表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
24話
128/151

置いてきたものの数

 


 走った。


 ただ、走った。


 暗い洞窟の中、靴が石床を叩く乾いた音だけが、やけに大きく響いていた。


 視界は悪い。

 けれど、迷わなかった。


 さっきまで通っていたはずの道を、記憶だけでなぞるように駆け抜ける。

 振り返らない。振り返れない。


 足を前へ出す。


 その瞬間——


 ガッ、と何かに引っ掛かった。


 乾いた音が、連続して鳴る。

 カラン、コロン、と。


 体が宙に浮いた。


 その瞬間——


 やけに長く感じた。

 体が前に倒れていく。


 ゆっくり。

 ゆっくり。


 石の床が近づく。

 音が、ない。

 何も聞こえない。



 ——次の瞬間、


 重力に引き戻され、叩きつけられる。


「はぐ…」


 咄嗟に右腕で頭を庇った。

 その代わりに、受けた腕がじん、と鈍く痛む。


 息が詰まる。


 何に、引っ掛かったのか。


 考える前に、体を起こそうとする。

 両手で地面を押し、起き上がろうとした瞬間、


 ズキン、と左肩が悲鳴を上げた。


 矢の刺さったままの傷が、思い出したように疼く。


 一瞬、力が抜ける。

 けれど倒れない。


 歯を食いしばり、なんとか体を持ち上げる。


 息が荒い。


 そのまま、ゆっくりと振り返った。


 暗い。


 何も見えない。


 何もいない。


 ——はずだ。


 腰に手をやり、ランタンを探る。

 指先が金具に触れる。


 カチャ、と音を立てて火を灯す。


 ぼんやりとした光が、周囲を照らした。


 そして——


 そこにあったのは、骨だった。


 人骨。


 それ以外、何もない。


 あのとき見た。

 洞窟に入ったときに、最初に見たもの。


 名前だけ、誰かも分からない、冒険者の成れの果て。


 ……。


 骨だ。


 それ以上の言葉が、浮かばない。


 怖いとも、哀れとも、思わない。


 ただ、骨だった。


 視線を外す。


 周囲を確認する。


 何もいない。


 それだけを確かめて、立ち上がった。


 そしてまた、走り出す。


 洞窟を抜けた。


 光が差し込む。

 外の空気。


 いつもなら、重たい空気が抜けて、

 息が楽になるはずだった。


 けれど——


 何も変わらなかった。


 風が吹く。

 木の葉が擦れる。

 鳥が鳴く。


 土を踏む感触。


 全部、分かるのに。


 何も軽くならない。


 何かが、纏わりついている。


 見えない何かが、ずっと。


 分からない。


 ……。


 ああ、そうだ。


 冒険者証。


 ポーチの中にある。


 それを持っていけば、説明できる。

 ギルドに話せば、回収してくれるはず。


 遺体も、遺品も。


 きっと、そうだ。


 だから——


 大丈夫。


 依頼も、達成している。


 オークの耳は三つ。


 報酬は……金貨一枚。


 一人、金貨一枚。


 ……。


 どうなるんだろう。


 それだと。


 私が、一人で全部、受け取ることになる。


 それは、違う。


 そんな気がした。


 でも、じゃあ。


 金貨一枚で、みんなは死んだのか。


 それが命の値段なのか。


 オークの命か。

 私たちの命か。


 分からない。


 頭の中が、ぐるぐると回る。


 何かを、忘れている気がする。


 (……一緒に、食べよう)


 誰かの声。


 そこで止まって、続きが出てこない。


 何を食べるのかも、誰とだったのかも。


 ただ、その言葉だけが残る。


 それが何か分からない。


 思い出せない。


 ……。


 街が見えた。


 門。


 ギルド。


 すぐそこ。


 足を止めずに駆け抜ける。


 人が道を開ける。


 誰もがこちらを見る。


 視線。


 けれど、それを気にする余裕はなかった。


 ギルドの扉を押し開ける。


 ギィ、と乾いた音。


 中へ入る。


 いつもと同じ匂い。

 汗と酒と——


 血の匂い。


 それが、消えない。


 視線が集まる。


 いつもなら、すぐに逸れるはずなのに。


 逸れない。


 ずっと、見られている。


「おう、派手にやったな」


 知らない声。


 誰だろう。


 分からない。


 周囲がざわつく。


 ヒソヒソと、声。


 気にしない。


 そのまま受付へ向かう。


 依頼書と討伐証を置く。


「あの、これを、依頼と……」


 遅れて、冒険者証を並べる。


「冒険者証です」


 受付の女性は、表情を変えない。


「あなた様の冒険者証を」


「あ……」


 首から下げたそれを見せる。


「リュシアさんですね」


 淡々とした声。


 状況の確認。


 死亡の確認。


 事情聴取。


「……はい」


 それだけ答える。


 受付は去る。


 静かになる。


 ぽたり。


 音。


 足元を見る。


 赤い滴。


 自分の血。


 後ろを見る。


 点々と続く、血の跡。


 ……。


 振り返る。


 人。


 人、人、人。


 見られている。


「他のやつはどうした?」


 声。


「死んだのか?」


 ズキン、と胸が痛む。


 ざわめきが広がる。


 音が、耳の奥で膨らむ。


 その中で——


 一人、見えた。


 ミアレ。


 人混みをかき分けて、こちらを見る。


 その瞬間——

 一人の男が、私の横で小さく息を呑んだ。


「……なんだよ、あれ」


 別の声。


「血……全部あいつか?」


 視線が刺さる。


 下を見る。


 自分の服。

 乾きかけた赤。

 固まった血がひび割れて、動くたびに剥がれる。


 手。

 指の間に黒く固まったもの。


 ……これが、私?


 顔を上げる。


 ミアレが、こちらを見ていた。


 その姿を見て、少しだけ息が落ちた。


 安堵。


 ……のはずだった。


 けれど。


 ミアレは。


 目を見開き、口を押さえた。


 まるで。


 何か、見てはいけないものを見るように。


「ミァ……」


 声をかける。


 一歩、近づく。


 おかしい。


 距離がある。


 近いのに。


 遠い。


 目が合わない。


 何かが、間にある。


 言葉が、出ない。


 声が、届かない。


 もう一度だけ視線が合う。


 そして。


 逸らされた。


 ミアレは、そのまま後ろへ下がる。


 何も言わずに。


 離れていく。


 ……。


 ……?


 あれ。


 私。


 嫌われた?


 そう思った。


 ポーチに手を入れる。


 紙が触れる。


 取り出す。


 カサカサと音がする。


 しわくちゃの紙。


 ミアレから貰ったもの。


 何かあったときのためにと、渡された。


 住所の書かれた紙。


 それを、見つめた。


 ……。


 握りしめる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