第二十六話 恋人役を演じてみる
その日の夜、セイジとアイリはさすがに別室だった。
これまで二人一部屋で寝泊まりしていたので、初めての経験に二人共どことなく寂しさを感じていた。だが、さすがにわがままは言えない。
「今頃アイリは寂しくしてないかな」
「セイジは退屈してないかな」
互いのことを気に掛けつつ、それでも素晴らしい部屋で豪華なベッドの感触を味わいつつ、それぞれ就寝したのだった。
翌日、洗顔などは二階にある水場で行った。使用人達が井戸端から水を汲み、水瓶に貯めておいてくれているのである。その労力を考えると、何とも贅沢なことだと思いつつ、洗顔を済ませ、軽く水を飲む。
朝食も昨日の食堂で一家四人と共にした。さすがにメニューはベーコンエッグにチーズとゆで野菜、野菜スープにパンとジャムとごく標準的なものだった。新鮮なミルクがついてきたのが一番の贅沢である。
朝食を取りながら、父のルアンが娘のエミリアに問いかける。
「それで、午前中のうちにランタスと会って、再度正式に断るのだな」
「そうです、お父様。そこにセイジさんに同席してもらいます。アイリさんはその、ご一緒されますか?」
エミリアが少し言い淀んだ。本当は遠慮して欲しいのだが、昨日のやり取りを見ている限りでは、セイジもアイリも互いをとても大事にしているのが伝わってきたからだ。
「できればお願いしたいです。邪魔はしませんので、構いませんか?」
アイリは即答だった。やはりセイジと離れることには不安があった。
「俺からもお願いします。大事な妹ということで、同席を許してはもらえませんか」
セイジも頭を下げて頼んでいた。アイリと離れることが心配なのだ。できる限り一緒に行動すべきだと考えていたのである。
「分かりました。では、二人ご一緒に同席をお願いします」
そのやり取りを聞いていた弟のカイルが悔しそうに言った。
「学院がなければ僕も同席するのに。セイジさん、くれぐれも姉さんの事、頼んだからな。ランタスから守ってやってくれよ」
「分かった。できる限りのことをすると約束しよう」
セイジも生真面目に答える。
母のミランダがため息をついた。
「ランタスさんにも困ったものですね。いくら大店の次男とは言え、何度断っても婚約を申し込んでくるのですから」
「全くだな。エミリア、うまく断ってくるんだぞ」
「はい。セイジさんもいるし、今回は大丈夫だと思います」
こうしてエミリアが婚約を断る口実として、恋人のセイジがいるという設定での話し合いが行われることとなった。
午前九時。エミリアに連れられて、セイジとアイリは商店街へと向かう。その中にある一軒の喫茶店が待ち合わせ場所である。
店に入ると、さすがにまだ相手のランタスは姿を見せていなかった。
とりあえず三人で並んで席に着き、三人分紅茶を頼む。
給仕が注文を受け付けるのと入れ替えに、噂のランタスが姿を現した。少し長めの銀髪に端麗な容貌。背も高くすらりとすっきりした体格である。なるほど、大商人の次男坊で裕福かつこれだけ容姿端麗なら、何人もの女性と関係をもっているという噂もうなずける。
「やあ、エミリア。話があるってことだったね。それで今日は何の用だい」
気さくに話し掛けてくるあたりも女性慣れしている感じである。その辺もエミリアには気に入らないのだろう。冷たく返答した。
「用があるからお呼び立てしたのです。まずはお座り下さい」
「ありがとう。お邪魔するよ」
エミリア、セイジ、アイリが横並びに座った正面に、ランタスが静かに腰を掛ける。所作も優雅で、女性に人気のある理由の一つだ。
ランタスも紅茶を一杯頼むと、自分の願望を口にした。
「それでエミリア、僕の申し出を受け入れる気になったのかい?」
何とも自己本位な台詞である。三人は表情に出さないよう気を付けながら、内心でうんざりしていた。
