第三十話 デートの後で
夕方近くになり、最後に二人は教会の屋上に上った。ここは時刻を告げる鐘が設置してある場所である。ラスティア王国では時計は高価な品なので、持っているのは相当の金持ちだけである。もちろんエミリアの実家には一台大きな柱時計があった。時計を持たない人々に時刻を知らせるために、午前八時から午後八時まで、教会が一時間ごとに鐘を鳴らすのである。その鐘楼がここだった。町でも重要な施設であるが、許可さえあれば誰でも上ることができるようになっていた。
「ここから眺める景色が好きなんです」
エミリアがそう言った理由がセイジには良く分かった。ここより高い建物はこの町には存在しない。町を一望でき、遠くまで見通すことができる。西の稜線が赤く染まり、夕日が少しずつ近づいている。町全体が赤と黄色の中間くらいの色に染まり、とても美しく見えた。
「今日は一日ありがとうございました。とても楽しく過ごせました」
エミリアは笑顔でそう言ったが、表情は少し悲しげでもあった。無理もない。楽しかった時間ももうすぐ終わりなのだから。
「何度も言うか言わないか迷ったのですが、やはりはっきりお伝えします。本当は、私、セイジさんにずっとここにいて欲しいと思っています。それが無理なのは分かっていますが、それでも本当の気持ちを伝えないと後悔する気がして。ごめんなさいね。それくらいセイジさんが大好きだって分かって欲しかったんです」
セイジもいつものように生真面目に答えた。
「こんな俺に好意を寄せてくれて、本当にありがとう。今日の出来事は一生の思い出だ。絶対忘れない」
その返事を聞いて、エミリアが泣き笑いの顔になった。
「セイジさん、少しだけ時間を下さい」
そう言うと、エミリアはセイジの体に手を回し、ぎゅっと抱き着くと胸元に顔をうずめた。せめて最後にその感触を覚えていたかったのだ。
「やっぱりセイジさんは本当に良い方ですね。私の想いは届きませんでしたが、好きになって本当に良かった。後悔はありません」
セイジも改めてエミリアの良さに気付いていた。もし聖騎士を続けていたら、もしアイリと出会っていなければ、この女性の気持ちに応えられていたのだろうか。そんなことを思ったりもした。だが、そんな仮定は無意味である。ただ今は、目の前のこの女性を大事にしよう。そう思った。
「ありがとう、エミリアさん。あなたに出会えて俺も良かったと思ってる」
そしてセイジもエミリアの体を優しく抱きしめた。華奢で柔らかい感じもするが、思ったよりもしっかりした感触が伝わってくる。
この女性と知り合えて、好きになってもらえて良かった。明日にはお別れだが、今日一日とても貴重な時間を一緒に過ごせた。それだけでも幸福なことだったと、しみじみと思っていた。
夕食の時間、またルアン一家と席を共にした。
父のルアンも母のミランダも弟のカイルも、今日エミリアがどんな風に過ごしたのかをとても気にしていた。
最初にボートに乗り、昼食を一緒に取り、商店街を冷やかし、教会の鐘楼から景色を眺めたとエミリアは出来事を語り、こう付け加えた。
「セイジさんと一緒だと、どこへ行っても楽しくて、たくさんお話もできました。回復魔法でケガを治せるだけではなくて、気持ちもほぐしてくれる、とても良い方だと改めて分かりました。こんな素晴らしい人と知り合えて、一緒に出かけることができて、本当に良かったんですよ」
それを聞いてエミリアの家族達がそれぞれうなずく。
「そうか。セイジさんはやはり素晴らしい方だ。明日出立されるのが実に惜しい。いつまでも当家にいて欲しい方だよ」
ルアンが最大限の賛辞を送った。もちろん、引き止めるのが無理なことは十分に承知しての言葉だ。ミランダもカイルもその点は同じだった。
「我が家を助けて頂き、本当にありがとうございました」
「ありがとうございました。セイジさんに受けたご恩は忘れません」
二人もそう言って、頭を下げたのだった。
「お役に立てて幸いでした。今日も楽しく過ごさせて頂きましたし、三泊もお世話になって、礼を言うのはこちらです。ありがとうございました」
セイジもアイリと一緒に頭を下げる。
「本当に丁寧で律儀な方だ。エミリアが一日一緒に出かけて良かったと言う理由も良く分かる。さあ、せっかくの晩餐ですから、最後にぜひ堪能していただければと思います」
ルアンの勧めでセイジとアイリは食事を口に運んだ。相変わらず豪勢な夕食である。この屋敷の料理人は間違いなく一流の腕前だった。
「とてもおいしいです。素晴らしい料理の数々ですね」
「そうか。それは良かった」
和やかな雰囲気で夕食は進んでいった。
その日の夜、アイリがまたセイジの部屋にやって来ていた。
「今日は楽しかったみたいだね」
「そうだな。たくさん話をした。思った以上に素敵な人だった」
「そうなんだ。良かったね。いい思い出ができて」
アイリは、セイジが自分を優先して、エミリアの想いを受け入れなかったことに安心していた。同時にエミリアに申し訳なくも思う。だが、セイジを失ったら旅を続けることはできない。非情な考えだが、自分を選んでもらえて良かったと思っていたのである。
「もし、私がいなかったら、セイジはエミリアさんの家で暮らすことになったのかな」
アイリがぽつりとつぶやく。そのくらい、アイリの目には二人が仲良くなっているように見えた。
