命の値札と知らない遊び
外から差し込む朝の光が、ギルドの室内をぼんやりと照らしていた。
昼間のような明るさはなく、木造の梁や壁の影がそのまま残る薄暗さ。けれど、そこにいる人間たちの気配だけは、はっきりと存在している。
冒険者たちの朝は早い。
普段のこの時間なら、まだ人はまばらで、それぞれが静かに準備を整えていることが多い。だが、今日は少し様子が違っていた。
声がする。
小さな話し声、呼びかける声。掲示板の前には数人のパーティーが集まり、何かを募るように声を上げている。その一方で、テーブル席に座る冒険者たちは、ちらりと視線を向けるだけで、特に気にする様子もなく、それぞれの時間を過ごしていた。
同じ空間なのに、関わる者と関わらない者が、はっきりと分かれている。
私はその中に立ち、周囲を見渡した。
エルネの姿はない。
やはり、もう出ているのだろう。
ほんの少しだけ胸の内で何かが揺れたが、それを言葉にする前に思考を切り替える。
エルネの一日はもう始まっている。
――そう、勝手に名前をつけて。
掲示板へ向かおうと、自然と身体が前に出る。
その時だった。
行く手を遮るように、ひとりの男が視界に入る。
椅子にだらしなく腰掛け、後ろへ身体を預けるような姿勢。椅子の足が2本立ちしてバランスを取っている。
丸顔で頬は赤く、耳の先までほんのりと色づいている。
近づくまでもなく、酒の匂いがした。
朝なのに。
まるで、宿のおじさんのようだと、ぼんやりと思う。
「よぉ、新人ちゃん」
見覚えはない。
名前も知らない。
けれど、腰に下げたロングソードが、この人が冒険者であることを示している。
私は足を止めた。
「あの、私に何か?」
男はにやりと笑い、ポケットから銀貨を一枚取り出した。それを指先で弾くようにして、私の前へ差し出す。
「これ、やるよ。お礼だ、へへ」
むくんだ指の上に乗る銀貨。
光を受けて鈍く輝くそれが、妙に現実感を持って目に映る。
……お礼?
私は、何かしただろうか。
記憶を辿る。だが、この男と関わった覚えはない。
胸の奥に、じわりとした違和感が広がる。
おばさんとも、雑貨屋の店主とも違う。
これは、何かが違う。
「これは、何ですか」
そう尋ねると、男は少し眉をひそめて笑った。
「何って、お前……銀貨だろ?なんだ?いらねぇのか?ガキにはジュースの方がいいか?」
求めていた答えではなかった。
言葉がすれ違っているような、妙な居心地の悪さ。
私は一度、息を整える。
そして、問い直す。
「これを、なぜ、私に?」
男は「ああ」と適当に頷き、軽く肩を揺らした。
「そりゃあれだ。お前が死にに行く新人だったらしいからな」
――は?
思考が一瞬、止まる。
どうして、そんな言葉が出てくるのか分からない。
ガルドの顔が頭をよぎる。
死体漁り。Dランク。死にに行くやつを助けている。
ここに来てから、何度も聞いた言葉。
その延長に、今の言葉がある。
「俺たちはな、賭けをしてんだ」
男は続けた。
何を言っているのか、分からない。
「賭けって、なんですか?」
恐る恐る尋ねる。
男は少しだけ目を細め、楽しそうに言った。
「あー、なんだ。新人が自力で帰ってくるか、助けられて帰ってくるか。金を出し合って、どっちになるか当てる遊びだ」
にやけた顔。
その口元。
それが妙に、気に障る。
同じ人間のはずなのに、この人の口元だけが、違う生き物みたいに見えた。
強い嫌悪が胸を締め付けた。
杖を握る手に力が入る。
息を深く吸い込む。
言葉が出てこない。
男はそんな私を見ても、まるで気にした様子もなく続ける。
「別に俺たちが殺すわけじゃねぇ。冒険者ってのはもともと死ぬかもしれねぇもんだろ?」
その言葉に、心が引っかかる。
死ぬかもしれない。
……死ぬ。
私は視線を逸らした。
私は大丈夫だ。
強いから。魔法があるから。
そう思っている。
思っている、はずなのに。
口が動いた。
「……それは、当たったら……嬉しいんですか?」
自分でも、どうしてそんなことを聞いたのか分からない。けれど、男は嬉しそうに笑った。
「ああ。当たれば酒も飲めるし、飯も食える。外れりゃ、まあ……運がなかったってだけだ」
誰かの命が、遊びになる。
……それは、私のことでもあったのだと、遅れて気づいた。
視線を戻して、男を見る。
「誰かが、死ぬかもしれないのに?」
その問いに、男は笑った。
下卑た笑い。
「へへ、死なねぇよ。そのためにガルドがいるんだろう」
ガルドがいるから、死なない。
そう言われたその言葉が、なぜか少しだけ怖かった。
――じゃあ。
じゃあ、いなかったら?
「ガルドさんが、いなかったら?」
男は肩をすくめる。
「そいつは死なねぇやつってことだ。賭けはガルドが動くかどうかだ。それでもし何かあったら……そいつはそいつで、どうにかするしかねぇな」
淡々とした言葉だった。
そこに迷いはない。
私は、差し出された銀貨を見た。
受け取らなかった。
「いりません」
それだけ言った。
男は少しだけ目を細め、それから何も言わずに銀貨を引っ込めた。
ポケットの中に消えていく。
その音が、妙に小さく響いた。
私はその場を離れ、掲示板の方へ向かう。
同じ場所なのに、違う場所に来たみたいな気がして足取りが重かった。




