第三十三話 少年の恋心とアイリの返答
「どうかしましたか」
アイリはタスマンが視線を送ってくるのに気付いていた。ちらちらと見てくるのだが、見るのは良くないとばかり視線を逸らす。何か気に障ることでもあったのだろうかと、アイリは問いかけたのだった。
「い、いや。そ、その、家をきれいにしてくれてありがとう」
タスマンがつっかえながら返事をする。何を言えばいいのか良く分からず、とりあえず思いついたことを口にしていた。その背後にある感情を表に出さないよう気を付けながら。
「どういたしまして。勝手に掃除して悪いかとも思ったんですけどね」
「いや、そんなことはない、です。すごく助かりました」
会話を交わすだけでも、タスマンの動悸は強くなる一方だった。一度意識してしまうと、好意を寄せているだけに妙に緊張する。
「そうですか。それより、タスマンさん、雰囲気が何か固いですね。何か困ったことでもありましたか?」
「ちょっと仕事が大変だっただけ、です。ご、ご心配には及びません」
「そう言えば雑貨屋のお仕事でしたね。私も王都にいた頃は、雑貨屋で見習いをしていたんですよ」
「そ、そうなんですね」
ちょっとした接点がタスマンにはうれしく感じる。
「掃除や棚の整理、荷ほどき、在庫確認、接客もやったなあ。まだ一月くらい前の事なのに、懐かしく感じてしまいますね」
そう言ってアイリが遠い目をした。セイジと出会って一月半。自分の生き方の何もかもが変わった。ほんの少し前までは、冒険者登録したり、二人で旅に出たりすることなど、全く想像もしていなかった。しかし、その大きな変化を楽しんでいる今の自分がいる。
「ぼ、僕もこの仕事はいいと思ってる。できるだけ頑張ってるつもり」
このタスマンとの出会いも、生き方が変わったおかげで生じたものだ。自分より少し年上で、祖父思いで働き者の立派な少年だと思う。
そのタスマンは、今もドキドキしながら言葉を交わしている。
「アイリさんも働き者なんだろうなあ。家中こんなにきれいにできるくらい掃除が上手なんだし、料理もお茶を入れるのも上手だし」
極力平静を装って会話しているが、内心の緊張が伝わらないか心配で、言葉を出すのも一苦労だった。
「褒めてくれてありがとう。頑張った甲斐がありましたよ」
そう言ってアイリは笑顔を見せた。きれいでかわいらしく愛らしい笑顔だと、タスマンが思わず見とれてしまうほどだった。そして、この少女のことを好きな自分を再確認してしまう。胸がギュッと締め付けられるような、それでいて気分が天に昇っているような不思議な感じだった。
「あ、アイリさん、ぼ、僕……」
「はい?」
「僕は……い、いや、何でもない。ごめん」
タスマンが内心でため息をつく。言葉を発するのにこれほど勇気が必要だったことはかつてなかった。その勇気も途中でしぼんでしまい、結局言葉には出せなかった。
「そうですか。じゃあ、思い出したら言って下さいね」
アイリも深くは追及しない。穏やかな笑みのまま、そう答えた。
そこにちょうどセイジとダニエルが帰ってきた。
「おかえりなさい。お仕事ご苦労様」
「お、おかえり。具合は大丈夫だった?」
アイリとタスマンが出迎える。
「おう、セイジさんはすごかったぞ。どんなに荷物が重くても平気で荷車が引けるんだ。わしも完治したら頑張らないとな」
うれしそうにダニエルが言う。セイジは大したことじゃないとばかり、手を振った。そして穏やかに言う。
「お役に立てて良かったですよ。さて、風呂の前に回復魔法を掛けておきましょう。あと二日もすれば完治できますよ」
「おお、済まないな。では、よろしく頼みます」
そしてまた淡い光がセイジの手から発して、ダニエルの腰を包み込む。
「いや、本当に回復魔法というのはすごいものだのう」
ダニエルが気持ち良さそうにしていた。
タスマンはそんな祖父の様子を見て安堵しながらも、アイリに自分の気持ちが伝えられなかったことを密かに悔いていた。
公衆浴場に四人で行った後、帰りがけに食材やパンなどを買い出し、夕食の支度となる。この日も当然のようにアイリが腕を振るった。
「アイリさん、ほんと助かりますよ」
「いえ、このくらいお任せ下さいね」
この日は鶏肉と野菜のソテーと野菜スープだった。鶏肉をソテーした後でその肉汁と油を使って野菜をソテーするのがポイントである。それにパンを添えて配膳する。
四人の挨拶が唱和し、みなで食べ始める。
「ところでセイジさん、どうして二人は旅をしてるのかね」
ダニエルが思い出したように尋ねてきた。疑問に思っていたが、なかなか話を聞けずにいたのである。
隠すことではないのだが、セイジはアイリの顔を見た。話してもいいか無言で確認を取ったのだ。構わないとばかり、アイリが無言でうなずく。
「少し長い話になるのですが……」
そう前置きして、セイジが事情を話した。聖騎士団を追放されて行き場を失ったこと。その自分をアイリとその祖母クリスタが一緒に住まわせてくれたこと。クリスタが急に亡くなったこと。葬儀を済ませ、遠く西の町にいるはずのアイリの両親にクリスタのことを伝えるために旅を始めたこと。
「そんな事情がありましたか。二人も苦労されとるんだの」
ダニエルの返答の裏で、タスマンが自分の家と似た事情のアイリの境遇に共感を覚えていた。確かに自分もダニエルを失ったら、同じように両親に知らせようとするだろうと思った。そして、この少女がそんな苦労をしていると知って、ますます好きになっていたのだった。
