第三十四話 アイリ一人で町の散策
この日もアイリが朝食の支度をした。変化があったのは、タスマンが一緒について手伝ったり教わったりしていたことである。井戸端で先程話していた通りに、一緒に楽しく過ごそうとしていたのだった。
セイジとダニエルもその変化に気付き、微笑ましいものを見るような表情で二人の様子を眺めていた。何かきっかけがあったのだろう。二人の関係がより親密になったのは良い事には違いない。
かくして四人は朝から気分良く朝食を取った。
「セイジさん、おじいちゃんのこと頼みます」
「もちろんだ。任せておいてくれ」
「おじいちゃんも無理しないで、セイジさんの言うことを良く聞くんだよ」
「おや、わしもか。分かっとる。無理はせんよ」
タスマンがとにかく張り切っていた。よほどアイリに良いことを言ってもらえたのだろうなとセイジは思った。
そして、三人が出かける時間となる。アイリは留守番だ。
「いってらっしゃい」
アイリに見送られて、三人がそれぞれの仕事に向かう。
「タスマンも頑張っておいで」
ダニエルがそう言うと、タスマンが明るい笑みを浮かべて答えた。
「もちろんさ。しっかりやってくるよ」
やる気一杯の返答に、分かりやすい孫だなと思いつつ、ダニエルは荷車を引いたセイジと一緒に野菜を運ぶ仕事へと向かったのだった。
一人留守番のアイリは午前中は掃除や洗濯などの仕事をこなしていたが、昨日徹底して掃除をしたので、かなり早い時間に仕事がなくなっていた。
そこで、せっかくなのでこのキリナスの町を散策することにした。
人口もそう多くはない町なので、一部市街地を除いては農家が延々と連なる景色だった。季節も夏に近づき、いろいろな野菜が大きく育ち、または収穫を待つような様子になっていた。王都暮らしだったアイリにはこうした光景は珍しい。ただ畑を見て回るだけでも楽しかった。
牧場を営んでいる家も所々にあった。放牧ができる広い敷地で、牛や羊、豚などがのんびりと草を食べている。そうした動物達の様子を間近に見るのは初めてで、これもとても有意義な時間だった。
一頭の牛がそんなアイリの様子に気付き、近づいてきた。見慣れない少女に興味が湧いたのだろう。好奇心旺盛な牛だった。柵から顔を出して、アイリの顔をじっと見つめる。
アイリが恐る恐る手を伸ばしたが、牛は全く動じることはなかった。思い切って牛の頭をアイリが撫でる。牛は大人しく撫でられていて、かまってもらえて満足そうな感じに見えた。アイリが思わず笑みを浮かべる。
「牛もかわいい動物なんだね」
ある程度繰り返し撫でたところで、牛も気が済んだのか、頭を一つ振って柵の中へ頭をひっこめた。そしてのんびりと歩き去っていった。
「よお、お嬢ちゃん、見ない顔だな」
その様子を見ていたのだろう。牧場主らしい人が近づいてきて声を掛けてきた。
「はい。旅の者で、アイリと申します」
「そうか。ここで会ったのも何かの縁、ミルク飲んでいきなよ」
牧場主に誘われて、母屋へと一緒に行く。そして、朝絞ったばかりだというミルクを一杯もらった。
「これ、すごくおいしいですね」
新鮮なミルクは、乳脂と呼ばれる脂肪分のコクと甘味が実に豊かな味わいで、旨味もしっかりしている。店で仕入れて飲む場合は、念のため過熱して殺菌する必要があるので、こればかりは牧場でないと味わえない。
「そうだろう。俺達が元気なのは毎日これを飲んでるからさ」
牧場の人が自慢げにそう言った。決して嘘でもなさそうだ。確かに栄養がありそうなおいしい飲み物である。
「ごちそうさまでした。ありがとうございました」
「おう。機会があったら、またおいで」
笑顔を浮かべてアイリは牧場の人に手を振った。こんなちょっとしたことがうれしいものである。
その後は市街地を巡った。
町の中にも小さな工房があり、少しだが製品が作られている。一番大きなのはエールの工房で、やはりどの町でも酒の需要は大きいのだった。
そうした工房や商店、役場などで働く人達の住宅街もある。王都は集合住宅も多く、三階建ての建物がずらりと並んでいる場所も多いのだが、この町では土地に余裕があるためか、ほとんどが一軒家であった。そう言えば、ダニエルとタスマンの家も庭付きの一軒家である。なるほどと思いながらアイリは住宅街を見て回った。
家によるのだが、よく手入れされた庭は見事で、果樹や花の木が植えられていて、花壇のある家も多い。建物も大抵広い平屋で、二階建ての家は多くなかった。土地に余裕があることが良く分かる。
ちょうどそこで十二時の鐘が鳴った。王国では時計は高級品なので持っている家はよほどの金持ちに限られる。そこで時計を所持している教会が、午前八時から午後八時まで一時間おきに鐘を鳴らして、住人に時刻を知らせるのである。
一人で料理屋に入るのもどうかと思ったので、アイリはパン屋に寄って二つばかりパンを買い出した。それを持って町の大広場へと向かう。
どこの町にも大広場はあるが、このキリナスの町の大広場もよく整備されていた。周囲に樹木が植えられ、花壇や長椅子も設置され、町の住人の憩いの場となっている。
アイリは長椅子の一つに腰掛けると、買ってきたパンを一人で食べ始めた。
