お幸せにと、呟いた。【偽愛】
ノエミは、自分が目覚めることができるとは思っていなかった。
この国の王家に対する信頼などなかったからだ。
父の死後、家を乗っ取ろうとする叔父一家の蛮行を何度訴えてもなにもしてくれなかったし、婚約者で夫となったジュセッペを王女セポルトゥーラの側から離そうとしなかった。
挙句の果てに、嫁入り先にジュセッペとの仲を咎められたからと言って、王女に死んだ振りをさせる始末だ。
いや、死んだ振りをさせられたのは王女ではない。
王家に伝わる魔道具で姿を変えられたノエミだ。王女はノエミに姿を変えて、ジュセッペのところへ行っている。王都まで呼び出したノエミを騙して仮死薬を飲ませ、魔道具で姿を変えた王女が、自慢げに語っていたことを思い出す。
――ジュセッペには、この計画を話してはいないの。でも彼は、どんな姿に変わっていてもアタクシのことがわかるはずよ。
そんな状況なのだから、ノエミは自分がこのまま殺されるのだと思っていた。
家を乗っ取った叔父の娘である従姉妹は、王女の親友で彼女と同じ側妃腹の王子の愛人なのだ。
彼らはきっと、邪魔なノエミを犠牲にすればすべてが上手く行くと考えている。
(計画を聞かされてないというジュセッペも、私が犠牲になることを受け入れるのかしら?……今さらね。結婚前の学園時代から常に私よりも王女殿下を優先していたんだもの。ジュセッペの心がどこにあるかなんて明白だわ)
などと考えたところで、ノエミは自分の意識が戻っていることに気づいた。
しかし狭い棺の中だ。棺の外は王宮の霊廟だろう。
このまま放置されて殺されるというわけらしい。
すべてを諦めていたノエミの瞼に光が差す。
どうやら棺の蓋が開いたようだ。
恐る恐る目を開けると、懐かしい顔があった。
★ ★ ★ ★ ★
王女の葬儀が終わって、ジュセッペは領地の屋敷へ戻ってきた。
何年も前に結婚した花嫁とは初夜も終えていない。
そもそもジュセッペは婚約者のノエミとは、学園時代からずっと離れていた。
政略結婚の犠牲になる妹に楽しい思い出を作ってやって欲しいと友人の王子に頼まれて、王女とばかり行動をともにしていたのだ。
ノエミのことは彼女の叔父夫婦が守ってくれると言われていたので、夜会やお茶会で顔を合わさないでいることにも疑問を持っていなかった。
まったく冗談じゃない、とジュセッペは思う。
おかげで王女セポルトゥーラの恋人だと思われて、彼女の嫁入り先の国に抗議をされてしまった。
王女が亡くならなければ、先方の国と戦争になっていたかもしれない。
そうなったとき、一番に責められるのはジュセッペだっただろう。
「ただいま、ノエミ」
館に戻ったジュセッペが言うと、彼女は少し戸惑ったような顔になった。
ずっと領地にいたノエミだが、王女が亡くなる直前に呼び出されて王都へ行っていた。
その間、ジュセッペのほうは王都から離されていたので、王女がノエミと会ってなにを話したのかは知らなかった。
「もしかして俺とセポルトゥーラ様とのことを誤解しているのかい? 王女様がなにを言ったのかは知らないけれど、俺が一緒にいたのは彼女と母親が同じ殿下に頼まれたからだよ。身分の低い側妃の娘であるセポルトゥーラ様には、守ってくれる後ろ盾がいなかったからね。君には叔父さん一家がいただろう? 君の従姉妹殿は殿下のお気に入りだし……だから可哀想な王女様に嫉妬するのはやめてくれ。俺がいない間、領地を運営してくれていたことには感謝しているよ」
そう言って微笑んだら、ノエミは喜ぶと思っていた。
彼女は自分を愛していて、だからずっと待っていてくれたのだと考えていた。
領地の運営に励んで家を富ませてくれたのも、ジュセッペのためだと。ジュセッペもいつもノエミのことを考えていた。言動でそれが見えていなくても、彼女ならわかってくれていると信じていた。
「……ジュセッペ」
自分を呼ぶくぐもった声に首を傾げる。
ノエミはこんな声だったろうか。
王子の命令だったのだから仕方がなかったのに、とジュセッペは彼女を見た。彼女が口を開く。
