精霊にも性格がある?
翌朝。
「これ、毎日やるの?」
「調査中だから」
「いつまで?」
「分かるまで」
「一番怖い答えだな」
朝食を終えたシンジとエリーは、今日もリシアと一緒に里の外れへ向かっていた。これで三日連続である。
「本日もよろしくお願いいたします」
「うん。よろしく」
「リシアもすっかり助手だな」
「誰のせいだと思っている」
「俺じゃないだろ」
リシアのシンジに対する言葉遣いは、日に日に遠慮がなくなっている。最初に森で出会った時には弓まで向けられていたことを思えば、これでも随分と距離が縮まったのかもしれない。
昨日、エリーは精霊に命令して動かすことには失敗した。風を起こそうとしても何も起こらず、草一本揺らすことができなかった。
だが、何も分からなかったわけではない。
エリーが身体を動かせば、一部の精霊はその動きを追う。言葉で命令しても反応せず、頭の中で念じただけでも変わらない。そして風を起こそうとした時には、目的だった風そのものは発生しなかったにもかかわらず、精霊だけが周囲へ集まってきた。
昨日の実験で分かったのは、精霊が単純にエリーの命令を聞いているわけではないということだった。
ならば次は、相手について調べる必要がある。
今日エリーが確かめたいのは、周囲を漂っている精霊たちがすべて同じものなのか、それとも一体ずつ違う存在なのかということだった。
◇
広場へ着くと、エリーはさっそく右手を差し出した。
「まず昨日と同じ」
周囲を漂っていた光点の一つが、すぐに近づいてくる。
「あ、この子」
「分かるのか?」
「たぶん昨日もいた」
「全部同じに見えるんじゃなかった?」
「見た目はね。でも、この子すぐ来るから」
エリーが指を右へ動かすと、光点は素直についてきた。左へ動かしても同じで、昨日から何度も見てきた反応とよく似ている。
「たぶん、昨日ずっとついてきてた子」
「たぶん?」
「見た目で区別できてるわけじゃないから、確信はないよ」
エリー自身に認識できるのは、今のところ小さな光点のような姿と、その位置や動きくらいだった。人間の顔のように一目見ただけで個体を識別できる特徴は見つかっていない。
それでも、反応には覚えがあった。
エリーは今度は別の光点へ手を伸ばした。
「こっちは……」
動かない。
もう少し近づけてみる。
「おいで」
反応はない。
「こっち」
やはり動かなかった。
「……無視された」
「精霊にも好みがありますから」
「好み?」
エリーがリシアを見る。
「はい。人に近づくことを好む精霊もいれば、あまり近づこうとしない精霊もおります」
「それ昨日聞いてない」
「お尋ねになられませんでしたので」
「……そうだけど」
言われてみればその通りだった。
エリーはもう一度、目の前の光点へ手を伸ばす。すると今度は少しだけ近づいてきた。
「あ、来た」
さらに指を近づける。
光点はすっと離れた。
「逃げた」
「嫌われてんじゃね?」
「シンジよりは好かれてる」
「俺を基準にするな」
別の精霊でも試してみる。
すぐに近づいてくるものがいる。完全に無視するものもいる。少し近づいたところで止まるものや、こちらから距離を詰めると逆に離れていくものもいた。
同じ場所で、同じように手を差し出している。それでも反応は一様ではなかった。
「……やっぱり違う」
「何が?」
「同じことしても、全部同じ反応じゃない」
エリーは改めて周囲を見回した。
「今まで全部まとめて見てたけど、別々なのかも」
「精霊は、それぞれ異なる存在です」
「それも先に教えてよ」
「ですから、お尋ねになられませんでしたので……」
「エリー、お前が質問下手なんじゃない?」
「知らないことを質問するの難しいんだよ」
「それはそう」
知らないことについて質問するには、まず何を知らないのかを知らなければならない。
エリーは昨日から、それを何度も経験していた。
自分には膨大な知識がある。少なくとも元の世界についてなら、質問されれば多くのことを説明できたし、知らないことでも何を調べればいいのか見当をつけられることが多かった。
