拾い上げたもの
息が整っていくのが分かる。
乱れていた呼吸は少しずつ規則を取り戻し、頭の奥にかかっていた靄のようなものも、ゆっくりと薄れていった。
私は上体を起こす。
まだ身体の芯に残る震えを確かめるように、冷えた指先で自分の体をなぞった。
濡れた服が肌に張り付き、重たく冷たい。革の装備は水を吸って鈍く光り、指先にざらついた感触を返してくる。
顔から首、肩へと触れ、胸元をなぞり、腹を越えて腰へ――
その途中で、手首が何かに当たった。
硬い、細い突起。
咄嗟にそれを掴む。
視線を落とすと、そこにはナイフの柄があった。
無意識に、握りしめる。
鞘に収まっているそれを、意味もなく強く押し込んだ。
……今更、だ。
力が抜ける。
あの瞬間に握っていれば。
あの時に使えていれば。
そんな思考が浮かぶより先に、それがもう何の意味も持たないことだけが分かっていた。
右腕をだらりと下げる。
手のひらが地面に触れ、湿った土の冷たさがじわりと広がった。
ゆっくりと顔を上げる。
そこに、エルネがいた。
すぐそばに座り込んでいる。
片手にはロングソードを握ったまま。
眉は下がり、どこか怯えたような、憐れむような視線。
口はわずかに開き、呼吸はまだ整っていない。
――助けてくれた。
それは分かる。
けれど。
どこか頼りない、と思ってしまった。
ふと、別の顔が頭をよぎる。
死体漁りの――いや、Dランクの冒険者、ガルド。
あの人は違った。
無関心で、淡々としていて、ただ事実だけを置いていくような人だった。
助かったことも、偶然だと。
それ以上でも、それ以下でもないと。
あの時の自分は――
私は、死にかけたのだろうか。
ぼんやりとした疑問が浮かぶ。
水の音が、まだ耳の奥に残っている。
けれど、その答えに辿り着く前に、思考はどこかで途切れてしまう。
整理がつかない。
頭の中がまだ、うまく働かない。
「リュシア先輩……大丈夫、ですか?」
エルネの声が届いた。
少し震えている。
「大丈夫、です」
自然と、落ち着いた声が出た。
「ほら、これ。ずっと握ってました」
左手を持ち上げる。
そこには、小さな魔石――スライムの核が握られていた。
水に濡れたそれは、陽の光を受けて静かに輝いている。
けれど。
エルネの反応は違った。
眉間に皺を寄せ、唇を噛みしめるような、どこか歪んだ表情。
嬉しさでも、安心でもない。
……なんだろう、この顔は。
私は視線を逸らした。
荷物の方へと向き直り、四つん這いでポーチへと近づく。
革袋を取り出し、握っていた魔石をその中へ流し込んだ。
軽い音を立てて、石同士が触れ合う。
「ゲホッ、ゲホ……」
咳が漏れる。
喉の奥に、まだ違和感が残っている。
水を飲んだ感覚が、消えきらない。
手で喉元を撫でる。
どうにもならないのは分かっている。
それでも、少しだけ楽になる気がした。
「先輩……もう数は揃ったから、帰ろう?帰ろうよ」
エルネの声。
いつもの調子ではない。
軽さがない。
どこか、必死に押し殺したような響き。
私は振り返る。
エルネは視線を下げていた。
こちらを見ない。代わりに、私の腕を見ているような気がした。
何かを言うべきだと、ぼんやりと思う。
「私は、平気です」
言葉が先に出た。
僅かに声の掠れが気になるが続ける。
「心配しなくても大丈夫です。もう少しだけ――地上に落ちてる分だけ、魔石が落ちてないか。探しませんか?」
水の中には入らない。
岸に近い場所も避ける。
そうすれば問題ない。
数が増えれば、その分だけ報酬になる。
エルネもお金に困っている様子だった。
それに――
私も、杖を買わなければいけない。
「……うん。……わかった」
少し間を置いて、エルネは答えた。
納得している声ではなかった。
けれど、否定もしなかった。
私はゆっくりと立ち上がる。
脱いでいた装備を一つずつ身に着けていく。
重くなった革が、身体に馴染まない。
それでも構わず整える。
視界の端で、エルネが動く。
彼女は、まだ剣を握ったままだった。
抜いたままのロングソードを、強く、手放さないように握りしめている。
その姿を見て、ほんのわずかに違和感がよぎる。
けれど、それが何かを考える前に、私は視線を前へと戻した。
足元の地面。
その先に、まだ見落としたものがあるかもしれない場所。
――探さなければ。
そう思って、一歩を踏み出した。




