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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
22話
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命の値札と知らない遊び

 



 外から差し込む朝の光が、ギルドの室内をぼんやりと照らしていた。


 昼間のような明るさはなく、木造の梁や壁の影がそのまま残る薄暗さ。けれど、そこにいる人間たちの気配だけは、はっきりと存在している。


 冒険者たちの朝は早い。


 普段のこの時間なら、まだ人はまばらで、それぞれが静かに準備を整えていることが多い。だが、今日は少し様子が違っていた。


 声がする。


 小さな話し声、呼びかける声。掲示板の前には数人のパーティーが集まり、何かを募るように声を上げている。その一方で、テーブル席に座る冒険者たちは、ちらりと視線を向けるだけで、特に気にする様子もなく、それぞれの時間を過ごしていた。


 同じ空間なのに、関わる者と関わらない者が、はっきりと分かれている。


 私はその中に立ち、周囲を見渡した。


 エルネの姿はない。


 やはり、もう出ているのだろう。


 ほんの少しだけ胸の内で何かが揺れたが、それを言葉にする前に思考を切り替える。


 エルネの一日はもう始まっている。


 ――そう、勝手に名前をつけて。



 掲示板へ向かおうと、自然と身体が前に出る。


 その時だった。


 行く手を遮るように、ひとりの男が視界に入る。


 椅子にだらしなく腰掛け、後ろへ身体を預けるような姿勢。椅子の足が2本立ちしてバランスを取っている。

 丸顔で頬は赤く、耳の先までほんのりと色づいている。


 近づくまでもなく、酒の匂いがした。


 朝なのに。


 まるで、宿のおじさんのようだと、ぼんやりと思う。


「よぉ、新人ちゃん」


 見覚えはない。

 名前も知らない。

 けれど、腰に下げたロングソードが、この人が冒険者であることを示している。


 私は足を止めた。


「あの、私に何か?」


 男はにやりと笑い、ポケットから銀貨を一枚取り出した。それを指先で弾くようにして、私の前へ差し出す。


「これ、やるよ。お礼だ、へへ」


 むくんだ指の上に乗る銀貨。


 光を受けて鈍く輝くそれが、妙に現実感を持って目に映る。


 ……お礼?

 私は、何かしただろうか。


 記憶を辿る。だが、この男と関わった覚えはない。

 胸の奥に、じわりとした違和感が広がる。


 おばさんとも、雑貨屋の店主とも違う。


 これは、何かが違う。


「これは、何ですか」


 そう尋ねると、男は少し眉をひそめて笑った。


「何って、お前……銀貨だろ?なんだ?いらねぇのか?ガキにはジュースの方がいいか?」


 求めていた答えではなかった。


 言葉がすれ違っているような、妙な居心地の悪さ。


 私は一度、息を整える。


 そして、問い直す。


「これを、なぜ、私に?」


 男は「ああ」と適当に頷き、軽く肩を揺らした。


「そりゃあれだ。お前が死にに行く新人だったらしいからな」


 ――は?


 思考が一瞬、止まる。


 どうして、そんな言葉が出てくるのか分からない。


 ガルドの顔が頭をよぎる。


 死体漁り。Dランク。死にに行くやつを助けている。


 ここに来てから、何度も聞いた言葉。


 その延長に、今の言葉がある。


「俺たちはな、賭けをしてんだ」


 男は続けた。


 何を言っているのか、分からない。


「賭けって、なんですか?」


 恐る恐る尋ねる。


 男は少しだけ目を細め、楽しそうに言った。


「あー、なんだ。新人が自力で帰ってくるか、助けられて帰ってくるか。金を出し合って、どっちになるか当てる遊びだ」


 にやけた顔。


 その口元。


 それが妙に、気に障る。


 同じ人間のはずなのに、この人の口元だけが、違う生き物みたいに見えた。


 強い嫌悪が胸を締め付けた。


 杖を握る手に力が入る。


 息を深く吸い込む。

 言葉が出てこない。


 男はそんな私を見ても、まるで気にした様子もなく続ける。


「別に俺たちが殺すわけじゃねぇ。冒険者ってのはもともと死ぬかもしれねぇもんだろ?」


 その言葉に、心が引っかかる。

 死ぬかもしれない。


 ……死ぬ。


 私は視線を逸らした。


 私は大丈夫だ。

 強いから。魔法があるから。

 そう思っている。


 思っている、はずなのに。


 口が動いた。


「……それは、当たったら……嬉しいんですか?」


 自分でも、どうしてそんなことを聞いたのか分からない。けれど、男は嬉しそうに笑った。


「ああ。当たれば酒も飲めるし、飯も食える。外れりゃ、まあ……運がなかったってだけだ」


 誰かの命が、遊びになる。


 ……それは、私のことでもあったのだと、遅れて気づいた。


 視線を戻して、男を見る。


「誰かが、死ぬかもしれないのに?」


 その問いに、男は笑った。


 下卑た笑い。


「へへ、死なねぇよ。そのためにガルドがいるんだろう」


 ガルドがいるから、死なない。


 そう言われたその言葉が、なぜか少しだけ怖かった。


 ――じゃあ。


 じゃあ、いなかったら?


「ガルドさんが、いなかったら?」


 男は肩をすくめる。


「そいつは死なねぇやつってことだ。賭けはガルドが動くかどうかだ。それでもし何かあったら……そいつはそいつで、どうにかするしかねぇな」


 淡々とした言葉だった。


 そこに迷いはない。


 私は、差し出された銀貨を見た。


 受け取らなかった。


「いりません」


 それだけ言った。


 男は少しだけ目を細め、それから何も言わずに銀貨を引っ込めた。


 ポケットの中に消えていく。


 その音が、妙に小さく響いた。




 私はその場を離れ、掲示板の方へ向かう。


 同じ場所なのに、違う場所に来たみたいな気がして足取りが重かった。

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