終わらないもの
おばさんの視線がこちらを見る。
足元から頭の先までをゆっくりと見た。
「ずっと戦ってるわけじゃないだろう?街にいる間くらい、普通の格好しなって言ってるのさ」
少しだけ近づいてきて、髪の毛先を指で整える。
「せっかく顔立ちも悪くないんだしね。隠しとくのはもったいない」
怪訝そうな顔になる。思わず、眉を寄せた。
「隠しているつもりはありません」
「だろうねぇ」
おばさんはくすりと笑う。
「だから言ってるんだよ。あんたは分かってないんだ」
分かっていない。
その言葉に、少しだけ引っかかる。
何をだろう。
「何を、ですか?」
「男の目」
あっさりと言われた。
瞬きをひとつする。
意味は分かる。
言葉としては理解できる。
けれど――それが何を指しているのかが、はっきりしない。
「必要なこと、ですか?」
素直にそう返す。
おばさんは一瞬きょとんとして、それから小さく吹き出した。
「必要かどうかで考えるあたりが、あんたらしいねぇ」
腰に手を当てて、少し考えるように視線を上げる。
「そうだねぇ……まぁ、なくても生きてはいけるさ」
少しだけ声の調子が変わる。
「まぁ、それがあると、楽になることもある」
思わず、首をかしげた。
楽になる。
それは、どういう意味だろう。
「助けてもらいやすくなるとか、優しくしてもらえるとか。そういうのさ」
「……お金と同じですか?」
すぐに出た言葉だった。
おばさんは一瞬だけ黙ってから、苦笑した。
「似てるようで、ちょっと違うね」
完全には否定しない。
「金は分かりやすいだろう?払えば終わり」
「でも、そっちはね……終わらないことが多い」
顔を傾げ、おばさんを見る。
終わらない。
その言葉が、少しだけ残る。
意味は分かるはずなのに、
どこで終わるのかが分からないものを、
どう扱えばいいのかが分からない。
…。
「なら、関わらないほうがいいです」
即答した。
おばさんは、少しだけ笑みを引っ込めた。
「……まぁ、そう思うよねぇ」
否定はしない。
「私も若い頃はそうだったよ」
ぽつりと言う。
「でもね」
少しだけ視線を逸らす。
「関わらないで済むなら、誰も苦労しないんだよ」
また私を見る。
「気づいたら、関わってるもんさ」
それから、少しだけ優しい目になる。
「あんたみたいなのはさ」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「変なとこで損するんだよ」
「損ですか?」
「そう」
指先で額を軽くつつかれる。
特に何とも思わなかった。
「それでも、面倒だからって全部避けてたらさ」
「気づいたときには、何も残ってないかもしれないよ」
その言葉をそのまま受け取る。
「……必要なら、覚えます」
「使えるなら、使います」
おばさんは少しだけ目を細め、それから、ため息のように息を吐く。
「そういうもんじゃないんだけどねぇ」
小さく笑う。
「まぁいいさ。今はそれで」
おばさんに手を引かれて、裏手に連れられる。
そこで、棚からもう一着、服を取り出す。
少し柔らかい色合いのものだった。
「ほら、着てみな。似合うかどうかくらいは、見てやるよ」
差し出された。
柔らかな手触りと少しだけ軽い、その布の感触。
それを確かめるように受け取る。
どう見ても、機能性は低そうに見える。
けれど。
――さっきのスープと同じで。
理由の分からないまま、拒む理由もなかった。
「……分かりました」
そう言って、小さく頷いた
服を受け取って、しばらく見つめる。
布は柔らかくて、軽い。
色も、今まで着ていたものより少し明るい。
「裏で着替えておいで」
言われて、頷く。
言われるままに、奥へ回る。
人目のないところで、今の服を脱いでいく。
少しだけ冷える空気。
