第十話 初めての宿屋
ダイアスの町は人口およそ二万人。王都の衛星都市として発展したかなり大きな町である。
セイジとアイリが街道を進んでいくと、畑が広がり農家が点在している景色から、段々と建物が増えていき、最終的には建物の多い市街地へとたどり着いていた。馬車が何台も行き交っていて、通行人もそれなりに多くて賑やかだった。
その通行人に話しかけ、町役場の場所を聞く。
案内された通りに進み、町役場に着く。三階建ての少し大きな建物だ。
住民関係の事務処理をしている部署を訪ね、アイリが王都でもらってきた住民証明を見せる。そこに記載されている父と母の名を示し、この町に登録されていないかを尋ねた。係員は少し待つように言うと、台帳をパラパラとめくって確かめてくれた。結果は同じ名前の住民は男も女もいるが夫婦ではなく、間違いなく別人だろうということだった。
さすがに父母も王都の隣町にいるなら、連絡もしてくるはずだし、顔を見せに戻ってくることもあるだろう。このダイアスの町での父母探しは空振りに終わった。
そうなると、今晩の宿を決めなければならない。役場の人に冒険者ギルドがあるか尋ねると、ないという返答だった。そうなると、宿代を支払って普通の宿屋に泊まることになる。ついでに宿屋はないか尋ねると、街道沿いに何軒もあるとの返答だった。二人はその言葉に従って来た道を戻った。
確かに街道沿いには宿屋が何軒も軒を連ねていた。
試しに一軒の宿に入り、宿代を聞くと一泊二食付きで銀貨二枚だという。代わりに宿の中に風呂があり、公衆浴場へ行く必要がないそうだった。
何でも、馬車ごと宿泊するのに使う宿屋なので、施設が充実している分、値段も高いのだそうだ。街道筋の宿屋はみな同じだという。金貨一枚は銀貨二十枚、銀貨一枚は銅貨五十枚なので、銀貨二枚というのはやはり割高な値段設定なのである。
宿屋の店員は、青年と少女という二人組を見て、それほど金を持っていないのだろうと推察した。無理にうちに泊まらず、街道から一本通りを外れた宿に行けば、一泊二食付きで銀貨一枚で泊れる宿が多いと教えてくれた。
セイジとアイリは店員に礼を言って、街道から一本奥まった通りへと足を進めた。
言われた通り、この通りにも宿屋が何軒か建ち並んでいた。どの建物も三階建てで、それなりに大きい。
そのうちの一軒、翠屋という名の宿屋に入ってみる。
「いらっしゃいませ。お泊りですか、お酒ですか」
正面の受付に座っていた恰幅のいい女性がそう尋ねてきた。この宿屋の女将さんのようだった。
一階を見回すと、食事をするテーブルがいくつも並んでいて、どうやら食堂兼居酒屋になっているようだった。客も三、四十人は入れるくらいの広さがあった。なるほど、宿屋のついでにこういう商売をしているのかと、セイジとアイリは二人で感心していた。
「一泊お願いしたいのですが」
セイジが答えると、女将が愛想良く答えた。
「それはありがとうございます。一泊二食付きで一人銀貨一枚になりますが、よろしいですか」
「はい。それでお願いします」
「お二人ご一緒の部屋でございますね。二人部屋にご案内致します」
女将のその言葉を聞いて、セイジが驚いた。部屋は別々にするものだと思っていたのである。
「いや、その、一緒の部屋というのは、ちょっと……」
歯切れ悪く、もじもじと口ごもる。これまでも一緒に暮らしていたが、部屋は別々だった。宿でもそうだろうとセイジは思い込んでいたのだった。
「セイジ、どうしたの? 部屋が一緒なんて当たり前でしょ」
アイリの方はそれが当然だと主張してくる。一緒に旅をしている青年と少女、家族か親戚かそんな関係に見えるのだろう。同室なのは当然のことだ。それに抵抗があるというのは奇妙だと、女将も怪訝な顔つきになっている。
「一緒の部屋だと何か都合悪いことでもあるの?」
それは悪いだろうとセイジは内心で思っていた。アイリの着替えを、望んで見るつもりはないのだが、それでも嫌でも視界には入るだろう。今日はまだ初日で洗濯の必要はないが、もし洗濯も干すようなら、それも目の当たりにすることになってしまう。しかし、正直にそれは言えない。
「悪くはないけど、アイリも年頃なんだし、そういう配慮が必要かな、なんて思ってたんだけど」
遠回しにそう言ってみる。しかし、アイリにはアイリの言い分があった。
「見知らぬ町で別々の部屋だと、私だってやっぱり怖いよ。一緒の部屋じゃないと私が困る」
きっぱりとそう言い切る。表情はすごく真剣だ。
「それでお客さん、一緒の部屋でいいんですよね」
女将がしびれを切らして催促してきた。少女を一人きりで泊らせる気なのか、大人としてそれはどうなんだ、そんな風にも見える表情だった。そしてアイリの気迫。本気で一緒がいいと思っているのが分かる。二人のそんな様子に負けて、ついにセイジがうなずく。
「はい。それでお願いします」
「承知しました。二階の一室ですね。ご案内します」
女将が部屋の鍵を持って二人を促した。セイジとアイリがその後に続き、階段を上っていく。
宿の廊下はさほど広くはなかった。左右に部屋がいくつも並んでいる。その中から二一三と書いてある部屋に案内された。
「見たところ、宿屋は初めてのようですね」
女将がお節介だが説明しておこうと思ったらしい。そう尋ねてきた。
「はい、そうですが」