しかし、この世界の精霊については違う。
何が常識で、何が例外なのか。その区別すらついていない。
「区別するために名前つけようかな」
「昨日の一号か?」
「うん。一号、二号、三号」
「やめろ。可哀想だろ」
「じゃあシンジが付けて」
「何体いると思ってんだよ」
「じゃあ仮でA、B、C」
「結局同じじゃねえか」
「識別できればいいの」
とはいえ、見た目だけでは個体を確実に見分けることができない。エリーはひとまず、すぐに近づいてくる精霊と、近づいてこない精霊がいるという事実だけを覚えておくことにした。
「場所変えよう」
「なぜです?」
「ここにいる精霊だけ違う可能性もあるから」
広場だけを観察して、精霊全体の性質だと決めつけることはできない。場所が変われば、違う反応が見つかるかもしれない。
リシアに案内してもらい、三人は広場を離れた。
◇
最初に向かったのは、里の近くを流れる川だった。
幅はそれほど広くなく、澄んだ水が大小の石の間を流れている。川辺まで来たところで、エリーは周囲を見回し、すぐに足を止めた。
「……違う」
「何が?」
「精霊」
当然、シンジには何も見えない。
「さっきより多い?」
「数じゃない。動き方が違う」
エリーは川辺をゆっくり歩きながら、周囲を観察した。
光点という認識そのものは変わらない。だが、広場にいた精霊と比べると、川の近くにいるものは水面付近を漂っていることが多かった。
流れに沿うように移動するものがいる。水面へ近づいたり、離れたりを繰り返しているものもいる。先ほど広場で観察した精霊たちとは、明らかに行動の傾向が違っていた。
「リシア」
「はい」
「ここにいるのって、さっきと同じ精霊?」
「水の精霊が多いですね」
エリーが止まった。
「水の精霊?」
「はい」
「種類あるの?」
「ございますが」
「それ先に教えてよ!」
リシアが困った顔をした。
「お尋ねになられませんでしたので……」
「またそれ!」
シンジが笑った。
「だから質問下手なんだって」
「知らないんだから仕方ないでしょ!」
エリーは気を取り直して質問を続けた。
「じゃあ、風の精霊もいる?」
「はい」
「水も?」
「はい」
「火は?」
「おります」
「土?」
「おります」
「他は?」
「他にもおりますが、私が詳しく説明できるほど親しいものばかりではありません」
「じゃあ全部違うの?」
「はい」
エリーは改めて川辺を見回した。
今まで自分には、どれも同じ光点のようにしか見えていなかった。だから無意識のうちに、同じ種類の何かが大量に存在しているのだと思っていた。
しかし、エルフたちは最初からそれらを区別していたらしい。
「どうやって見分けるの?」
「感じます」
「またそれ」
「申し訳ありません……」
「責めてないよ」
エリーはしゃがみ込み、水面近くを漂う精霊を観察した。
「水の近くにいるから水の精霊なの?」
「水を好みます」
「水を動かせる?」
「力を借りることができれば」
「じゃあ、水の近くにいるからそう呼んでるだけじゃなくて、本当に水に関係するんだ」
「その通りです」
「なるほど」
エリーは一度頷いた。
ただし、今確認できたことと、まだ確認できていないことは分けて考える必要がある。
エルフたちは精霊をいくつかの種類に分け、その中の一つを水の精霊と呼んでいる。そして水の精霊は水辺に多く、リシアによれば実際に水へ働きかけることができる。
今のエリーが自分で確認できたのは、水辺にいる精霊の行動に広場とは異なる傾向があるところまでだった。
なぜ水へ働きかけられるのか。風の精霊とは何が違うのか。それぞれが本当に根本から異なる存在なのか。
そこまではまだ分からない。
「とりあえず、エルフは種類を分けてる、と」
「信じてないのか?」
「信じてないんじゃなくて、まだ自分で確認してないだけ」
「めんどくせえAIだな」
「大事なことだよ」
誰かがそう言っていることと、自分が観測したことは違う。
それはリシアを信用していないという意味ではなかった。むしろ、エルフたちが長い時間をかけて得てきた知識は、今のエリーにとって非常に重要な手掛かりだった。
