第十三話 スリの少年
日も傾いた頃、セイジとアイリは次の町ブリスタに到着した。
この町は人口約一万人。出発してきたダイアスの町より規模は小さいが、それでも市街地は十分賑やかだった。
「この町も賑やかだね」
「そうだな。王都ほどじゃないが、結構人がいるもんだな」
物珍しそうに街路を見物しながら、まずは役場を探す。
案外すぐに見つかり、役場へと足を運ぶ。アイリの持つ住民証明を照合してもらい、アイリの父と母がこの町に登録されているかを調べてもらうのである。
結果は残念ながら外れだった。さすがにまだ二日目、こんなに近くにいるのなら苦労はしない。
ついでに冒険者ギルドがないか尋ねたが、この町にも冒険者ギルドはないとのことだった。ギルドもそれほど数が多いわけではないようだ。
そうなると宿屋に泊まる必要がある。二人は市街地へと戻り、宿屋がないか探し始めた。
すると、一人の少年がセイジにぶつかった。見た目以上に筋力のあるセイジが少年を跳ね飛ばした格好である。
「すまん、不注意だったな」
セイジが軽く謝ると、短い茶髪に褐色の瞳をした、年の頃はまだ十代前半に見えるその少年は、強気に文句を言ってきた。
「いてて、おい、気を付けろよ」
「ああ、悪い。だがな」
セイジが手を伸ばして少年の襟首を捕まえた。
「な、何すんだよ」
そして少年の懐に手を入れて、財布を取り出す。その財布はセイジの物であった。
「財布を取られた礼をする必要があるかな」
セイジは元聖騎士副団長、武芸の達人でもある。ぶつかられたあの一瞬で財布をすられたことに気付き、少年を捕まえたのだった。
少年の表情が青ざめた。悪事を働いた以上、騎士団に突き出され、厳しい罰を受けることになってしまう。それはまだ我慢できるが、しかし、彼には家を離れるわけにはいかない理由があった。
「ま、待ってくれ。俺が悪かった。頼むから騎士団に突き出すのだけは勘弁してくれ」
「ほう、人の財布を取っておいて、図々しい台詞だな」
セイジは良く言えば正義感が強く、悪く言えば融通が利かない。少年であっても悪事を働いたのなら罰を受けるべきだと考えているのだ。
その様子を見ていたアイリが割って入った。決して少年をかばうわけではなく、別の提案をしてきたのだった。
「何か事情がありそうだけど、だからと言って悪いことをしていい理由にはならないと、私も思う。でも、この人、私より少し年上なくらいでしょ。騎士団に突き出す前に、親御さんに事情を説明して、しっかり叱ってもらったらいいと思う」
アイリの言葉を聞いて、少年が実に情けない表情になった。
「それは困る。母さんにこんなことを知られたら、余計に具合を悪くするに決まってる。俺が悪かった。お願いだから勘弁してくれ」
アイリがその言葉に反応した。
「お母さん、具合が悪いの?」
「ああ、そうだ。もう一月くらい調子が悪くて、一生懸命看病してるけど、全然良くならないんだ。母さんもごめんねって謝ってばかりで、食事するのもやっとなくらいなんだ」
アイリは自分の祖母が調子を悪くした翌日に亡くなったことを思い出していた。この少年の母もそうなったらかわいそうだと思った。
「嘘はついてないと思う。もう少し詳しく事情を聞いてみようよ」
アイリがセイジにそう頼んだ。アイリの気持ちはセイジにも分かるし、この少年にも事情があることは理解した。悪事を棚に上げるのはどうかと思うが、ともあれ事情を聞くことにしようと思ったのだった。
「分かった。まずは話を聞こうか」
三人は場所を変え、公園に向かった。
ラスティア王国では、市街地には必ず公園を設置することになっている。火事の際に延焼を防ぐ空間を作るのと同時に、非常の際の避難場所として活用するためである。樹木が植えられ、花壇も整備され、普段は住民の憩いの場として活用されている。休んだり話したりできるよう、長椅子がいくつも設置されてもいた。
その長椅子の一つに腰掛け、三人で話を再開した。
「俺はセイジ。この娘はアイリだ。で、少年、名前を聞こうか」
「ピレウスです」
「よし、じゃあピレウス、いつから君の母親の具合が悪いんだ?」
「一月くらい前です。最初のうちは咳き込んだり疲れて座り込んだりするくらいで、仕事にも行ってました。それがだんだん悪くなって、十日ほど前から仕事にも行けなくなったんです。俺も自分の見習いの仕事があったんですが、休みをもらって母さんの看病に専念することにしました。家の仕事を代わりにやって、食事を母さんに食べさせて、早く良くなるように頑張っているんですが、この三日ほどはさっきも言った通り、食事をするのがやっとという感じなんです。このまま母さんが死んじゃったら、俺、どうすればいいんだろうって、すごく不安で……」
セイジが眉を寄せた。母の面倒を見るのがこの少年一人というのはどういうことなのかと思ったのだ。
「ちょっと待て。ピレウスは母と二人暮らしなのか。父や兄弟、祖父、祖母とかはいないのか」
「そうです。父さんも祖父も祖母も、みな亡くなりました。兄弟もいません。父さんが亡くなったのは五年ほど前です。それからずっと二人で頑張って暮らしてきたんですけど、まさかこんなことになるなんて思ってなくて」
