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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
20話
106/141

癒し手の者


 石畳の広場に、即席の台が組まれていた。


 簡素な木材を組み上げただけの、仮設の壇。

 だがその周囲には、すでに多くの人が集まり始めていた。


 冒険者。職人。商人。通りすがりの者。

 そして、ただの野次馬。


 立場も目的も違う人々が、ただ一つの方向へと意識を向けている。


 ――私の方へ。


 ざわめきが波のように広がり、そしてゆっくりと収束していく。


 喉の奥が、わずかに詰まり、息が浅い。


 胸の内側が、小さく震えているのが分かる。

 怖いのではない。


 ただ――重い。


 この場に立つ意味が、この場に立つ責任が、静かにのしかかってくる。


 指先を握りしめて、小さく拳を作る。

 その感触で、かろうじて自分を繋ぎ止める。


 一度、息を吸って、ゆっくりと吐き出す。


 そして――頭を下げた。


 ざわめきが止まり、音が消える。


 顔を上げる。


 視線が集まる。

 逃げ場はない。


 だからこそ、前を向く。


「……本日は、お時間をいただき、ありがとうございます」


 声は大きくない。


 けれど、不思議と広がっていく。

 押し出すのではなく、染みていくように。


「私は、癒しの氏族に連なる者として――この街で、ポーションの供給に携わっております」


 言葉を一つずつ、確かめるように紡ぐ。


 胸の奥の揺れを、声に乗せないように。


 軽く息を吸う。


「皆さまの中には、すでに使われた方もいらっしゃるでしょう」


「怪我をした時、倒れた時、あるいは――帰れないかもしれない、そう思った時に」


 一瞬だけ、言葉が引っかかる。


「その命を、繋ぐためのものです」


 広場の空気がわずかに変わり、ざわめきが低く揺れる。


 私は指を二本立てた。


「回復薬は、今や銀貨二枚で手に入ります」


 はっきりと告げる。


「決して高価なものではありません」


 それが事実であると疑いなく知っている。


「それは――誰か一人の力ではありません」


 言葉を重ねる。


 少しだけ、口元に力を込める。


「多くの癒し手が、その力を分け、形にし、瓶に封じているからです」


 目に見えないものを、見える形にする。

 それが、自分たちの役割だと教えられてきた。


「私たちは、特別なことをしているつもりはありません」


 ほんの一瞬、間を置く。

 静寂が落ちる。


「ただ――」



「目の前で、助けられる命を、見過ごしたくないだけです」


 それだけ。

 本当にそれだけ。

 特別でも崇高でもない。


「昔は、怪我をすれば――それで終わることもありました」


 ゆっくりと語る。


「治るかどうかは、運や時間に委ねられていました」


 それは、過去の話。

 けれど、遠い話ではない。


「けれど、今は違います」


 視線を前へ向ける。


「倒れても、戻ってこられる」


「血を流しても、止められる」


「その場で――生き延びることができる」


 言葉に、わずかな熱が宿る。

 胸の奥の揺れが、別の形に変わっていく。


 息を繋いで崩さないように、整える。



「冒険者の方々へ」


 視線が、集まる。


「あなた方は、危険な場所へ向かう方々です」


「それは、誰にでもできることではありません」


「だからこそ――」


 ほんのわずかに、言葉を選ぶ。


 迷いはない。正確に伝えたい。


「帰ってきてほしいのです」


 その一言に、すべてを込める。



「回復薬は、無理をするためのものではありません」


 声が、少しだけ強くなる。


「生きて帰るためのものです」


「倒れないためではなく――倒れても、終わらせないためのものです」


 それが役割。


 それが意味。


「すべての方に行き渡ることも、すべての命を救えるわけではありません」


 静かに言う。


 事実を、隠さない。


「それでも、救える命は、確実に増えました」


 確かなことだけを、積み重ねる。


「本来なら、失われていたはずの命が――今も、ここにある」


 広場を見渡す。


 そこにいる誰かが、その一人かもしれない。


「それが、私たちの誇りです」


 胸の奥にあるものを、そのまま言葉にする。

 それ以上でも、それ以下でもない。


 私は深く頭を下げた。


「どうか――使ってください」

「どうか――生きてください」


 祈りではない。

 願いでもない。

 ただの、選択の提示。


 顔を上げる。

 まっすぐ前を見る。

 揺れは、もうない。


 私は、疑わない。


 これが正しいと、信じている。


 それ以外を、知らないから。

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