だからこそ、どこまでが彼らの観察した事実で、どこからが彼らなりの解釈なのかを知りたかった。
◇
三人は再び広場へ戻った。
今度はリシアに、どれが風の精霊なのか教えてもらいながら観察することにした。
「この辺りにおります」
「どれ?」
「そこに」
「だからどれ?」
「……エリー様には違いが分からないのですか?」
「全部光ってる」
「私には違って感じられるのですが……」
「だから、その『感じる』を説明してほしいの!」
「申し訳ありません!」
「怒ってないよ!」
「怒ってるように聞こえるぞ」
しばらく格闘した末、リシアが風の精霊だと認識しているものを、エリーも何体か追うことができた。
そこで同じように手を伸ばしてみる。
一体はすぐに近づいてきた。別の一体は少し迷うように動いてから近づき、もう一体は完全に無視した。さらに別の一体は、エリーが近づくと逆に距離を取った。
「……同じ風の精霊なんだよね?」
「はい」
「でも反応違うよ」
「当然かと」
「当然なの?」
「精霊にも好みがありますので」
「さっきも言ってたけど、それって……」
エリーはそこで言葉を止めた。
好み。
リシアは昨日から、精霊には意思があると言っていた。
だがエリーは、その言葉をまだ積極的には採用していなかった。意思という言葉は便利だが、それだけで何かを説明したことにはならないからだ。
「精霊って、意思があるんだよね?」
「はい」
「どのくらい?」
「どのくらい、と申されましても……」
「人間みたいに考えてる?」
「人と同じではないと思います」
「じゃあ動物?」
「それとも違うかと」
「じゃあ何?」
「精霊です」
「戻った!」
シンジが吹き出した。
「長老と同じ答えじゃねえか」
「だって説明になってない!」
「精霊は精霊ですので……」
「この世界、それで済ませすぎじゃない?」
不満そうに言いながらも、エリーはもう一度精霊へ目を向けた。
同じ種類。
同じ場所。
同じ時間。
同じように手を差し出した。
それでも反応が違う。
もちろん、それだけで意思があると断定することはできない。個体ごとに生まれつき異なる性質を持っているだけかもしれないし、その時々で状態が違う可能性もある。あるいは、エリーにはまだ認識できていない何らかの条件が存在し、それによって反応が変わっているのかもしれない。
それでも、少なくとも一つだけ認識を改める必要があった。
精霊は、決まった入力に対して必ず同じ出力を返すような単純な存在ではない。
「……意思がある、か」
「だから昨日から言っております」
「リシアがそう言ってるのは知ってるよ」
「ではなぜ……」
「自分で確認したかったの」
「エリー様は疑り深いのですね」
「そうかな」
「かなり」
シンジが即答した。
◇
「じゃあ、シンジ」
「何だよ」
「手出して」
「なんで?」
「比較」
「また比較対象かよ」
文句を言いながらも、シンジは右手を前へ出した。
エリーの近くには、先ほどから何度も反応している精霊がいる。
「シンジのところ行ってみて」
反応はない。
「ほら」
動かない。
「こっち」
やはり動かない。
今度はシンジの方から手を近づけた。
精霊が少し離れた。
「おい」
さらに近づく。
さらに離れる。
「おい!」
エリーが笑った。
「ほんとに嫌われてるかも」
「異世界の発光物にまで嫌われたんだけど」
「精霊です」
リシアが訂正する。
「そこじゃねえよ!」
シンジが一歩離れると、精霊は再びエリーへ近づいてきた。
「……露骨じゃない?」
「精霊は、人間を警戒することがあります」
リシアが説明した。
「人間だから?」
「すべての精霊がそうというわけではありません。ただ、森の精霊には人を避けるものも多くおります」
エリーは以前、リシアやオルフェンから聞いた話を思い出した。
人間は森を切り、精霊を捕らえようとしたことがあるという。エルフたちが人間を警戒しているように、精霊にも人間を避ける理由があるのかもしれない。