「ご冗談を。本日も正式に婚約の件をお断りに来たのです」
エミリアがそう切り返したところで紅茶が四杯やってきた。それぞれが店員に軽く頭を下げ、礼を伝える。
そしてエミリアが紅茶を軽くすすった。気持ちを落ち着けて、上手にランタスを納得させる必要があった。
「エミリアこそ冗談が上手だね。僕のことを断る理由なんてないだろう」
ここで相手のペースに乗ってはダメだ。冷静にエミリアが切り返す。
「私は本気ですよ。その証拠に、今日はこちらにいるセイジさんにわざわざ来て頂いたのです。セイジさんは私の恋人なのです」
そしてエミリアがちらりとセイジを見る。セイジがうなずき、ここぞとばかりにエミリアの手を握り、優しげな笑みを浮かべた。
「エミリアさん、心配はいらない。名乗るのが遅れたが、俺はセイジと言う。事情があって今は旅をしている最中だが、エミリアとはここ最近のことだがお付き合いをさせてもらっている。その大事なエミリアに言い寄る男がいると聞いてな。こうして直接会いに来たというわけだ。ランタスといったな、君の申し出は俺にとってもエミリアにとっても不愉快だ。撤回して頂こう」
この役を引き受けてから、セイジも自分なりに考えてきたのだった。はっきりきっぱりと断るには何と言えば良いのか。どんな姿勢で望めば良いのか。それを実際に表面上は平然とやってのけた。内心は冷や汗ものだったが。
セイジの言葉を聞いて、ランタスが明らかに不機嫌な表情になった。それはそうだろう。自分の獲物を得体の知れない男に取られるなど、彼にしてみれば許せることではなかった。
「最近付き合い始めたと言ったな。なら、まだ二人はそれほど深い仲ではないのだろう。エミリア、考え直した方がいい。こんな男より、僕の方がはるかに魅力的なことは、君だって分かっているんだろう」
そう来ることはエミリアも予想していて、間髪を入れずに答えた。
「付き合いの長さは関係ありません。私は心の底からセイジさんが好きなのです。セイジさんは優しく、穏やかで、それでいてとても強い人です。あなたなどよりはるかに魅力的な人なのです」
ランタスが怒りで顔を赤くした。大抵の若い女性は、自分の魅力の前に簡単になびくのだ。それより魅力があるなどと、そんなことはあり得ないと考えていた。第一、この二人が本当に付き合っているのかも疑わしい。
「そこまで言うなら、二人がどれほど仲が良いか、見せてもらおうじゃないか。二人がデートしているところを僕に見させてもらおう。それでその言葉が本当かどうか確かめさせてもらう」
そんな要求をされるとは、さすがにエミリアも予想をしていなかった。しかし、断れば臨時の恋人というのがばれてしまう。ここは強気で承諾するしかない。
「分かりました。ならこの後、セイジさんとデートします。好きなだけご覧になるといいでしょう。セイジさん、構いませんよね」
セイジとしても、ここが役回りの重要局面だと理解している。
「俺は構わない。しかし、ランタスさん、人のデートを眺めるなんて、悪趣味もいいところだな」
落ち着いた態度で紅茶を飲み干す。全く面倒な役回りだが、それだけにこのしつこい男を何とか納得させるべきだとも思った。
「それじゃあ行こうか、エミリアさん。アイリは後からついてきてくれ」
「そうですね。行きましょう、セイジさん」
店の勘定は四人分をエミリアがまとめて払った。卸売商で富豪の娘なので財力には余裕がある。
ランタスがその間にアイリに話しかけていた。
「君はセイジって男の妹さんかな。いいのかい、兄さんが他の女性と仲良くデートとかしても」
アイリも演技力を試される場面になった。聡明な彼女は、平然さを装って何気ない風に答えた。
「エミリアさんがお姉さんになったら素敵なことですから。セイジ兄さんとも好き合っていますし、このままうまくいくといいとは思ってますよ」
