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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
19話
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救いの手



 濡れた服が、じわじわと体温を奪っていく。


 歩くたびに布が肌に張り付き、冷たさがまとわりつく。

 エルネの方へと視線を向ければ、彼女の靴もズボンの裾も同じように濡れたままだった。



 それでも、時間が経つにつれて頭は少しずつ冷静さを取り戻していく。



 いつの間にか、魔石はかなりの数になっていた。

 数えてみれば、二十三個。


 一つ見つければ、その周辺に二つ、三つとまとまって落ちていることがある。

 見つけ方さえ分かれば、集めること自体は難しくなかった。


 水辺の方は見なかった。


 見れば、きっと惜しくなる。

 手を伸ばしたくなる。


 だから避けたはずだったのに――


 気づけば、岸辺に近い場所に落ちているものまで拾っている。


 そしていつの間にか、拾う役目はエルネに移っていた。


 彼女は必ず声をかけてから取りに行く。

 確認するように、こちらを見て。


 そのたびに、私はただ頷く。



 後ろにいるエルネが、常に視界のどこかに入っていた。

 片手には、握りっぱなしのロングソード。


「ありがとう」

 何度目か分からないその言葉を、なんとなく返す。


 エルネはそのたびに、小さく笑った。

 無邪気な、どこか安堵したような笑顔。


 ――何かあれば、今度は私が助ける。


 そう思う。


 杖を握る手に、力がこもる。

 ぎゅ、と握りしめたとき、小さく軋む音がした。


 それからしばらくして。


 もう十分に集まっただろうと、帰ろうとしたその時だった。


 音がした。


 ぬちゃ、と。


 泥が滑るような、不快な音。

 二人同時に視線を向ける。


 そこにあったのは、泥土が沈み込んだ小さな窪み。

 その中で、白い毛玉がもがいていた。


 ホーンラビット。


 ……白い、と言うには、もう汚れきっている。


 泥にまみれ、全身が濡れ、足を取られて抜け出せずにいる。


 本来なら、軽く跳ねれば越えられる程度の傾斜。

 それなのに、何度も登ろうとしては滑り落ちる。


 薬草の群生地で見かけた個体と同じかどうかは分からない。


 けれど――普通ではない。


 そんな気がした。


「助けてあげなきゃ!」


 エルネが駆け出す。


 その瞬間、反射的に手が動いた。


 彼女の手首を掴み、引き止める。


「え?先輩?」


 振り返るエルネの目。


 どうして止めるのか、と問いかけるような顔。


「エルネさん。逃げられない様子なら……その、ゆっくり近づこう……」


 言葉を選ぶ。


「急に近づいたら、びっくりすると思いますし」


 そう伝えると、エルネは小さく頷いた。


「うん」


 二人で、ゆっくりと歩み寄る。


 近づくにつれて、様子がはっきりと見えてくる。


 濡れているだけではない。


 毛並みに、ぬめりのある光沢がある。


 足元の泥。

 そこに混ざる、粘ついた何か。


 ――トカゲの痕跡。


 這いずった跡に残った粘液が、窪みに溜まっている。


 それが足場を奪っている。


 ホーンラビットは必死に四肢を踏ん張り、暴れるように動く。

 けれど、その場から抜け出せない。


「今助けてあげるね」


 エルネがそう言い、ロングソードを地面に置いた。


 屈み込み、両手を伸ばす。


 ホーンラビットの脇を掴んだ瞬間――


 それまで暴れていた体が、急に静かになる。


 そのまま持ち上げようとした。


 その瞬間。


 ドンッ、と。


 エルネの胸を蹴り飛ばした。


「いたっ!」


 彼女は尻もちをつく。


 蹴りの反動で、ホーンラビットの体が前へと放り出される。


 矢のように、まっすぐに。


 地面に着地する。


 だが、足場はぬかるんでいる。


 前へ、前へと、惰性で滑っていく。

 四肢を必死に動かしながらも、止まらない。


 ――また嵌まらなければいい。

 そんな考えが一瞬よぎる。


 私もエルネも、その動きを目で追った。


 その、次の瞬間。


 進路が、急に変わる。


「あ?」

「え?」


 どちらが声を出したのか分からない。


 滑る先。


 その先には――水辺。


「そっちは駄目!」

 エルネが叫ぶ。


 何も持たず、一歩踏み出した。


 同時に、足が滑る。


 前へと倒れかけたその体を、後ろから抱き止める。

 支えきれず、そのまま一緒に座り込むように後ろへ倒れた。


 声にならない息が漏れる。


 その間に――


 ホーンラビットは、水の中へ入っていった。


 音もなく。

 ただ、波紋だけが広がる。

 必死に、泳いでいる。


 水面が揺れる。

 大きく、広く。


 二人で立ち上がる。

 エルネは剣を掴み直し、両手で構える。


 私は杖を握り直す。


 次の瞬間。


 バンッ、と。


 水が爆ぜた。


 叩きつけられたような音。


 ぞっとするような、不快な衝撃音。


 言葉は出なかった。

 ただ、引き寄せられるように水辺を見る。


 そこにいた。

 水面の下、揺れる影。

 潜むトカゲ。


 その口には――


 動かないホーンラビットの足先が、ぶら下がっていた。

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