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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
19話
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見えなかった連なり



 私たちは、あの後すぐにその場を離れた。


 振り返らなかった。

 振り返れば、きっと足が止まる気がしたから。


 それでも、見てしまったものは消えない。

 そして、考えてしまう。

 

 水の中へ引きずり込まれていく、あの白い足先。

 泥と水の境目で、あっけなく消えていく最後。


 一度も、ぴくりとも動かなかった。


 ――助けられなかった。


 そう思った。

 けれど同時に、こうも思っていた。


 もし、あの瞬間に魔法を撃っていたとしても。

 引き上げることができたとしても。


 あれは、もう動かなかったんじゃないかと。


 食べられたから。

 そう考えた途端、腕の傷がじくりと疼いた。

 水の中で噛みつかれたあの感触が、遅れて蘇る。


 視線を横に向ける。


 エルネは、立ち尽くしたままだった。


 口がわずかに開いている。

 何かを言おうとしているのか、それとも何も出てこないのか。


 ただ、水面の方を見つめたまま、小さな声を漏らしていた。


 言葉にならない、かすれた音。


 呻くような、息のような。


 ……たぶん。


 私も同じ顔をしていた。


 あのとき、ジャイアントバットに掴まれたときの感覚。

 身体を掴まれ、あの瞬間の、どうしようもない嫌悪感。


 それと同じものが、胸の奥に残っていた。


 気持ちが悪い。

 ここにいること自体が、急に耐えられなくなる。


 だから、私たちはそれ以上何もせず、魔石集めをやめた。



---


 「はーい!依頼の確認をしますね〜!」


 明るい声で、意識が引き戻される。


 昼間のギルド。

 受付カウンターの前。

 周囲の声。 


 いつの間にか、報告を終えるところまで来ていた。


「スライムの核が七個、それから余剰分が二十三個ですね〜」


 淡々とした確認の声。


 ああ、そうか。

 あれだけ拾ったのだ。


 数字だけが、妙に現実味を帯びる。


「依頼報酬が銅貨五枚、それと追加で銅貨十四枚。合わせて――銀貨一枚と銅貨九枚になりますね」


 軽い調子でそう言って、受付嬢は硬貨を差し出した。


 いつも見る受付の人たちとは少し違う、どこか砕けた口調。


「はい、エルネさん。銀貨一枚どうぞ」


「いいの?やった!」


 エルネはぱっと表情を明るくして、硬貨を受け取る。

 そのまま嬉しそうに袋へとしまい込む。


 私も同じように硬貨を受け取り、袋に収めた。


 そのときだった。


「――冒険者さん、冒険者さん。ちょっとちょっと」


 受付嬢が身を乗り出す。


「ズル、しましたね〜?」


 心臓が、大きく鳴った。


 どくん、と。


 視線が合う。

 バレた理由を考える。


「し、してないですって!ちゃんとスライムから剥ぎ取りました!」


 エルネが慌てて言い返す。

 両手をぎゅっと握りしめ、まっすぐに相手を見る。


「あれれ〜?ほんとに〜?」


 受付嬢はいたずらっぽく顔を近づける。


 エルネは困ったように視線を泳がせ、こちらを見る。


 その視線に押されるように、私は口を開いた。


「あの……剥ぎ取ったのは本当です。その……少しだけ、落ちていたものも拾いました」


 言い終えると同時に、視線が下がる。


 怒られると思った。


 けれど――


「も〜、すぐ白状しちゃって」


 受付嬢は肩をすくめた。


「ああ、大丈夫大丈夫。別にいいのよ。スライムの核だろうと魔石だろうと、なんだって」


 なんでも?


 思わず顔を上げる。


「この依頼はね、魔物から魔石が取れるかどうかの確認なの。スライムが選ばれてるのは、ただ“比較的安全だから”ってだけ」


 指先でカウンターを軽く叩きながら続ける。


「でもね、安全でも魔物は魔物。危ないものは危ないのよ」


 ――危ない。


 その言葉が、妙に引っかかる。


 いつからだろう。


 安全な魔物と、危険な魔物を分けて考えていたのは。


 ホーンラビットは逃げるから安全?

 トカゲは無関心だから安全?


 ……本当に?


「え?それじゃあ、スライム以外でも達成できたってこと?」


 エルネが身を乗り出す。


 受付嬢はにやりと笑った。


「その代わり、スライム価格で引き取るけどね〜」


「え!?それひどい!!」


 エルネが大きな声を上げる。


「じゃあ今度はもっと大きい魔石持ってきます!この人の顔が隠れるくらいのやつ!」


「おやおや〜、ワイバーンでも倒すのかな〜?」


「先輩となら、いつか絶対やりますもん!」


 その言葉と一緒に、視線が向く。


 自然に。


 まっすぐに。


「……ふーん」


 受付嬢は、品定めするように私を見る。

 そして、ゆっくりと目を閉じた。


 私は、ひとつだけ気になっていたことを聞いた。


「あの……どうして分かったんですか?」


「ん?」


「同じスライムの魔石なのに……拾ったものだって」


 受付嬢は目を開け、口角を上げる。


「そりゃあね。毎日いろんな冒険者の納品物を見てるんだもの。観察、経験、実績――全部よ。チョチョイのちょい」


 胸を張る。


 その直後、後ろを通りかかった別の受付嬢が、軽く頭を小突いた。


「痛っ」


「どの口が言ってるんですか、ルーナ」


 そのやり取りに、場の空気が少しだけ緩む。


 ルーナと呼ばれた受付嬢は笑ってごまかし、再びこちらに向き直った。


「で?スライム、あんまりいなかったでしょ?」


「はい……洞窟にはいたんですけど、数が少なくて」


「代わりに?」


「黒くて、平たい頭のトカゲが……スライムを食べていました」


 受付嬢は「ああ」と頷く。


「それね、スライムドレイク。別名ぬめトカゲ」


 指を立てて説明する。


「スライムを主食にする小型の水棲ドラゴン。まあ主食って言っても、目の前に口に入りそうなものがあれば何でも食べるけどね」


 何でも。


 その言葉に、腕の傷がまた疼く。


 水の中で見えた、自分の腕。

 あれも“口に入るもの”として見られていたのだ。


「あとね、ジャイアントバットがいなかった理由も簡単」


 間を置かず、続ける。


「群れで移動するから。定住しないの。だから、いなくなった場所にはスライムドレイクが上がってくる。陸に出てでも、餌を取りにね」


 その言葉を聞きながら、頭の中で何かが繋がる。


 スライムが減っていた理由。

 トカゲがいた理由。

 ジャイアントバットがいなかった理由。


 ばらばらだったものが、ゆっくりと形を持つ。


 糞や死骸をスライムが処理する。

 そのスライムをスライムドレイクが食べる。

 そして、そのスライムドレイクを――ジャイアントバットが食べる。


 ただ、それだけのこと。


 誰かが仕掛けたわけじゃない。


 罠でもない。


 ただ、そこにあっただけ。


 その中に、私たちが入り込んだ。


 それだけだった。

木の天板に肘をついたまま、ルーナは紙束の端を揃えた。

「……そういえば、あなたたちが拾った“核”」


指先で、軽く叩く。


「スライムのものだって、言ってたわよね」


「——あれ、自然に落ちてるものじゃないの」


紙を揃える音。


「スライムドレイクが、飲み込んで消化できなかった分を、吐き戻すのよ」


間。


「……つまり、捕食の痕ね」

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