表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
21話
110/143

価値と値段

 


 おじさんは、喉の奥で潰れたような唸り声を漏らしながら、ゆっくりと体を起こした。


「……誰だぁ。せっかく気持ちよく寝てたってのによぉ……酔いが覚めちまったじゃねぇか」


 顔はこちらを見ないまま、突っ伏していた体を引き剥がすように起こし、背もたれにだらしなく体重を預ける。


 その動きを見て、私は一歩だけ距離を取った。


 やがて、ようやく目が合う。


「……おお? 嬢ちゃんじゃねぇか。どうした? ……ああ、あれか。死体漁りは順調か?」


 その言葉に、思わず眉間にしわが寄った。


 死体漁り。

 そんなこと、するはずがない。


 やっていいことではない。

 人として、誰かの遺したものを奪うなんて。


 ——違う。今は、そこじゃない。


「しません。そんなこと。違います、聞きたいことがあって」


 身じろぎするたびに、酒の匂いが強くなる。

 体からなのか、服からなのか、それとも吐息からか。鼻の奥に刺さるような刺激が残る。


 くさい。


 一瞬息を止め、無意識に距離を取る。


「お? じゃあポーション買ってくれるのか? へへへ」


「それも、違います……」


 返した瞬間、わずかに空気が変わる。


「なんだぁ? 女将にでも言われてきたのか。俺を追い出そうってか?」


 違う。

 違うからこそ、自分から言わなきゃいけない。


「あの……変なこと、聞いてもいいですか」


 言葉を探す。

 まとまっていないのは、自分でも分かっていた。


「今日、広場で……瓶、投げてる人がいて。癒し手の人にです。あれって……どういうことなんですか」


 記憶を辿りながら問いかける。

 自分の声が、少しだけ曖昧に揺れた。


「んぁ? ……広場? 知らねぇな。で、何だ」


 適当に返されたようで、それでも目はちゃんとこちらを見ている。


 ——聞いてくれている。


 だから、続ける。


「ポーションって……本当は、どういうものなんですか?」


 知っている。

 頭では分かっている。


 傷を治すもの。

 怪我をしたときに使うもの。


 それでも、何かが引っかかっている。


 問いを聞いたおじさんは、鼻で短く笑った。


「嬢ちゃんよ。最初会ったとき、怪我してただろうが」


「あ……」


「そのときポーション飲んだよな? どうだ。次の日には治ってただろ」


 当たり前の答えだった。


 足の痛みは引いた。

 殴られた後頭部の鈍い痛みも、気づけば消えていた。


 私はそっと、自分の後頭部に触れる。


「……はい。次の日には」


「だろうなぁ。俺ぁ調合師だ。効かねぇもんは作らねぇ」


 にやりと笑う。


「価値ってのはな、そこにある。瓶一つ、中身一つ。全部に意味がある。……過程だな」


 言葉を選ぶように、少しだけ間を置く。


「……時間だ」


 時間。


 思わず、その言葉を頭の中で繰り返す。


 調合の工程。

 素材。

 完成までの流れ。


「時間を買う、って言い方もできるな。はは……で、癒し手だっけか」


 視線が少し遠くを見る。


「あいつらのも本物だ。効く、すぐ治る、量も出せる。文句のつけようもねぇ。俺らが勝てる隙なんざ、どこにもねぇ」


 そこまで言って、ふっと声が落ちた。


 静かに、人差し指を立てる。


「……あんな値段で出せるわけがねぇ」


 空気が変わる。


「材料も、手間も、命もな……全部軽く見積もって、やっと形になる」


 指先がわずかに震えている。


「それをあの値段で出すってことは――」


 言葉が一度切れる。


「どっかで、誰かが、損してるってことだ」


 手が落ちた。


 その言い方が、なぜか引っかかった。


 視線を外す。


 そのまま前のめりになり、空の酒瓶を持ち上げてコップに傾ける。

 一滴だけ、ぽたりと落ちる。


「……もうねぇのか」


 覗き込んで、諦めたように瓶を置いた。


 沈黙が落ちる。


 私はそのまま、ぽつりと口にした。


「……でも、助かっている人もいます」


 間を置かず返ってくる。


「ああ、そりゃそうだ」


 短く、はっきりと。


「だから厄介なんだ……俺らじゃ、どうにもならねぇ…」


 コップを握る手に、力が入る。


「なぁ。お前ら冒険者にとって、あれはな……怪我を買ってるのと同じだ」


 怪我を、買う。


 その言葉が、頭の中で引っかかる。


「……よく考えろ」


 それ以上は、何も言わなかった。



 怪我をする前提、だから必要になるポーション。

 それは、当たり前のことのはずなのに。


 ——何かが違う気がする。


 怪我を買う?

 言葉の意味は分かるのに、うまく繋がらない。


 分からないまま、ただその言葉だけが残った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