第九話 旅立ち
それから五日間、仕事以外の時間は必要な物品の買い出しをした。
服装は長旅に耐えるよう丈夫な物を買った。スカートというわけにはいかないのでアイリのズボンを揃えた。雨具も購入した。少し大きめの背負う鞄も買った。靴も頑丈で歩くのに適した物を買った。布袋を何枚か用意した。櫛や歯ブラシなども揃えた。地図も用意した。これらの代金は、セイジが聖騎士時代に貯えた金で支払った。クリスタの残した財産はさほどの額ではなかったからだ。
役所に行って、アイリの住民証明を発行してもらった。アイリの父と母、祖父母の名前が記載されたものである。行った先の町でそれを元に住民照会をしてもらい、父母を探すためである。
それから長めに見積もって三か月ほど出かけることを想定し、家賃をその分支払っておいた。アイリの父と母に出会えたら、その後はこの家に戻ってくるつもりだったのである。
そうして旅支度はすっかり整った。後は出発するだけとなっていた。
出発を翌日に控えた日、事前にも知らせてはあったが、仕事先に明日から当分休むことを改めて伝えた。
セイジは、働いている卸売市場で荷運びが上手なことを評価されていて、周囲の人々にかなり残念がられていた。用事が済んだらなるべく早く戻って来いと、口々に言われたものである。
アイリも働いている三橋屋で見習いとしてかわいがられており、長期の休みを残念がられていた。やはり用事が済んだら早く戻って欲しいと言われ、餞別にと銀貨三枚をもらっていた。アイリは店の人々に深々と頭を下げ、丁寧に礼を述べたものである。
家に戻ると、いつも通りに公衆浴場へ向かう。
この生活ともしばらくお別れになるので、ゆっくり風呂を堪能した。この景色とも当分お別れだと思いながら。
夕食は、食材を使い切る必要があったので、アイリがきちんとその分を計算し、明日の朝食分と合わせて用意してくれた。
「いただきます」
この食卓で食事をするのも当分できなくなる。そう思うと、旅の期待感はありながらも、少し寂しい気もするのだった。
「しばらく旅暮らしだね。この家を離れるのはちょっと寂しいね」
アイリも似たようなことを考えていたのだった。
「そうだな。でも、お父さん、お母さんに会えたらまた戻ってこられる。それまでのお別れだ。家賃も払っておいたし、また戻ってこよう」
「うん、分かってる。そう言えば、セイジも長旅は初めてなんでしょう? 大丈夫なの? 不安とかはないの?」
その言葉には、アイリ自身、若干の不安があることを示している。それがセイジには分かった。
「知らないこと、分からないことも多いけど、何とかなるよ。心配はあるかもしれないけど、きっと大丈夫。俺も頑張るから」
任せておけ、絶対大丈夫と言えないところが弱いよな、と思いつつ、セイジは正直にそんな返答をした。その辺の気持ちはアイリに筒抜けである。二人もずいぶんと互いのことが分かるようになっている。
「ありがとう。頼りにしてる」
だから、アイリも短い言葉で正直に伝える。信頼していることが伝わればセイジは必ずそれに応えてくれると分かっているのだ。生真面目で不器用なところもあるけど、誠実な年上の男性を心から信頼していた。
セイジにもそんなアイリの気持ちが分かるだけに、信頼に応えるだけのことをしなくてはならないと、改めて思っていた。この少女と出会ってまだ二十日と経っていない。それでもすでに家族同然だった。
「いい旅になるといいな。どうせ行くなら楽しい方がいいもんな」
「そうだね。初めての景色、初めての場所、初めてのことがたくさんあるんだから、いろいろ見て楽しめるといいね」
「後は、事故とかケガには気を付けないとな」
「あ、急に真面目になった。それはそうなんだけど、私はセイジが一緒だから、事故とかケガはあんまり心配してないんだよ」
アイリが信頼の笑みを浮かべてセイジを見る。
セイジもうなずくと、それでも真顔で付け足した。
「分かってるけど、十分気を付けてくれよ」
「承知したわ。ふふ、やっぱりセイジは生真面目だね」
そんな会話を交わしながら、二人は夕食を取った。祖母を失った悲しさはまだ心に残っているが、それでも前へ進もうとする二人だった。
翌朝、二人はいつもの時間に目を覚ました。
井戸端で顔を洗い、水を飲む。水汲みの仕事はないのがいつもと違っている。代わりに水筒に水を汲んでおいた。
着替えを済ませて朝食。昨日の残りとパンで手早く済ませる。水瓶の水を使い切り、ほこりが入らないよう蓋をしておく。
最後に荷物を点検し、忘れ物がないことを確認する。
「いよいよだね」
「ああ。出発だな」
そして二人は誰もいない家に挨拶を残す。
「いってきます」
扉を閉め、鍵をかける。一階に下りて通りに出る。
そして二人は、まずは商店街に向かい、昼食のパンを買っておく。
それから王都の西の城門目指して歩き出した。
朝、仕事場へと向かう人の流れに乗って、二人も歩いていく。王都の西側には工房街があり、そこで働く人が大勢いるのである。二人ははぐれないよう手をつないでいた。
「セイジの手、見た目よりごついんだね。すごく固い」
