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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
26話
140/144

温度の違う手

 

 知らない男の腕の中にいた。


 それだけで、もう十分におかしかった。


 居心地が悪い、という言葉では足りない。

 肌に触れている布の感触も、骨の硬さも、全部が異物だった。


 鼻に刺さる、汗の匂い。

 わずかに酸味を帯びた、湿った体臭。


 思わず息を止める。

 けれど、止めたところで状況は変わらない。


 胸が苦しい。


 押し返そうと、両腕を男の胸板に当てる。

 硬い。びくともしない。


「……んぅ、……やめて」


 声が出た。

 出たはずなのに、それはあまりにも小さくて、かすれていて。


 自分でも、情けないと思った。


 押した。

 離れた――ように思えた。


 けれど次の瞬間、背中に回された腕がぐっと締まる。


 強く。


 逃がさないように。

 体が、また引き寄せられ、胸元へ押し戻される。


 近い。

 近すぎる。


 男の体温が、服越しに伝わってくる。


 ――勝てない。


 その事実だけが、やけに鮮明だった。



 息が、うまくできない。


 吸っているはずなのに、入ってこない。

 吐いているはずなのに、出ていかない。


 胸の奥で、何かが詰まっているみたいだ。


「こらこら、大人しくしなよ。周りに変に見られるだろ?」


 軽い口調。

 まるでこちらが悪いみたいな言い方。


 ――周りに、変に見られる。


 一瞬だけ、思う。

 確かに、そうかもしれない。

 こんなふうに暴れたら、余計に目立つ。


 ……だから。

 少しだけ、力を抜きかけた。

 その瞬間だった。


 腕が、さらに強く締まる。

 逃がさないように。



 ああ、違う。

 違う。

 これは。

 そういう話じゃない。


 気づいたときには、もう遅かった。

 息が、浅くなる。

 早くなる。


 どこで吸えばいいのか分からない。

 喉が閉じているみたいで、声が通らない。


 どうして、出ない。

 言わなきゃいけないのに。


 離してください。


 そう言えばいいだけなのに。

 簡単な言葉なのに。


 出し方が、分からない。



 頬を掴まれる。 


 指が食い込む。

 逃げようとしても、逃げられない。


 無理やり顔を上げさせられる。


「お?よく見ると、可愛いな」


 ぞわりとした。


「冒険者してるには勿体ないな」


 理解できない。

 言葉は分かるのに、意味が頭に入ってこない。


 せめて――睨む。


 それしか出来なかった。


「おぉ、怖い怖い」


 笑う。


「かわいい顔が台無しだぞ」


 その笑い方が、ひどく気味が悪かった。


 まるで、人を見ているようで。

 見ていない。


 持ち物でも見るような、視線。


 抱えられたまま、足が揃わない。

 引きずられるように動かされる。


 歩いているのは自分の足のはずなのに、意思がない。


 もう一人の声がする。


「なぁ、こいつ魔法使うんじゃなかったか?杖が見当たらないが?」


 視線が落ちる。

 確かに、杖はない。

 宿に置いてきたからだ。



「無いんなら、好都合だろ」


 その言葉。


 意味が――分からない。


 分からないのに。

 嫌な感じだけは、分かる。


 胸の奥が、ざわつく。

 昨日のことが、浮かぶ。


 ミアレ。

 パーティー。

 あの時の、崩れた光景。


 断片だけが、浮かんで、消えて。

 繋がらない。


 頭の中が、ずっと、ぐちゃぐちゃしている。


 なのに。

 体は、ここにある。


 腕の中に、閉じ込められている。


 どうして。

 どうして、こんなことになっている?


 私は――


 エルネに、会いに来ただけなのに。


 違う。


 違う。


 そう思うのに。


 息が詰まる。

 吸えない。

 吐けない。


 胸が、動かない。

 声が、出ない。


 離してください。

 離してください。


 言おうとする。

 けれど、喉が閉じたみたいに動かない。

 心臓の音だけが、やけに大きい。


 ドクドクと、耳の奥で鳴っている。


 考えが、追いつかない。

 目の前が、少し歪む。


 視界が揺れる。


 それでも、男の腕ははっきりと分かる。


 背中に回された腕。

 手首を締める力。


 じわじわと、骨に近いところが押される。

 脈が、そこで止められているみたいに、鈍く響く。 


 強くて。

 重くて。

 離れない。


 痛い。


 ――逃げないと。


 一瞬だけ、そう思った。


 でも。


 どうやって?


 足は動かされている。

 腕は押さえられている。



 声も出ない。


 逃げ方が、分からない。


 そのまま引かれていく。


 連れていかれる。

 どこへ?

 分からない。


 考えられない。



 そのときだった。



「おい」


 別の声。

 低くて、はっきりした声。


 誰かの手が肩に、手がかかり、しっかりと掴まれる。

 男の体が、わずかに引かれる。


「離してやれよ」


 一瞬、力が緩む。


「……ッち、誰だよお前。邪魔すんな」


 苛立った声、男は振り返る。


 けれど。


 声をかけてきた男のフードの奥は、見えない。

 顔が分からない。

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