「アイリさん、立派です。すごく感心しました」
タスマンの言葉にアイリが礼を言う。
「ありがとうございます。タスマンさんもおじいちゃんを助けて仕事や家事を頑張っていて、立派だと思いますよ」
「いえ、僕よりずっと立派ですよ。本当にすごいです」
タスマンの言葉に力が入る。アイリのことはいくら褒めても足りないという勢いであった。それを正直な気持ちと言葉を口に出していた。好意をもっているのでなおさらである。
それを見て、セイジとダニエルはなるほどと思ったものである。タスマンがアイリに好意を抱いていると、ここで確信をもったのだった。
セイジはこの前の町とは逆の立場に置かれることとなった。アイリも旅の途中でタスマン少年の気持ちに応えることはできないだろうが、それでも好意を寄せてくる少年にはかすかな反感を抱いてしまう。自分はこんなに独占欲が強かっただろうかと、内心で疑問に思うほどだった。
ダニエルは祖父として良い相手がいれば付き合うのもいいだろうと思っている。しかし、旅の途中の少女に旅を止めさせるわけにもいかないだろう。そうなると必然的に振られることになる。我が孫ながら、難儀な相手を好きになったものだと思っていた。
そんな二人の気持ちもタスマンの想いにも気付かず、アイリは食事を続けていた。
「お褒めの言葉、ありがたく頂戴しますね。とにかくみなさん、夕食を食べてしまいませんか」
せっかくのアイリの料理だ。食べないのはもったいない。みな食事に専念し始めた。タスマンも話し足りない気持ちを抑え、食べることに意識を切り換えていた。
翌日の朝、セイジとアイリの二人がいつも通り井戸端へ向かうと、この日はタスマンが先に来ていた。
「おはようございます。早いですね」
アイリが挨拶すると、とても真剣な表情で返事をしてきた。
「お、おはよう、アイリさん。今少し、話をしてもいいだろうか」
タスマンも少年らしく性急な質であった。昨日の晩、一晩考えて出した結論が朝一番に告白しようというものだったのである。
機微にはうといセイジだが、タスマンがしようとしていることの予測はついていた。ここは二人だけにしてやろうと声を掛ける。
「じゃあ、俺は先に家に戻ってるからな」
「うん、分かった。ではタスマンさん、話をどうぞ」
当のアイリには話の内容は予測できていなかった。どんな話でも聞いてあげようと思っていた。
「あの、アイリさん、僕、君が好きなんだ」
タスマンが勇気を奮って、はっきりと言葉で伝える。
しかし、アイリの返答は的外れだった。
「そうなんですね。ありがとうございます」
微笑を浮かべてそう答える。あくまで褒め言葉として受け取っていて、真剣な気持ちだということは理解していなかった。
伝わっていないことが分かり、タスマンは少しがっかりしていた。しかし、それにも負けず、顔を真っ赤にしながら言葉を続けた。
「好きっていうのは、ずっと一緒にいたい、お付き合いをしてデートとかしたい、そういう意味なんだ。初めて会った時からかわいいと思ってたけど、家事を何でもこなせるし、親切で優しいし、落ち着いてるし、とてもいいなって思ってたんだ。それでアイリさんのことが好きになって、言うか言わないか迷ったけど、勇気を出して言おうって思ったんだよ」
そこまで言われて、ようやくアイリにもタスマンの真意が理解できた。なるほど、前の町でエミリアという女性がセイジに好意を寄せたのと同じ気持ちなのか。まさか自分が恋心を抱かれる立場になるとは思わず、アイリは返答に困って硬直してしまった。
「それで、僕は、アイリさんを困らせるつもりはないんだ。ただ、僕の気持ちを伝えたくて、それで好きだってことを分かって欲しくて、それで朝一番に言おうって決めて、それで……」
たどたどしいタスマンの言葉を聞いているうちに、アイリの気持ちも落ち着きを取り戻していった。そうか、そんなに真剣な気持ちで話してくれたのか。それはとてもうれしい。しかし、セイジがエミリアの気持ちに応えられなかったのと同様、アイリもタスマンの気持ちには応えることができない。
「分かりました。勇気を振り絞って話してくれてありがとう。だけど、私が旅の途中ってことは知ってますよね。私は両親を探す旅をこの先も続けます。だから、タスマンさん、あなたの気持ちに応えることはできません。それでも構わないというのであれば、明後日の朝、私達が旅に出るまでの間、仲良くしてくれるとうれしいです」
アイリとしてはそれが精一杯の返答だった。決してタスマンを嫌うわけでも距離を置きたいわけでもない。こうして出会って、短い時間だが一緒の家で生活するのだから、仲良く楽しい時間を過ごしたい、そう思うのだ。
「どうでしょう。出発まで楽しく過ごせたらいいなって思うんです、私」
タスマンとしてもアイリの返答は納得のいくものだった。彼もアイリを困らせたいわけではない。ただ、自分の気持ちを正直に伝えたかった。その結果うまくいかなくても、それは仕方ないと割り切るべきだった。
「そうですよね。出発までの間くらい、楽しい方がいいですよね」
タスマンがうなずく。そして吹っ切れた顔で言った。
「分かりました。僕の気持ちを受け止めてくれてありがとう。僕もアイリさんとは最後まで仲良く過ごしたい。どうかよろしくお願いします」
そしてタスマンが右手を差し出す。
「こちらこそ。よろしくお願いしますね」
二人は固く握手を交わして、家に戻るのだった。