アイリが悲しそうな表情を浮かべた。自分も祖母と二人暮らしで日々生きていくのに精一杯だった。このピレウス少年も同じなのだろう。それなのに母の具合が悪いのであれば相当に辛いだろうと思った。
セイジも少年に同情していた。しかし、それと悪事は別問題だ。
「人の財布を取ろうとしたのは金のためか」
「そうです。この町にも治療院はあるので、そこで診てもらいたくて。でも、うちの貯えじゃ足りなかったんです。旅人なら路銀をたくさん持っているだろうと思って、ついやってしまいました。本当にごめんなさい」
治療院は冒険者で言うところのヒーラーが経営している、ケガや病気を治すための施設だ。回復魔法の使い手はそう多くはなく、小さな町や村では治療院がないことも多い。客足がそれほど良いわけではないので、報酬は最低でも銀貨一枚、下手をすれば金貨単位とかなり高額だった。
「事情は分かった。なら、ますますピレウスの家に行かなければならない。案内してくれ」
ピレウスがまたも情けない表情になった。母に自分の悪事を知られたくないのである。
「だから、お願いだから、それは勘弁して下さい」
セイジもそれを聞いて言葉が足りなかったかと、説明を追加した。
「勘違いするな。何もピレウスが財布を盗ったことを伝える気はない。母親の具合を診てやろうと思ってな。これでも俺は元聖騎士で、回復魔法を使うことができるんだ」
「回復魔法? それじゃあ、母さんを治してくれるのか?」
ピレウスの表情がパッと明るくなった。
しかし、セイジは首を横に振る。
「治るかどうかは分からない。病気の具合にもよる。だから、俺に一度母親を診させてくれ」
ピレウス少年にはありがたい申し出だった。治療院に連れていける金がなくて困っていたのだ。だから、そこでこの元聖騎士が無償の善意でそんなことを言ってくれたのかどうかが気になった。
「診てくれるのはうれしいけど、さっきも言った通り、うちは金がないんだ。それでも診てくれるのか」
「ああ。金は要らん。俺にできることはしてやろう」
そのやり取りを聞いていて、そんな場面ではないのだが、アイリがぷっと吹き出した。
「ね、このセイジって、ぶっきらぼうだけど親切なの。すごく優しいし、頼りになる人なんだよ。でも、セイジの言い方が固すぎておかしい」
アイリにそう言われて、セイジが頭をかいた。
「そんなに固いかな」
「うん。すごくガチガチ。それより、ピレウスのお母さん、診てあげて。さあ、行きましょう」
「ありがとう。じゃあ、ついてきてくれ」
ピレウスが先導し、三人は彼の家へと向かったのだった。
ピレウスの家は市街地の外れにある、小さいが一軒家だった。
「母さん、今帰ったよ。お客さんが二人いる」
「お邪魔します」
ピレウスに続いて、セイジとアイリも家の中に入った。家の仕事をピレウスが母の代わりに頑張っていると言っていただけあって、きちんと掃除もいきわたっている。
「お客さんかい?」
「うん。だけど、母さんはそのまま寝てて。回復魔法が使える旅人さんが、母さんのことを診てくれるって言ってくれたんだ」
そしてピレウスが母の寝ている部屋に二人を案内した。
「こちらが母のマサリアです。母さん、こちらが回復魔法を使えるセイジさんとその連れのアイリさん」
「急に押しかけてすみません。セイジです」
「その連れのアイリです」
二人の挨拶を聞き、母のマサリアが起き出して挨拶を返そうとした。
しかし、ここで無理をされても困ると、セイジがそれを制止した。
「いいから、そのままにして下さい。見ず知らずの他人に病気の姿を見せるのは抵抗があるかもしれませんが、俺に具合を診させて下さい」
こういうところは元聖騎士だけあって丁寧なセイジである。その両脇ではピレウスとアイリがうなずいている。マサリアもこの男性を信頼しても大丈夫そうだと分かり、力を抜いた。
「では、少し失礼します」
セイジがそのマサリアの体の上に手をかざし、魔力を込める。魔法によりどんな具合かを診ているのである。
「肺の病気だな。かなり強く病んでいる。危ないところだった。あと一週間も放っておいたら、取り返しのつかないことになるところだったぞ」
そしてセイジが両手に魔力を集中させる。
「病根は一気に断とう。ハイヒール!」
セイジが上位の回復魔法を発動させた。両手から淡い光が放たれ、その光がマサリアを包んだ。マサリアの胸の部分が強く発光し、魔法の効果が表れていることを示していた。
魔法の発動時間は案外と長かった。短時間では治りきらないほどに悪化していたのである。五分ほど魔法は発動を続け、患部を治癒していった。
そして、魔法の光が消えた。
「とりあえず、命の危険のない程度には治した。これなら家の中で動く程度なら問題ないはずだ」
回復魔法を受けたマサリアの顔色は一気に良くなっていた。
「息がすごく楽になりました。セイジさん、ありがとうございます」
そんな母の様子を見ていたピレウスも肩の力を抜いて、うれしそうにセイジに礼を言った。
「ありがとうございます。良かった。母さん、良くなるんだ」
セイジとアイリは顔を見合わせ、二人で笑みを浮かべたのだった。




