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風の氏族の末娘は、冒険者を知らない  作者: 林檎野山
19話
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拾い上げたもの



 息が整っていくのが分かる。

 乱れていた呼吸は少しずつ規則を取り戻し、頭の奥にかかっていた靄のようなものも、ゆっくりと薄れていった。


 私は上体を起こす。


 まだ身体の芯に残る震えを確かめるように、冷えた指先で自分の体をなぞった。

 濡れた服が肌に張り付き、重たく冷たい。革の装備は水を吸って鈍く光り、指先にざらついた感触を返してくる。


 顔から首、肩へと触れ、胸元をなぞり、腹を越えて腰へ――


 その途中で、手首が何かに当たった。


 硬い、細い突起。


 咄嗟にそれを掴む。


 視線を落とすと、そこにはナイフの柄があった。


 無意識に、握りしめる。

 鞘に収まっているそれを、意味もなく強く押し込んだ。


 ……今更、だ。


 力が抜ける。


 あの瞬間に握っていれば。

 あの時に使えていれば。


 そんな思考が浮かぶより先に、それがもう何の意味も持たないことだけが分かっていた。


 右腕をだらりと下げる。

 手のひらが地面に触れ、湿った土の冷たさがじわりと広がった。


 ゆっくりと顔を上げる。


 そこに、エルネがいた。


 すぐそばに座り込んでいる。

 片手にはロングソードを握ったまま。


 眉は下がり、どこか怯えたような、憐れむような視線。

 口はわずかに開き、呼吸はまだ整っていない。


 ――助けてくれた。


 それは分かる。


 けれど。


 どこか頼りない、と思ってしまった。


 ふと、別の顔が頭をよぎる。


 死体漁りの――いや、Dランクの冒険者、ガルド。


 あの人は違った。


 無関心で、淡々としていて、ただ事実だけを置いていくような人だった。


 助かったことも、偶然だと。

 それ以上でも、それ以下でもないと。


 あの時の自分は――


 私は、死にかけたのだろうか。


 ぼんやりとした疑問が浮かぶ。


 水の音が、まだ耳の奥に残っている。

 

 けれど、その答えに辿り着く前に、思考はどこかで途切れてしまう。


 整理がつかない。


 頭の中がまだ、うまく働かない。


「リュシア先輩……大丈夫、ですか?」


 エルネの声が届いた。


 少し震えている。


「大丈夫、です」


 自然と、落ち着いた声が出た。


「ほら、これ。ずっと握ってました」


 左手を持ち上げる。


 そこには、小さな魔石――スライムの核が握られていた。


 水に濡れたそれは、陽の光を受けて静かに輝いている。


 けれど。


 エルネの反応は違った。


 眉間に皺を寄せ、唇を噛みしめるような、どこか歪んだ表情。


 嬉しさでも、安心でもない。


 ……なんだろう、この顔は。


 私は視線を逸らした。


 荷物の方へと向き直り、四つん這いでポーチへと近づく。

 革袋を取り出し、握っていた魔石をその中へ流し込んだ。


 軽い音を立てて、石同士が触れ合う。


「ゲホッ、ゲホ……」


 咳が漏れる。


 喉の奥に、まだ違和感が残っている。

 水を飲んだ感覚が、消えきらない。


 手で喉元を撫でる。


 どうにもならないのは分かっている。

 それでも、少しだけ楽になる気がした。


「先輩……もう数は揃ったから、帰ろう?帰ろうよ」


 エルネの声。


 いつもの調子ではない。

 軽さがない。


 どこか、必死に押し殺したような響き。


 私は振り返る。


 エルネは視線を下げていた。

 こちらを見ない。代わりに、私の腕を見ているような気がした。



 何かを言うべきだと、ぼんやりと思う。


「私は、平気です」


 言葉が先に出た。


 僅かに声の掠れが気になるが続ける。


「心配しなくても大丈夫です。もう少しだけ――地上に落ちてる分だけ、魔石が落ちてないか。探しませんか?」


 水の中には入らない。


 岸に近い場所も避ける。


 そうすれば問題ない。


 数が増えれば、その分だけ報酬になる。

 エルネもお金に困っている様子だった。


 それに――


 私も、杖を買わなければいけない。



「……うん。……わかった」


 少し間を置いて、エルネは答えた。


 納得している声ではなかった。


 けれど、否定もしなかった。


 私はゆっくりと立ち上がる。


 脱いでいた装備を一つずつ身に着けていく。

 重くなった革が、身体に馴染まない。


 それでも構わず整える。


 視界の端で、エルネが動く。


 彼女は、まだ剣を握ったままだった。


 抜いたままのロングソードを、強く、手放さないように握りしめている。


 その姿を見て、ほんのわずかに違和感がよぎる。


 けれど、それが何かを考える前に、私は視線を前へと戻した。


 足元の地面。


 その先に、まだ見落としたものがあるかもしれない場所。


 ――探さなければ。


 そう思って、一歩を踏み出した。

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