表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
25話
130/151

遅れてきた約束


 腕の中にいたはずなのに、体はもう一人だった。


 あの温もりを覚えている。

 押さえ込まれるような安心感も。


 なのに、胸の奥だけがずっと冷たい。


 息を吸う。

 浅い。

 吐く。


 うまく抜けない。


 鼓動が、少し早い。


 落ち着いたはずなのに。

 体だけが、納得していない。


 何かを、まだ続けている。



 鳥のさえずりが聞こえた。


 やけに澄んだ音だった。宿にいたはずなのに、そんな音が聞こえること自体がおかしい。


 ここは、森の中だ。


 風はない。木々は揺れず、葉擦れの音もしない。けれど、音だけがある。音だけが、現実のように響いている。


 私は、宿に戻ったはずだった。


 そう思った。確かに、あの後、ギルドで手続きをして、傷を見てもらって、それから——


 そこから先が、曖昧だった。


 視線を巡らせる。


 景色の輪郭はぼやけていて、霧のように曖昧に溶けている。けれど、足元だけははっきりしていた。


 軽く足踏みをする。


 靴裏に、土の感触。


 ジャリ、と擦れる音。


 土だ。


 現実だと、思った。


 ふと、手の中にあるものに気づく。


 杖。


 私の杖だった。


 壊れたはずの、あの杖。


 折れたはずのそれが、何事もなかったように握られている。


 どうして。


 疑問が浮かぶ。けれど、答えは出ない。


 考えようとした瞬間、


 声がした。


「オークを倒したことがあるのは、本当なのね。Eランクでオークを倒すなんて普通ないでしょ?」


 振り返る。


 セナがいた。


 あの時と同じ場所に、同じように立っている。


「あ……」


 言葉が出ない。


「無事、だったんですか……?」


 問いかける。


 けれど。


 返事はない。


 目は合っているのに、言葉が返ってこない。


 違和感。


「一体だけ、俺たちにやらせてくれないか」


 隣から声がする。


 ラウドだった。


 さらにその奥に、ケインとディル。


 四人とも、そこにいる。


 生きている。


 動いている。


 視線が合う。


 胸の奥が緩む。


 安堵が、滲む。


 けれど。

 同時に、何かが引っかかった。


 聞いたことのある台詞。


 見たことのある光景。


 これは——


 戻っている。


 あの時に。

 洞窟に入る前に。


 視線の先に、ぽっかりと口を開けた穴がある。


「この先にいるな。気を引き締めろ」


 ラウドの声。

 その瞬間、体が勝手に動いた。


 走り出して、入り口の前で振り返る。


「ダメです!」


 声を張る。


 ——遅れて、もう一度同じ声が聞こえた。


 自分の声が、少し後から重なる。


 口はもう閉じているのに、声だけがあとから出てくる。


 おかしい。

 喉に触れる。

 何もない。


 なのに——声だけが、遅れて落ちていく。


「行ったら、死にます! みんな、死ぬんです!」


 両手を広げる。


 止めるように。


 遮るように。


「待ってください、お願いです、止まって……」


 誰も、反応しない。

 まるで、聞こえていないかのように。


 止めればいい。


 知っている。


 この先で、何が起きるか。

 だから、止めればいい。


 それが正しい。


 それで、助かるはずだ。




 ——本当に?

 一瞬だけ、思った。


 もし、ここで止めても。


 別の形で、同じことが起きるだけなんじゃないか。


 淡々と準備を進めている。

 

 考える前に、声を張り上げた。


「ラウドさん! お願い、止めてください……!」


 必死に言葉を重ねる。


 けれど。


 誰一人として、こちらを見ない。


 そのまま。


 洞窟へと、入っていく。


「待って……!」


 手を伸ばした瞬間——


 景色が、変わった。


 洞窟の中。


 あの場所。


 血の匂いが蘇る。



 腕を、引かれた。


「たす……け……」


 振り向く。


 ケインだった。


 血に濡れた顔で、こちらを見ている。


 手が、掴まれている。


 強くではない。


 必死に、離れないように、指先にだけ力がこもっている。


 温かい。

 生きている温度。


 その目。


 その声。


 指が、わずかに動く。


 私の手を、確かめるように


「……っ!」


 ——反射的に振り払った。

 

 意識より先に、体が。

 逃げるように。

 拒むように。


 耐えられなくて。


 手を振り払ってしまった。


「あ……」


 その瞬間、ケインは闇に引きずり込まれた。


 黒い何かに飲まれるように。


 消えていく。


 追いかける。


 手を伸ばす。


 届かない。


「グォオオオ!」


 雄叫び。


 振り向く。


 黒い影が、ディルに振り下ろされる。


「避けて!!」


 叫ぶ。


 ディルと目が合う。


 近い。

 届く距離。


 なのに——

 間に合わない。


 潰れる音。


 飛沫。

 消失。


 また、同じだ。

 また、見ている。


 何もできずに。


 杖を構える。


 魔法を使う。


 それしかない。


 これでいい。

 これで間に合う。


 魔法を撃てば、全部終わる。


 助けられる。

 ——そう思った瞬間だった。


 杖が、軋む。

 細い音。

 嫌な予感。


 空を掴むみたいに、手応えがない。


 崩れる。

 砂のように。

 握っていたはずのものが、手の中から消えていく。


「ウィンド……」


 杖が砂のように、崩れていく。


「ウインドブラスト!」


 魔力を流す。


 何も起きない。


 そのまま、手の中から消えた。


 理解できない。


 呼吸が乱れる。


 次は。

 次は誰だ。


 そう思った瞬間、


 背後から何かが突き出された。


 杖。


 セナの杖。


 杖を掴んだ。


 反射的に。


 それしかないと思って。


 引き寄せる。


 ブチッ。

 嫌な音。


 振り返る。


 距離を取る。


 視線を落として、杖をみる。


 その先。


 指。

 指が、ある。


 手。


 ——腕が、ない。

 そこでようやく気づいた。



 切り離された手。


 それが、杖を握っている。


「……っ!!」


 落とす。


 ボトッ。

 鈍い音。


 息が止まる。

 ゆっくりと、視線を上げる。


 セナ。


 四肢の先がない。


 ラウド。


 顔が潰れている。


「いや……」


 声が出る。


 走る。


 逃げる。


 どこでもいい。


 ここから離れないと。


 離れないと。


 思考が回らない。


 何かを忘れている。


 大事なことを。


(……一緒に、食べよう)



 声。


 足を止まる。


「先輩」


 振り返る。


「リュシア先輩、こっちですよ」


 そこには、焚き火があった。

 

 揺れる火。

 暖かい。

 ……はずなのに。


 火の音が、少しだけ遅れて聞こえる。

 パチ、と鳴る。


 遅れて、もう一度パチ、と鳴る。

 同じ音が、二度。


 焼ける音。

 香ばしい匂い。


 ホーンラビット。


 その前に座る、エルネ。


「先輩が遅いから、もう焼いてますよ」


 笑っていた。


 あの時と同じように。


 何も知らないままの顔で。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