「いや、それはないな。アイリがいなかったら、そもそもこの町には来ていないわけだし」
セイジがきっぱりと言う。
そこにドアをノックする音が響いた。セイジにもアイリにも誰が来たのかはすぐに分かった。
「どうぞ、エミリアさん」
「はい、失礼します」
エミリアが不思議そうな表情で中に入ってきた。
「どうして私だって分かったんですか」
セイジとアイリが顔を見合わせた。逆に他の誰がいるというのだろうかと思ったのである。
「最後の夜にわざわざ来てくれてありがとう」
セイジも、エミリアが最後に話くらいしたいだろうと思っていることを察していた。エミリアもアイリとは違った意味で話していて楽しい。セイジとしても断る理由はなかった。
「いえ、突然お邪魔してごめんなさい。やっぱり最後に少しくらいお話ししたかったものですから」
エミリアも正直に内心を打ち明けていた。そして少し考え、どうせだから聞いておこうと思ったことを口にした。
「そうですね、アイリさんもいるし、二人がどうやって知り合って旅に出ることになったのか、その辺のことをお聞きしてもいいですか?」
「そうですね、俺が元聖騎士だったことは話しましたね。それで貴族達の反感を買って聖騎士団を追放されて、アイリとその祖母の家で居候するようになったんです。それが一月くらい前の話ですね」
そして十日ほど三人で一緒に楽しく暮らしていたのだが、アイリの祖母が突然亡くなってしまったのだ。その埋葬を済ませた後、アイリの希望で祖母の息子とその妻、つまりアイリの両親を探すために旅に出たのである。
宿屋でのトラブルを解決し、スリの少年の母子を助け、元部下と再会し、ダンジョンのある町では魔物の討伐も行った。そんないろいろな出来事を挟みつつ、この町に到着して今に至る。セイジはその経緯をなるべく簡潔にまとめて説明した。
エミリアが目を丸くしていた。この短期間にいろいろな出来事があったものだと感心半分、驚き半分に受け止めていた。そうした出来事をみな無事に乗り越えてきたのだから、セイジとアイリは良いパートナーなのだろう。それに嫉妬心を感じつつ、エミリアはなるほどとうなずいていた。
「それでアイリさんとは仲が良いのですね。私が入り込む余地がないくらいに。うらやましいなあ」
そう言って大きくため息をついた。明るく正直なところは彼女の長所でもある。セイジもアイリもそんなエミリアを見て微笑を浮かべた。
「もしアイリさんが良ければ、セイジさんと一緒に二人ともこの家で暮らせるようにもできたんだけどなあ。そんな話を聞いちゃうと、旅を止めてなんて言えないですよ。残念だけど諦めます」
よし、と決意したように、エミリアは立ち上がった。
「最後にお二人の話が聞けて良かったです」
「エミリアさん、俺、アイリの次にエミリアさんが好きですよ」
「私も。こんなお姉さんがいたら楽しいだろうなって思うくらいです」
「ありがとう。そう言ってくれると救われるなあ」
エミリアは少し寂しげな表情だったが、それでも前向きな言葉を発した。
「二人にはお世話になりました。明日お別れですけど、それまではうちの客としてごゆっくりお過ごし下さいね」
そして笑顔で言う。
「では、また明日」
そう言い残して立ち去っていった。
「本当に素敵な人だね。ごめんね。お別れになってしまって」
アイリとしても、エミリアの気持ちを尊重してやりたいと思う。しかし、セイジが一緒にいてくれないと困るのも確かだ。
セイジにしても、アイリがいなければ今頃どうなっていたか、考えるのも恐ろしい。アイリとその祖母に普通の生き方を学んだおかげで、聖騎士の身分を失っても今こうしていられるのだ。
「ありがとう、アイリ。俺と一緒に旅をしてくれて」
「……うん。ありがとう、セイジ」
セイジらしい言葉だった。アイリの存在に救われているのだとはっきり伝えることで心の負担を軽くしたのだった。
こうやって自分を一番に考えてくれていることに、アイリも内心とてもうれしく思っていた。
翌朝、セイジとアイリはまた旅に出る。
「本当にお世話になりました」
二人が一家四人に頭を下げる。
「何をおっしゃる。娘と妻を治して頂き、息子を助けて頂き、娘の面倒も見て頂き、何から何までお世話になり、とても助かりました。本当にありがとうございました」
父のルアンが深々と頭を下げる。傍らには妻のミランダ、娘のエミリア、息子のカイルも立ち並んでいた。三人も同じように頭を下げた。
「セイジさん、アイリさん」
エミリアが一家を代表して二人に声を掛けた。
「今日まで短い時間でしたが、一緒に過ごせてとても楽しかったです。お二人がこの先良き旅ができますよう、祈っております」
好きな人との別れは辛いだろうに、エミリアは最後にそう言った。
そして右手を差し出す。二人は順にその手を取り、握手を交わした。
「ありがとう。ではいってきます」
セイジとアイリも深々と頭を下げ、そして歩き始めた。時折振り返って手を振る。一家四人も二人の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
「いいご家族だったな。こんな出会いもいいものだ」
「そうだね。楽しい時間だったね」
そして二人は、まだ見ぬ遠い西の町を目指して、元気に進んでいった。