「……貴方、セポルトゥーラを愛していたのではないの?」
「亡くなった方だからと言って、呼び捨ては良くないな。愛していたわけがないだろう? 俺の婚約者で妻なのは君で、セポルトゥーラ様にも婚約者がいた。……まったく、いくら殿下の命令だったとはいえ、とんだ貧乏くじを引かされるところだったよ」
ジュセッペの前でふるふると震える女性から、王家に伝わる魔道具の効果が消えた。
★ ★ ★ ★ ★
「お婆様?」
ノエミの棺の蓋を開けたのは、他国の貴族である母方の祖母だった。
他国と言っても王女の嫁入り予定だった国とは違う。
同じ国で暮らしていた父方の祖父母のほうは、早くに亡くなっていた。
彼らが存命だったなら、叔父の蛮行を止めてくれたかもしれないと思ったこともある。
祖父母が生きていたころ、若いときに問題を起こした叔父は勘当されていた。
ふたりが亡くなって当主となった父が、弟の子どもの未来を案じて勘当を解いたのだ。
「ノエミ!」
「どうしてお婆様が?」
「貴女の嫁ぎ先を訪ねたら、貴女でない人間が貴女の姿で貴女の振りをしていたの。この王国に伝わるという魔道具の存在を思い出して、我が国の王家を通じてこの国を問い詰めたのよ」
ノエミはこの国の貴族令嬢だった。
叔父一家に家を乗っ取られたことや婚約者で夫のジュセッペの振る舞いについては、他国貴族の母方の祖母が抗議するのは難しかった。
だがノエミを利用して王女の死を偽装した、王女の嫁入り先の国を謀ったとなれば話はべつだ。気づかれた時点で、この王国は相手の言いなりになるしかなくなる。
「それで助けに来てくださったのですね」
涙に濡れた顔で祖母が頷く。
その後ろには、両親が生きていたころに会ったことのある母の実家の騎士達がいる。
祖母が動いてくれなければ、予想していた通り自分は見殺しにされていたのだろうな、とノエミは思った。
「嫁ぎ先で貴女の名前を使うのにも抗議しておいたわ。そのうち貴女は死んだことになって、名前を変えたあの女が後妻に入ることになるのだけれど、それで良かったかしら?」
「構いません。……これまでの人生に未練はありませんから」
少しだけ心を過ぎったジュセッペの面影は、長年会わないでいた間に消えかけていた。
夫となった彼の領地のために尽くしてきたものの、当主と王女の恋を応援する家臣や領民達には嫌われたままだ。
今となっては、ジュセッペのどこが好きだったのかも思い出せない。
「貴女を人質にして我が家からの援助を貪っていた、婿殿の弟一家にも目にもの見せてあげましょうね。勘当を解いてあげた婿殿の優しさを無下にした報いを」
「ふふふ」
ノエミは、悪い顔で笑う祖母に頷いた。
ジュセッペのどこが好きだったのかは思い出せなくても、好きだったこと自体は覚えている。両親が亡くなって叔父一家が押し寄せて来てからのしばらくは、彼がノエミの希望だった。
自分の初恋を葬るために、ノエミはジュセッペと王女の恋が実るようにと祈った。
「……お幸せに……」
「あら? なにか言いましたか、ノエミ」
「お腹が減ったと言いました」
「ええ、ええ、そうでしょうとも! 喉も渇いているでしょう? まずはお水よ」
「ありがとうございます、お婆様」
よく見れば、ノエミがいるのは霊廟ではない。生まれ育った国かどうかもわからなかった。
祖母と騎士達によって棺ごと運ばれてきたらしい。
飲まされた仮死薬の効果が消えるまで、様子を見られていたのだろう。
ノエミは、ジュセッペが自分を愛していたつもりだったことなど知らない。
そんな彼に愛されていたつもりのセポルトゥーラが怒りを爆発させることも知らない。
生まれ育った国で、妹可愛さとお気に入りの家族のためにノエミを苦しめていた王子とその母の側妃が密かに処分されることも、側妃とその子ども達に甘かった国王が正妃の息子に退位させられることも、側妃の派閥だった叔父一家が滅びることも、これから新しい人生を歩むノエミには必要のない話だった。
<終>