「アイリの手は良く仕事ができるだけあって、繊細な感じがするよ」
赤毛男と金髪少女の組み合わせは端から見ると不思議な感じなのだが、周囲の人々はみな出勤のために歩くのが忙しく、気にも留めていなかった。
やがて、大通りへと出る。馬車が何台も行き交う交通の要所だ。ここまで来ると、歩いている人は激減する。大概は馬車を使っていて、歩いて王都を出ようとする人間は多くない。
西の城門が見えてきた。王都は高い城壁に囲まれた都市である。その出入口は東西南北に一か所ずつしかない。
石造りの立派な城壁の一部が開いていて、トンネルのようになっている。金属で補強された頑丈な木製の扉が左右に開かれている。そこを通り、街道に出るのである。
「王都を出るのは生れて初めて。ちょっと緊張する」
アイリがセイジの手を放し、両手を組んでじっと城門を見る。広々とした城門をくぐれば、いよいよ王都の外である。
セイジは、そんなアイリの様子を見て、微笑ましいと思いつつ、横に並んで一緒に歩いていった。
そして二人は城門をくぐり、外へ出た。
目の前に幅の広い街道が長々と伸びている。もちろん石畳の道である。その周囲には畑が広がっていた。王都の食料需要は大きいので、周辺はみな畑なのである。
「すごく広い。ここをずっと歩いていくんだ」
はるか遠くまで伸びている街道を見ながらアイリがつぶやいた。建物の多い王都の中では見られない光景である。世界の広さを直に感じて、とても感心していた。
「先は長い。のんびり行こう」
セイジが言うと、アイリは黙ってうなずいた。目の前に広がる長い街道を二人でのんびりと、だが着実に二人は歩いていった。
いくつかの集落を過ぎ、一時間ほど歩いたところで、セイジが休憩を取ろうと言った。アイリは普段長い時間歩くような生活をしていない。なるべくこまめに休むべきだろうという配慮だった。
「まだ歩けるけど、こんなに早く休んでもいいの?」
「こういう時は、疲れる前に休んでおいた方がいい。疲れた時に休んでも回復が遅くなるから」
なるほどとアイリがうなずく。セイジも聖騎士団副団長をしていただけあって、行き届いた配慮のできる男だった。
「延々と似たような景色が続いてて、さすがに見飽きてきたかなあ。そんな贅沢言ったらいけないのかもだけど」
アイリの感想ももっともだ。
「でも、もうすぐ畑もなくなってくるよ。そしたら次の村までは草地だったり林だったりで、景色も変わるから」
王都に食糧を供給する集落の数々を超えると、セイジが言うような具合になる。ここラスティア王国もかなり栄えてはいるが、開発されているのは国土全体ではなく、点と線の領域に過ぎない。
そんなことを説明したら、アイリが感心してくれた。
「さすが元聖騎士、そんなことも知ってるんだね」
「騎士学院で学んだからね」
「セイジのことだから、きっと成績も良かったんでしょ」
「そうだね。養父母の期待に応えるため、ずいぶん頑張ったからなあ」
「さすがセイジ。強いし頭もいいしかっこいい。人気ありそう」
「おだてても何も出ないぞ」
そう言いながら、セイジがアイリの頭を撫でる。三人で暮らしていて家族同然になっていたが、二人きりだとなおさら互いの存在を必要としていて、濃いつながりがあるのを感じていたのだった。
それからも二人はのんびりと歩いては休憩を取るのを繰り返した。
街道の途中には、川を越えるために橋もかかっていて、その頑丈さと大きさにアイリがびっくりしていた。
「こんなに大きな橋、どうやって造ったんだろ」
「本当だな。俺も良くは知らないけど、すごい大工事だったらしいぞ」
途中の広場では昼食も取った。馬車を停めておけるようになっていて、付近には草地があり、小川も流れていて馬を休ませることができるのだ。そこには商人達の乗っていた馬車が三台ほど停まっていて、ちょうど馬を休ませながら昼食を取っているところだった。
「失礼ですが、王都までですか」
セイジが問いかけると、そうだと返事があった。
「王都じゃいつでも食料品が売れるからね。それを運んで、帰りは工房の製品を運んで町で売るんだよ」
「なるほど。物を運んで商売してくれる人がいるから、地方の町の人も助かるわけですね。立派な仕事なんですね」
そう言ってアイリも感心しながら、一緒にパンをかじっていた。
かわいい少女にそう言われて、商人達も満更ではなかったらしい。商売物だがと前置きして、リンゴを一つずつアイリとセイジに分けてくれた。
「ありがとうございます」
早速それを頂く。パンだけでは味気なかったところなので、甘酸っぱい果物の味わいと食感がたまらない。
「すごくおいしいです」
「喜んでもらえて良かったよ」
そんな交流も挟みつつ、二人の旅は続いた。
小さな村落を二つばかり通り過ぎ、延々と歩き続けたところで、また景色が変わってきた。草原や林ではなく、また畑の広がる土地に変わってきた。その向こうには農家が点在しており、その奥に市街地も見える。
日も傾いてきた頃合いで、この日はここで一泊することになる。この町の名前はダイアスと言った。