「一人だとちょっと味気ないなあ」
そんなことを思いながら、もぐもぐと咀嚼していく。決しておいしくないわけではない。ないのだが、やはり賑やかな方がおいしい。
小鳥が飛んできて、アイリから少し離れた場所に降り立った。ちゃんと手の届かない距離を保っているところが警戒心の強さを表している。アイリは試しにちぎったパンを小鳥に向けて放り投げてみた。すると、小鳥がそのパンをついばんで食べていた。人間がこうして気まぐれに食べ物をくれることを学んでいたのだろう。かといって、こちらから近づくと、さっと飛び立って離れていく。
アイリは長椅子に戻り、小鳥がちょんちょんと歩く様子を眺めていた。かわいらしいのだが決して触れることはできない。またパンをちぎって投げると、先程と同じようについばんでいた。
暇つぶしにはちょうど良い相手だった。そんな小鳥の様子を見ながらアイリはパンを食べ終えると、今度は商店街へと足を運んだ。
商店街と言ってもあまり大きくはない町なので、商店も全て合わせて二十軒もない。青果店、精肉店、乾物店など食料を扱う店から、道具屋、雑貨屋など日常生活に必要な品を扱う店まで、一通り揃っている。
「タスマンは仕事頑張ってるかな」
少し離れた場所からアイリは雑貨屋の様子を覗いてみた。昼食過ぎのこの時間帯、特に客もおらず、店も閑散としていた。
「あ、いたいた」
ちょうど昼食休憩を終えて、タスマンが店の奥から店内に出てきたところだった。棚の整理や掃除などはすでに済ませてあるので、来るかどうかわからない客を待つだけという様子だった。
暇そうだし、中に入ってもいいかな。アイリはそう思い、雑貨屋の中に入ってみた。
「いらっしゃい。あ、アイリさん」
一人店番をしていたタスマンが声を掛けてきた。
「こんにちは。ちょっと店を見させてもらうね」
「他のお客さんもいないし、ごゆっくりどうぞ」
「ありがとう。じゃあ、少し失礼させてもらうね」
店の中にはタオル、カップ、櫛、手鏡などの日用品の他、ポーチなどの小物類、髪飾りなどの装飾品もあった。町で一軒しかない雑貨屋なので、必要な品は一通り揃っている。その分、種類が豊富とは言えなかった。売れる商品を仕入れてくる苦労が垣間見える気がした。
店番をしていたタスマンは、遠慮なくアイリの姿に見入っていた。店員が客の様子を見るのは自然なことだ。やっぱりこの少女はかわいいなと、内心うれしく思っていた。
アイリの方も冷やかしで済ませるのも悪いと思い、買っても無駄にならない物がないかを考えていた。そして無難なところで、タオルを一枚買うことにした。一応三種類ほど置いてあったが、その中で長持ちしそうな一番値段の高い物を選んだ。
「こちらのタオルですね。一枚銅貨五枚になります」
アイリがお金を支払いながら、タスマンに声を掛ける。
「店番や会計もちゃんとできるんだね。さすがだね」
「ありがとう。働き始めて、もう一年近いからね」
お金を受け取りながらタスマンが返答する。
「アイリさんはこの後どうするの?」
「うん。もう少し見て回ったら、食材の買い出しをして、家でみんなの帰りを待つつもり」
「そっか。じゃあ、気を付けて帰ってね」
「うん。ありがとう」
「こちらこそ。お買い上げ、ありがとうございました」
ちょっと会話を交わしてアイリは店を出た。やはりタスマンも良い少年だなと、働きぶりを見て、話を聞いて、改めてそう思った。
アイリはそれから商店街の様子を眺め、いろいろな商品を見て歩いた。
王都の賑わいとは比較にならないが、この町ならではののどかな雰囲気が心地良い。
そして夕食と明日の朝食に使う食材とパンを買い出して、ダニエルとタスマンの家へと帰った。他人の家なのだが、短い時間とは言え居候の身なので帰るという言い方が一番しっくりくる。
家に帰ると、食材を片付け、洗濯物を取り込んでそれぞれの部屋へと入れておく。軽く仕事を済ませてお茶の用意をしていたところで、昨日と同じようにタスマンが一番手で帰ってきた。
「おかえりなさい。お仕事、ご苦労様」
「ただいま。今日は店に来てくれてありがとう」
「すぐお茶入れるね」
ちょうど湯を沸かしているところだった。ティーポットとカップの用意をして、すぐに茶を入れて差し出す。
「ありがとう」
タスマンがおいしそうに茶を一服する。
そこへセイジとダニエルも帰ってきて、一緒にお茶の時間となった。
「アイリは今日何をしてたんだ」
セイジが尋ねると、アイリが笑顔で答えた。
「今日は町の中を散策してみたんだ。このキリナスの町もいいところだね。すごくのどかで、のんびり散策できて楽しかったよ」
牧場で牛に触ったり、ミルクをもらったこと。大広場で小鳥にパンをちぎってあげたこと。タスマンの働く雑貨屋を覗いてタオルを買ったこと。そうやって町を巡るのは楽しかったのだと、アイリは説明した。
「それは良かった。こっちも仕事は順調だったよ」
セイジがそう答え、ダニエルが笑顔でうなずく。
「ダニエルさんも明日には完治できるはずだから、それを確認したら、明後日から旅に戻ろう」
「うん。分かった。ダニエルさん、タスマンさん、明日までよろしくね」
そう話すアイリの表情はとてもいい笑顔だった。




