマリカだけが同じ台詞を繰り返していた。