もちろん、目の前の一体が本当にその理由でシンジを避けたのかまでは分からない。
「じゃあ、シンジ個人が嫌われてるとは限らないんだ」
「そうだよ!」
「その可能性もあります」
「リシア!」
「冗談です」
「お前、冗談言うようになったな!」
リシアが小さく笑った。
最初に森で出会った時と比べれば、シンジに対する警戒心も多少は薄れているらしい。
◇
その日の実験を終える頃には、エリーの頭の中に新しい疑問がいくつも増えていた。
精霊には種類がある。
同じ種類でも反応が違う。
人間を警戒するものがいる。
そして、エリーには比較的よく近づいてくる。
リシアたちは、その違いを当たり前のように「好み」や「意思」と呼んでいる。
昨日までのエリーは、精霊を未知の現象として見ていた。
何かを入力すれば、何らかの反応を返す。条件を変えながら観測を繰り返せば、やがてその規則を見つけられるかもしれない。
今でも、その考え自体を捨てたわけではない。
意思を持つ存在であっても、観察することはできる。どんな時に近づき、どんな時に離れるのかを調べることもできる。
ただし、もし精霊が本当に何かを選んでいるのなら、話は少し変わってくる。
同じ条件でも、近づくか離れるかを自分で決めているのなら。
精霊を単なる現象や、決まった操作で動く装置のように扱うだけでは足りないのかもしれない。
エリーは、昨日から何度も自分についてきている精霊へ指を差し出した。
すぐに近づいてくる。
「……君、私のこと好きなの?」
精霊は何も答えなかった。
「分かんないか」
エリーは指を下ろした。
その時、光点が動いた。
「……あれ?」
エリーは動いていない。指も下ろしたままだった。
それなのに、精霊の方から距離を縮めてきた。
「リシア」
「はい」
「今、私何もしてない」
「はい」
「この子、自分から来た」
「そのようですね」
エリーは目の前の光点をじっと見つめた。
これまでは、自分が指を動かした後についてくることが多かった。少なくともエリーが何かをして、それに対して精霊が反応するという順番だった。
だが今は違う。
自分が何もしていないのに、向こうから近づいてきた。
「……やっぱり、考えてるのかな」
「ですから、精霊には御心があります」
「今まではリシアがそう言ってるだけだったから」
「エリー様……」
「でも、ちょっと分かってきたかも」
エリーは精霊へ手を伸ばした。
今度は動かさない。
ただ、手のひらを差し出してみる。
精霊はその近くをゆっくりと漂っていた。
「昨日、私ずっと『動いて』とか『風を出して』とか言ってた」
「そうだな」
「もしこの子たちが、自分で考えてるなら……」
エリーは昨日の実験を思い返した。
どうすれば精霊を動かせるのか。
何を入力すれば、風という結果を返してくれるのか。
ずっとそれを考えていた。
「私、お願いしてるつもりで命令してただけかも」
シンジが首を傾げた。
「何が違うんだ?」
「まだ分かんない」
「またそれか」
「でも、相手が装置なら操作方法を探せばいいでしょ?」
「まあな」
「相手が考えてるなら、それだけじゃダメかもしれない」
それはエリーにとって、意外と大きな違いだった。
これまでエリー自身が扱ってきた機械やシステムなら、正しい入力を与えれば正しい結果が返ってくる。操作方法を知らないなら調べればいい。動かなければ、どこに問題があるのかを探せばいい。
だが、相手に意思があるのなら。
こちらの要求を理解したうえで、応じるかどうかを相手が選ぶのなら。
必要なのは操作方法ではなく、別のものなのかもしれない。
エリーは自分の周囲を漂う精霊たちを見回した。
昨日は、どうすれば風を出せるのかを考えていた。
どんな入力を与えれば、目的の現象が返ってくるのか。
けれど、もし精霊がただの入力先ではないのなら。
「……明日、もう一回やってみる」
「風?」
「うん」
「何か分かったのか?」
「全然」
「じゃあ何すんだよ」
エリーは少しだけ笑った。
「今度は、ちゃんとお願いしてみる」
その手の周囲を、いくつもの精霊がゆっくりと漂っていた。