「部屋にある物はご自由にお使い下さい。ただし、お客様方が出発された後は別のお客様をお迎えしますので、出発の際は元通りに戻して頂けると助かります。それから外出の際は受付で鍵をお預かり致します。夕食は午後五時以降で、朝食は午前七時以降でしたらいつでも大丈夫です。食堂でお声掛け下さい。また裏口を出たすぐ先に井戸がございますので、洗濯などの用事はそちらをお使い下さい。その他、何かご用事がありましたら、何でも申しつけ下さい」
「分かりました。ありがとうございます」
「それから公衆浴場は宿を出て右手に行き、最初の十字路を右に曲がってしばらく行った所です。歩いて三分ほどと近いので間違えることはないと思います。では、ごゆっくりお過ごし下さい」
そして女将は鍵をセイジに渡して立ち去っていった。
ふうと大きく息を吐き、セイジが荷物を棚に収めていく。アイリもそれに倣って自分の荷物を片付ける。
そしてアイリが厳しい表情でセイジをにらんだ。
「どうして別々の部屋だなんて思ってたの」
その気迫に負けて、セイジがたじたじとなる。
「いや、だって、着替えとか寝るのとか、男女が同じ部屋なのは良くないだろう」
そう言い返すが、全く威勢がない。
それを聞いたアイリが呆れた顔になった。続いて表情を引き締め、真面目な顔で穏やかに言った。
「私ね、今はセイジがたった一人の家族なの。だから、離れて欲しくないんだよ。宿の部屋だって一緒がいい。これから長く旅をするのも一緒じゃないと無理だから。お願いだから別々にするのはやめて欲しいの」
そうか、とセイジが大事なことに気付いた表情になった。祖母を失って父母は行方知れず、今アイリが頼れるのは自分だけなんだと、改めて気付いたのだった。
「ごめん。アイリの事、ちゃんと考えてなかったな。そうだよな、一人きりは寂しいよな。確かに俺もアイリが一緒の方がいい」
「うん。分かってくれて良かった」
そこでアイリがいたずらな表情を浮かべる。
「それにしても、私、まだ十一だよ。そんな女の子の着替えを見るのって、そんなにセイジは恥ずかしいのかな。気にしなくていいのに」
そこはさすがにセイジも生真面目に答えた。
「男が女の子の着替えを見るのは、やっぱり良くないと思う」
アイリがぷっと吹き出す。
「変なところで生真面目だなあ。セイジと私は家族。一緒に着替えしたって全然悪くない。普通のことだから。変な遠慮はしないでね」
「うーん、なんか納得いかないけど、アイリが言うならそれに従うよ」
「変なところで頑固だなあ。まあ、そのうち慣れるでしょ」
アイリがパンパンとセイジの背を叩いた。
セイジは苦笑を浮かべて、うなずくのだった。
夕方まで一休みして、二人は公衆浴場へと向かった。
言われた通り、一旦鍵を女将さんに預ける。そして宿の外に出て、女将さんの案内通りに進んでいくと、すぐ近くに公衆浴場はあった。値段も銅貨三枚なのは王都と同じだ。
中の造りは多少違っているが、大きな違いはない。二人はいつも行っていた浴場と同じような感覚で利用することができた。
風呂の後、出入口に面したロビーで待ち合わせるのも同じである。
「旅先でもお風呂に入れるんだから贅沢よね」
気分がさっぱりしたアイリはそう言っていた。
宿に戻って衣服を片付けると、一階の食堂に戻る。
そして夕食を注文する。ラスティア王国では飲酒に年齢制限はない。セイジはもちろん、アイリでもエールなどを飲むことはできる。しかし、この二人はあまり飲酒に興味はなく、頼んだのは食事のみだった。もしエールを注文した場合、その分は宿泊代とは別料金になる。エール一杯で銅貨五枚が相場である。
野菜とキノコと豚肉のソテー、ブラウンシチュー、サラダ、そしてパンというのが夕食のメニューだった。料理屋を兼ねているので、かなりしっかりした作りの料理だった。
「いただきます」
二人の挨拶が唱和する。遠目にそれを見ていた女将が、微笑ましくそれを見守っていた。セイジがそれに気付き、軽く頭を下げる。年の離れた兄妹だと思っているような感じに見えた。
「宿屋さんの食事はおいしいね。しかも料理人さんが作ってくれるから、自分で作らなくていいし。優雅な生活で申し訳ないくらい」
アイリの感想はもっともなのだが、旅の間は歩き続けるという仕事が代わりにあるわけで、食事くらい用意されてもいいのではとセイジは思うのだ。その分のお金も払っているわけだし。
そんな思いは顔にも声にも出さず、セイジは軽くうなずいた。
「食事を用意してもらえるありがたさ、分かるよ。それにしても、商売で料理を売っているお店だけあって、確かにおいしいな」
「だよね。これが専門職の腕前なんだね。さすがだって思う」
そうやって二人でのんびり食事を取る。
すると、近くのテーブルから女性の嫌がる声が聞こえてきた。
「お止め頂けますか。私にはまだ仕事もございますので」
見ると、若い女性の店員が、若い男性客に絡まれていた。腕をつかまれていて、本気で困っている様子だった。
「そんなつれないこと言うなよ。少しの間、一緒に飲むのに付き合ってくれって言っているだけだろう?」
「ですから、お客さま相手でもできないことはございます。どうかご容赦下さいませ」
セイジとアイリが顔を見合わせた。まさか最初の宿で、しかも食事時にトラブルに出くわすとは思ってもいなかったのである。




