手にするものと手に入らないもの
店の中を、ゆっくりと歩く。
足元が軋むたびに、どこかで積まれた木箱が揺れた気がした。
視線は自然と棚や箱へと落ちていく。
――杖さえあれば。
そう思う。
何度も、何度も。
あの短い白木の杖。
手に馴染んでいた、あの重さ。
それさえあれば。
気になったものも、好きなものも、迷わず買えるのに。
自分でも分かるくらい、納得のいかない顔をしていた。
手が無意識に、何もない空間を握る。
そこにあるはずの感触を、探すように。
そのときだった。
開いたままの木箱の中に、何かが見えた。
無造作に積まれたガラクタの隙間。
その中に、見覚えのある形。
木のような、質感。
思わず手を伸ばす。
掘り起こすようにして、それを取り出した。
掌に収まったのは、荒削りの器だった。
お椀のような、コップのような、用途のはっきりしない形。
表面は削り跡がそのまま残っていて、ゴツゴツと指に引っかかる。
――似ている。
バルクが使っていたものと。
「わぁ……」
気づけば、声が漏れていた。
欲しい。
そう思った。
両手で包み込み、表面を撫でる。
指先に引っかかる感触が、妙に心地いい。
これで白湯を飲んでいた姿が浮かぶ。
埃を払う。
息を吹きかける。
少しだけ、木の匂いがした。
これだ、と確信する。
誰かが使っていたものでも構わない。
むしろ、その方がいい気がした。
私はこれが欲しいから、買う。
理由はそれだけで十分だった。
一人、小さく頷く。
そして、器を抱えたままカウンターへ向かう。
---
エルネが店主と向かい合っていた。
その手には、一本の紐。
「だから、なんでこれが今の私に必要なんですかって話なんですよ!」
少し不満げな声。
どうやら買わされたらしい。
銅貨二枚。
安いのか高いのかは分からないが、エルネは納得していない様子だった。
店主は何も言わない。
ただ、エルネの剣を指差した。
「これ?これは売りませんからね」
言いながらも、エルネはしぶしぶ剣を外す。
鞘ごとカウンターに置いた。
店主はそれを手に取り、柄の部分に紐を巻き始めた。
何も言わずに。
丁寧に、隙間なく。
ぐるぐると、何重にも。
まるでほどけないように固定するかのように。
それだけだった。
やがて手を止め、エルネへと返す。
「えっと?これだけ?」
エルネは首を傾げる。
私も同じだった。
何が変わったのか、よく分からない。
エルネは柄を握る。
ぎゅっと握り、離し、また握る。
抜いて、納めて、もう一度握る。
「うーん……?ん?ん〜?」
はっきりしない反応。
それでも何かを確かめているようだった。
その様子を横目に、私は器を差し出す。
「あの、これを下さい」
店主は一瞥する。
「銀貨一枚」
迷わなかった。
ポーチから銀貨を取り出し、カウンターに置く。
これでいい。
これで、この器は私のものになる。
それだけで、胸の奥が少しだけ軽くなる。
ほんのわずかに、頬が緩む。
むず痒いような感覚。
それをポーチにしまい込む。
エルネはまだ、柄の感触を確かめていた。
店を出る。
あまり長くいれば、きっと一日中でも居続けてしまう。
そんな場所だった。
外に出た瞬間、空気が変わる。
喉の奥に、すっと入り込んでくる。
思わず息を吐いた。
静かで、少し怖そうな人だったけれど。
いい人だった、と思う。
袋の中の服を確かめる。
ちゃんとある。
それだけで、少し安心した。
顔を上げる。
そのとき、違和感に気づいた。
人の流れが、一方向に偏っている。
しかも、歩いているのではない。
――走っている。
何人もが、同じ方向へ急いでいる。
声が聞こえた。
「癒し手が来てるんだってよ!」
「早くしろ!」
急かすような声。
癒し手。
その言葉に、記憶が引っかかる。
バルクの声。
ギルドに来るはずのない癒し手。
だから、来るのを待っている――そんな話をしていた。
「先輩、行きましょう!」
エルネが振り返る。
「ポーションもらえるかもしれません!」
ポーション?
癒し手と、どう関係があるのか。
考えようとする。
宿にいた酔っぱらいの男。
調合師だと言っていた。
ああいう人が作るものじゃなかったか。
――分からない。
考えがまとまる前に、手を引かれた。
そのまま、走り出す。
石畳を叩く足音が増える。
周囲のざわめきも大きくなる。
人の流れに乗って、大通りへと出る。
強い光が、目に差し込む。
思わず手をかざして、影を作る。
徐々に視界がはっきりしていく。
そこには、人だかりができていた。
円を描くように集まる人々。
その中心に、即席の台。
そして――一人の少女。
周囲には兵のような人間が立ち、近づきすぎないように制している。
少女は、動かずに立っていた。
その姿は、あまりにも整っていた。
汚れ一つない衣服。
金色の髪。
帽子。
宝石の装飾が光を受けて輝いている。
流れるような布の重なりが、風に揺れる。
癒し手の氏族。
そういう存在なのだとしたら。
この姿は、きっと普通なのだろう。
「綺麗な人……」
隣で、エルネがぽつりと呟いた。
私は何も言わなかった。
ただ、その光景を見ていた。




