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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
26話
134/150

雨音の朝

 


 瞼の裏は暗くて、何も見えない。


 何も見えないはずなのに、夢はそこに何かを映し出すものだ。

 楽しい夢も、悲しい夢も、誰かが出てくる夢も。


 けれど、その夜は違った。


 スープを飲んだあとの、体の奥に残る熱。

 ベッドの布に包まれた感触。

 その中にも、わずかに残る柔らかな温もり。


 それだけを感じたまま、意識は落ちていた。


 このまま眠れば、朝が来る。

 そうすればきっと、いつも通りの朝が来る。


 そんなふうに思っていた。


 ――夢はなかった。


 気づけば、時間だけが抜け落ちている。


 眠ったはずなのに、眠った実感がない。

 それでも体は、勝手に起きようとしている。


 ゆっくりと目を開けると、窓の向こうから薄暗い光が差し込んでいた。


 ボタボタ、と音がする。


 水が落ちるような音。

 叩きつけるような、細かく連なる音。


 ザァザァと続くその音を聞いていると、不思議と気持ちが静かになる。


 ……雨だ。


 少し考えてから、ベッドを降りる。


 冷えた床を踏みしめながら窓へ歩み寄り、外を覗き込む。


 空は重たく、雲は低く垂れ込めている。

 雨は細かく降り続き、景色全体が白くぼやけて見えた。


 風にあおられた水滴が窓ガラスに当たり、張り付いていく。

 その水滴は、周りの滴を巻き込みながら大きくなり、ゆっくりと下へ流れていく。


 端まで辿り着くと、見えなくなる。


 その繰り返しを、しばらく眺めていた。


 朝に聞きたかった音ではない。

 けれど、これも悪くはない――そう思えた。


 ……ほんの一瞬だけ。


「ああ、そうだ」


 小さく息を吐く。


 これでは外に出られない。


 冒険も、依頼もできない。


 冷たい雨の中をずぶ濡れで動くのは無茶だ。

 そんなことをして体調を崩したら、本末転倒だ。


 それは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。


 ため息がこぼれる。


 視線を落とすと、服が目に入った。


 おばさんの服。


 着れないからと言っていたあれを、そのままもらっていいのだろうか。

 そんなことを、ふと思う。


 自分の服もあるけれど、今はおばさんに渡したまはまだ。


 ならば、もう一度聞けばいい。


 それだけのことだ。


 身支度を始める。


 今日は街の外へ出るわけではない。


 レザー装備に手を伸ばしかけて、止まる。


 ……必要ない気がした。


 冒険者になるために必要だと思って、手に入れたもの。

 それなのに、それを着ないという選択をしている。


 少しだけ、違和感があった。


 まるで、自分ではないような感覚。


「……ギルドに行くだけ」


 小さく呟く。


「エルネに、会うだけ」


 それだけだ。


 ポーチを身につける。


 雨は強いが、軒先を伝えば濡れずに移動できるはずだ。


 そう思いながら、部屋の中に視線を巡らせる。


 壁に立てかけられた杖が目に入る。


 手を伸ばし、それを掴み上げる。


 自分のものではない杖。


 一瞬、胸の奥に重たいものがよぎる。


 けれど、すぐに頭を振った。


 違う。

 今は関係ない。


 考える必要はない。


 部屋を出る。


 雨音は、どこにいてもついてくる。


 廊下を歩く音も、扉の軋む音も、どこか小さく感じる。


 そのままカウンターの方へ足を進めると、おばさんがいた。


 いつもと変わらない様子で、そこにいる。


「あの、この服着ててもいいですか?」


 声をかけると、おばさんは顔を上げてこちらを見る。


「ああ、良いよ。他にもあるよ。可愛いんだから、小洒落た服を着ておめかししなよ」


 笑顔だった。


 お洒落。


 その言葉が、少しだけ引っかかる。


 冒険者に、お洒落。


 それは何か違うような気がする。


「こんな格好で冒険は、無理があると思います」


 自然と口から出る。


「スカートは動きやすいですけど、走るときや急な動作に足を引っ掛けてしまいます」


 おばさんはそれを聞いて、ふっと笑った。


 肩を軽くすくめる。


「冒険の話なんてしてないよ」


 その言葉は、あまりにもあっさりしていた。


 まるで最初から、噛み合っていなかったかのように。

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