その返事を聞いてランタスが渋い顔になった。
セイジはこの町のことに詳しくない。どこに行って何をするかはエミリア次第ということになる。当然、エミリアもそれは承知していて、まずは町の大広場へと誘った。
大広場は有事の際、町の全員が集まって話をする場所である。広場の外れには住民全員に話をする際に使われる演壇もある。広場は祭りなど町の催し物をするためにも使われ、出店などがたくさん立ち並び、それは賑やかな光景となる。周囲は大きな木で囲まれていて、その間には花壇が造られている。長椅子もあちこちにあって、普段は住民の憩いの場として活用されている。
セイジは大広場までの道中、エミリアの傍らを歩いていた。ごく自然に恋人の演技ができるよう、左腕を差し出す。エミリアが右腕をその左腕に絡めて、二人は腕を組んで歩いていた。まずこの時点で、十分に効果があったようで、ランタスが再び渋い顔になった。
大広場では、まずはのんびりと二人で花壇を眺めた。色とりどりの花が咲いていて、心休まる光景であった。
「ありがとう、エミリアさん。花を見てると心が和むよ」
「私もあなたと一緒に見られてうれしいです」
二人で仲良く会話するところを見せつける。
「俺はどちらかというと、花なんて食べられないからあまり意味はないって思うような人間なんだけどな。それでもエミリアさんと一緒にこうやって眺めているのは、とても気分がいいよ」
「ありがとう。セイジさんに気に入ってもらえて良かった」
「ついでに言えば、エミリアさんはどの花よりもきれいだ。これも本当の気持ちだからな」
「ちょ、そ、そこまで言われると、ちょっと恥ずかしいです……」
セイジとしてはいくら過剰に演技してもいいだろうと思っていて、歯が浮く台詞も遠慮なく出していた。聞いている方が恥ずかしくなるくらいでちょうどいい、そんな感じである。
言われたエミリアの方はくすぐったい気持ちでいっぱいだった。自分と母を治してくれた好青年が、こんな風に自分を褒めてくれる。それはとてもうれしいことなのだが、同時に演技であることも分かっていた。しかし、本当にそう思っていなければ出てこない言葉だろうから、自分のことをきれいだと思ってくれているのも本当の気持ちだろうとも思う。このまま演技でなく、本当の恋人になりたいとエミリアは思うのだった。
「君のお兄さんは、こんな風に女性を口説く人なのかい?」
ランタスは二人が仲良くしている様子を歯噛みしながら見ていた。だからこそ、傍らにいたアイリに話しかけてしまうのだった。アイリからすれば、何で初対面の人からこんなことを尋ねられるのかと、うんざりしている気分だった。
「それだけエミリアさんが特別だということですよ。そのくらい見ていれば分かるでしょう。私も二人のところに行きますね。ランタスさんは一人寂しく二人の仲が良い様子でも見ていて下さい」
そう言ってアイリはセイジとエミリアのところへ向かった。
「セイジ、今のところ効果はあるみたい。名演技だね」
小声でセイジにそう耳打ちする。そうか、役には立ってるかと思うと良かったと思う反面、浮ついた言葉を言うことに気恥ずかしさを感じていた。
「ねえ、エミリアさん。セイジの事、本当に好きになっちゃったんでしょ。セイジは懐が深いから、今日くらい遠慮なく甘えても大丈夫ですよ。せっかくだから本当のデートをして、楽しんで下さいね。あと、事情があって私はセイジから離れるわけにはいかないんですけど、お構いなく」
少女に内心を見事に言い当てられ、さすがにエミリアも気恥ずかしい様子になった。しかし、ここで引いたらランタスに嘘がばれてしまう。アイリの言葉の通り、本当にデートするのがいいのだろう。
「ありがとう、アイリさん。遠慮なくデートします」
そう言うと、エミリアは組んだ腕に力を込めたのだった。