包帯の巻かれた部分に触れないように、ゆっくりと腕を通す。
――軽い。
思っていたよりも、ずっと。
袖は少し長くて、手の甲にかかる。
裾も少し広がっていて、動くたびに布が揺れる。
鏡のようなものはない。
けれど、感覚だけでも分かる。
今までと違う。
襟元が少し開いていて、首元がスウスウとする。
動くと、胸元の布がわずかに遅れてついてくる。
なんだろう……落ち着かない。
手で軽く押さえる。
スカートに視線を落とす。
膝が出ている。
動けば、もっと上がるだろう。
少しだけ、足を閉じる。
無意識だった。
――昔。
もっと飾られた服を着せられていたことを思い出す。
色のついた布。
重たい装飾。
動くたびに揺れるドレスのようもの。
綺麗だったと思う。
でも、それは――
自分で選んだものではなかった。
誰かに整えられて、
誰かに見られるための形にされていた。
そのときの、あの感じ。
少し、似ている。
こそばゆいような。
落ち着かないような。
どこに手を置いていいか分からない感覚。
服を、軽く引っ張る。
裾を下げるように。
意味はないと分かっているのに。
足を揃えて、少しだけ内股になる。
それも、意識していない動きだった。
――これで、いいのだろうか。
外に出る前に、少しだけ迷う。
でも、言われたから。
そのまま戻る。
おばさんは、振り返って私を見る。
一瞬、目を丸くしたと思えば、にやりと笑う。
「ほら見な、やっぱり似合うじゃないか」
私は少しだけ視線を逸らす。
「……動きにくいです」
「戦う格好じゃないって言ったろう?」
くるりと一周するように手で促される。
一瞬、ためらって。
でも、そのまま、ぎこちなく回る。
裾が、遅れて揺れてくる。
その感覚が、少しだけ変だった。
「いいねぇ」
おばさんは満足そうに頷く。
「これなら、そこらの男も放っておかないよ」
その言葉に、動きが止まる。
「あの、それはどういう意味ですか?」
振り返ったまま、聞く。
「そのまんまの意味さ」
「可愛いってことだよ」
可愛い。
また、その言葉。
それが、今の自分に向けられている理由が分からない。
それは、誰かに向ける言葉のはずで、自分に向けられるものではない気がした。
「これも、必要、ですか?」
また同じ言葉が出てしまう。
「ま〜た、それかい」
少しだけ、近づいてくる。
「必要かどうかで言えば、これも別にいらないさ」
肩を軽く叩く。
「そうやって見られるってことはさ、何かしら、引っかかってるってことだ」
黙る。
考えるけれど、わからない。
さっきよりも少しだけ、落ち着かない気がして視線が、自分に向く。
そういうことを言っているのだと、なんとなく分かる。
――それは。
いいことなのか。
悪いことなのか。
これもわからない。
胸元を、もう一度軽く押さえる。
「……」
言葉が出ない。
おばさんは、その様子を見て少しだけ柔らかく笑った。
「まぁ、今は分からなくていいよ」
手をひらひらと振る。
「そのうち嫌でも分かる」
「ほら、気に入らないなら着替えてもいいさ」
そんなふうに言った。
少しだけ、間。
服を見下ろした。
悪くはない。
むしろ――
少しだけ、楽しいと感じている。
動くたびに揺れる布。
軽さ。
違う自分になったような感覚。
でも、胸の奥に残る、引っかかり。
視線。
意味の分からない可愛い。
それが、落ち着かない。
このままでもいい気がした。
でも、このままでいる理由が分からなかった。
私は言われた通り裏に戻って、服を脱ぐ。
さっきよりも、少しだけ早く。
元の着ていたおばさんの服に袖を通す。
重さ。
硬さ。
それが――落ち着く。
さっきの服を畳む。
少しだけ丁寧に。
理由は分からない。
戻ると、おばさんがちらりと見る。
何も言わない。
ただ少しだけ、口元が緩んでいた。




