第二十五話 面倒な頼みごとを引き受ける
「それではお二方、まずはご入浴をどうぞ」
セイジとアイリは使用人の一人にそう勧められた。この屋敷はさすがというか、しっかり風呂という設備があるらしい。かなりの金持ちだという証明である。
個人の邸宅にある風呂に興味はあるが、やはり風呂を焚く手間暇を考えると遠慮が先に立つ。
「風呂の用意は大変でしょう。俺達は公衆浴場へ行きますから」
一度、そう言って断ったが、使用人も引き下がらない。
「お客様がご入浴されないとなれば、叱られるのは私共でございます。どうか曲げてお入り頂けませんか」
そこまで言われると、断り辛い。
「分かりました。入らせて頂きます。じゃあ、まずアイリ、先にどうぞ」
「えー。そこで私に押し付けるかな。でも仕方ない、入るよ」
不満そうだったがアイリが承諾し、最初に風呂に入る。
風呂場は、洗い場の中に浴槽がどんと置いてある感じだった。浴槽も大きくはなく、人が一人すっぽり入る程度のものだった。人が入る度にお湯を抜き、新たに湯を張り直すのである。
「これ、一人入るごとにすごい手間がかかるんだね」
「いえ、湯を沸かすかまが浴室のすぐ外にあるので、その湯をここの管から入れるだけなのです。毎日の事ですので、大したことはありません」
使用人はそう言うが、これは大したものだとアイリは思った。
そして一通り髪と体を洗って、浴槽に入る。なるほど、リラックスした姿勢で入れるようになっていて、これはこれで気分がいい。公衆浴場の大きな湯船とどちらがいいかは難しいところだ。
風呂から上がると、セイジが待っていた。
「どうだった?」
「うん。快適だったよ。使用人の方、ありがとうございました」
アイリが案内をしてくれた使用人に礼を言う。
「じゃあ、入ってくる」
セイジがそう言って代わりに中に入った。きっとお湯を用意するための設備がしっかりしているのを知って驚くだろうなと思いつつ、アイリはセイジの背を見送った。
風呂の後、執務を終えたルアンと、娘のエミリアに呼ばれ、応接室で話をした。
「いや、お呼び立てして済まない。じつはもう一つお願いがあってな」
ルアンが歯切れ悪く切り出した。娘のケガを治したお礼に泊めてもらえるのはいいが、妻を回復し、その上まだ頼みがあるという。結局、タダより高い物はないという言葉通りのようだった。まあ、人助けになるならいいかと、セイジは話を聞く姿勢になった。
「できることでしたら、何でもおっしゃって下さい」
それを聞いてルアンがほっとした表情になる。
「エミリアから話しなさい」
「はい。放せば長くなりますが、今私は、ランタスというこの町の商人の次男から求婚されています。ですが、私もまだ十七才、まだ結婚を考えていません。何より、ランタスという男、自分の容姿が優れていることを鼻にかけ、何人もの女性と関係をもっているとか。とてもそんな相手の求婚を受ける気にはなれません。それで話がある度にそれを断っているのですが、婚約だけでいいから承知して欲しいと、ランタスは全く折れてくれないのです。そこで、セイジさんに頼みたいのですが……」
そこまで話したところで、エミリアがうつむいた。よほど話しにくい内容なのだろうと、セイジも急かしたりはしなかった。傍らにいたアイリは、何か面倒な話になりそうだと眉を寄せていたが、言葉には出さなかった。
やがて、エミリアが意を決して言葉を続けた。
「セイジさんにお願いしたいのは、私の恋人役になって欲しいということなんです。恋人のいる相手に求婚するのはいくら何でも非道が過ぎるので、私に恋人がいれば、ランタスも求婚を諦めるはずです。明日から何日かの間、どうかお願いします。お引き受け頂けませんか」
そう言ったエミリアの顔は真っ赤に染まっていた。
「はあ」
セイジが、我ながら間の抜けた声を出したなと思いつつ、こういう場合どうしたものかと思案した。以前アイリに話したことはあるが、学院時代、一学年下の女の子と良い仲になったことはある。しかし、その経験がここで役に立つとも思えない。
その隣では、アイリがやっぱり面倒な話になったと内心で渋っていた。表情にはもちろん出さない。数日足止めされるのはいい。恋人役を引き受けるのもいい。だが、エミリアの表情を見る限り、これは明らかに本気でセイジとの仲を深めたいと思っているようにしか見えないのだ。旅の続きを始める時にきっぱりお別れできるのか不安だった。
セイジがそんなアイリの表情を見てうなずいた。自分はアイリのことを優先する。しかし、エミリアを見捨てるのは忍びない。三日程度の間なら、希望を聞いてもいいだろう。そんな風に思っていた。
「分かりました。明日から三日くらいなら、その恋人役というのをお引受け致しましょう。ですが、俺とアイリは旅の途中です。用が済み次第、また旅に出発しますので、それだけはご承知下さい」
セイジがきっぱりとそう言い切った。エミリアとしては三日の間だけでも、恋人としてセイジと一緒にいられることで満足したようだった。
「ありがとうございます。うれしいです。あ、いえ、助かります」
エミリアの様子を見て、父のルアンがふうと大きなため息をついた。異性のことでこれだけ積極的になる娘を見るのは初めてだったのだ。彼もまた、末永く付き合うのは論外だと思いつつも、三日の間ならいいかと自分を納得させていたのだった。
「では、使用人を使いに出して、明日ランタスと面会します。セイジさん、よろしくお願いします」
「分かりました。エミリアさんの希望に沿えるよう、頑張ります」
あ、また生真面目なことを言っているなとアイリは思ったが、口に出しては何も言わなかった。何をどう恋人役を頑張るつもりなのか、考えてみればおかしな話である。笑いを堪えるのが大変だった。
夕食はルアン一家四人と同席した。妻のミランダ、娘のエミリアの他、もう一人息子のカイルという十代前半の少年がいた。彼は学院生で、午後は友人達との付き合いで家を留守にしていたのだった。
テーブルには豪勢な料理が並んでいた。主菜と副菜を合わせて一人五皿もの料理が並び、それにパンとワインがついていた。
食事の前に、エミリアが弟のカイルにセイジとアイリを紹介した。
「カイルさんには初めまして。セイジです。よろしくお願いします」
「セイジの連れのアイリです。よろしくお願いします」
二人も丁寧に挨拶した。しかし、何かが気に食わないようで、カイルは渋い顔で姉に問い質した。
「姉さん、まさかと思うけど、この前言ってたランタスの求婚を断る口実に、このセイジって人を恋人役にするつもりなのか」
「良く分かったわね。その通りよ」
カイルが頭に手をやって、大きなため息をついた。
「こんな素性も分からない男、信用できるのかよ」
エミリアは乱暴な言い方をされても腹を立てず、穏やかに諭した。
「セイジさんは回復魔法が使えるの。私のケガも、お母様の病気も治して下さったのよ。それでいて、何の見返りも求めなかったの。こんな親切な方はそうはいないわ。旅の途中で宿を探しているって話だったから、うちに泊って頂くことにしたの。厚かましい話だけど、今回の求婚を断る件もお願いしたら、快く承知してくれたの。本当に良い方なのよ」
「お母様の病気を治してくれたことには、僕だって感謝してる。だけど、こんな男は姉さんには合わないよ。考え直した方が絶対にいいと思う」
要するに自慢の美しい姉が奪われるようで気に入らないのだった。弟として姉を大事に思う気持ちは分からないでもない。しかし、この強い拒絶は明らかに行き過ぎではないかとアイリは思い、尋ね返した。
「なら、セイジがどんな人物なら良いのでしょうか」
そう問い返されると、弟のカイルとしても返答に困った。
「そ、それはだな。優しくて姉さんを大事にしてくれるのは当然として、少なくとも、何があっても姉さんを守れるくらい強くなきゃダメだ」
「なら、セイジ以上の人は滅多にいませんよ。大型の魔物だって倒してしまうくらい強いんですから」
そう言いながら、何で自分が恋人役を引き受けるための応援をしているんだかと、アイリは内心で苦笑していた。面倒事は少ない方がいいのだが、やはりセイジが貶められると腹が立つのだった。
「口だけなら何とでも言える。本当にそんなに強いのか証明してみろ」
それでもカイルは折れなかった。こういうしつこい男は嫌いである。アイリは売られたケンカを買うように言い放った。
「なら見せてあげる。ルアンさん、何か壊れてもいい物、用意できますか」
「それなら、そこの花瓶で試してみるといい」
「分かりました。この花瓶、普通に斬ったら割れて砕けますよね。でも、セイジの実力なら、これを真っ二つに斬れるんです。嘘か本当かよく見ていて下さい」
アイリがそう言ったのを見て、セイジが苦笑した。だが、アイリの頼みは何でも聞き入れてきた。今回もそれは同じだった。
「では、この食事用のナイフで、その花瓶を両断します」
セイジが立ち上がり、花瓶に近づく。
食事の場での作法からは外れるが、ルアンも妻のミランダも、息子のカイルが言い出したことなので止めはしなかった。エミリアはハラハラしながらその様子を見つめ、カイルはできっこないと斜に見ていた。
「では、いきます。闘気剣」
セイジの持つナイフが淡い光を帯びた。そして花瓶に近づく。
「斬!」
滑らかな動きでナイフを上から下へと振り下ろす。見ていた五人がどうやって振り下ろしたのか見切れないほど素早い動きだった。そして何も起こらなかったように花瓶は無事に見えた。
セイジが花瓶から花を引き抜き、花瓶に手を添えて左右に引っ張った。すると見事に花瓶が真っ二つになった。アイリの宣言通りの結果である。中の水がテーブルの上にこぼれた。
何という腕前なのかと恐ろしく思うほどに、見ていた一家四人が心底感心していた。あれだけ文句を言っていたカイルも押し黙るほどだった。
「つまらぬ芸をお見せしました。まあ、エミリアお嬢様をお守りする実力はあるつもりですので、どうかご安心を。アイリも、ほら」
「せっかくの花瓶を台無しにしてごめんなさい。でも、これでセイジの実力が分かってもらえたことと思います。どうぞ頼りにして下さい」
二人の言葉に一家四人が我に返り、セイジに着席を促した。
「セイジさんの実力、しかと見届けました。いや、実に素晴らしい。ささ、夕食の続きを。せっかくの料理です。ご堪能下さい」
ルアンの言葉に、セイジとアイリが頭を下げて、食事を再開する。
カイルも黙々と食事を再開した。エミリアは顔を赤くしていた。人柄が良く親切で、回復魔法が使えて、その上腕も立つ。やや長身の引き締まった体も見事だし、何より穏やかな目をしているのがいい。これほど素晴らしい人はまず見つからないだろうと、偶然の出会いに感謝していた。
「セイジさん、その腕前は一体どこで?」
ルアンが尋ねてきた。当然の疑問である。
セイジとしても、嘘をついても始まらないので正直に答えた。
「俺は元々聖騎士だったのです。事情があって騎士団を追放され、平民となりました。今は冒険者登録をして、時々魔物の討伐をしています」
元聖騎士。強くて立派なのも納得である。父とセイジのやり取りを聞きながら、エミリアはこの人と親しくなろうと強く決意していた。




