立命 ~諾~ 立命
寛容の導者とみちひらき
病院で目覚めた月乃は目の前に登場した男を見て、この男がすべてに関係していると確信した。
「やはりあなたでしたか」
起き上がり不機嫌な表情で呟いた月乃に、男は呆れた顔を向けてベッドに近寄ると、名刺を差し出した。
「まったくこんな無茶をする人だとは思いませんでした」
それには官房長室付き事前有事対策室、佐多成彦とあった。
月乃はチラッと名刺を見ただけで成彦を睨みつけ、ここぞとばかりに質問をした。
「樫戸綾・・・は消されたの?」
「何のことですか?」
「樫戸綾はどこにいるの?あなたと会ったあと連絡が取れなくなったのよ」
「それは・・・彼女の意志でしょう」
「私とルナも消すの?」
「あなたたちが、消される?分かりませんが・・・」
「ルナはどこにいるの?もう消したの?」
「ルナ・・さん・・・」
「私を監禁してどうするつもりなの?」
月乃はこぶしを握りしめて手の震えを隠し、顔を上げて成彦に挑戦的な目を向けた。
「何が目的なの?」
いいようにあしらわれて、月乃の抑えていた感情が怒りとなって爆発した。
「いつまで閉じ込めておくつもりなの?これって犯罪でしょ。ちゃんと答えないと訴えるわよ」
「まあ、そういきり立たずにゆっくり休んでください。甚だしい誤解があります。あなたは海でおぼれて救護されただけですよ」
成彦は苦笑いを浮かべ、取り合わずに月乃を宥めた。
そして歯ぎしりをする月乃を尻目に、成彦は胸のポケットからスマホを取り出し、ベッドの脇に置いた。
「あなたの携帯をお返しします。ここは病院なので制限はありますが、近しい人への連絡は可能です」
成彦は月乃の矢継ぎ早の質問をはぐらかしたまま、答えずに病室を出て行った。
気をそがれた月乃は引き止める言葉も思いつかず、歯ぎしりしながらその後姿を見送った。すると入れ替わりに看護師が点滴を持って入ってきた。
「お加減いかがですか?点滴を交換しますね」
その看護師は手際よく交換すると、何も話すことなくそそくさと出ていった。
容器に滴り落ちる水滴を追いながら、月乃はおぼろげな記憶をたどる。
海であの男の顔を見た途端、溺れたのを覚えている。いやあれは海に沈んだ後だったかもしれない。
「それから・・・」
溺れて気を失ったのだから記憶が曖昧なのは当たり前なのだが、途中でなにかが抜け落ちて記憶が途切れているような違和感。
記憶の狭間に見たものがある・・・何だろう。
頭を振り、思い煩う気持ちに見切りをつけた月乃は、ベッドから身を起こし返されたスマホを手にした。
WOMプリンセスの整理をしている腹心の御剣に連絡を入れた。
「もしもし、私・・・大丈夫よ」
心配する御剣に状況を説明していると、あの違和感が頭の痛みに変わった。
「こちらからまた連絡をするね。会社のことお願いね。あのことは・・・また連絡入れるから待ってて」
月乃はゆっくりと電話を切るとスマホを見詰めた。
「盗聴されているかも・・・あの男・・・」
月乃はつぶやくとポトリポトリと落ちる点滴に目を戻した。
夕方、太陽が沈んだ西の空に月乃の好きな二日月の姿があった。
繊月ともいう糸のように細い月。
1時間もせずに姿を隠す月なのだが、月乃はその針のような鋭い輝きが好きだった。
二日月は瞬時に止めを刺す細く尖った刃物を思い起こさせる。痛みさえも感じない傷に見えてもそれは確実に急所に達する。月乃にとって憧れの二日月とは儚さなどみじんもない存在なのだ。
月乃はWOMプリンセスの目的に気づいたときから、樫戸綾からルナを守ると決め、その時を待っていた。
会員の健康管理と機密情報の管理の元に隠されたMデータ。
それは遺伝子レベルまで調べられた究極の個人情報がまとめられていた。富を欲する者への提供データとしての価値は底知れぬものだ。
それを使って自由を手にする。危ない賭けではあったが、ルナのため、月乃自身のためにそんな決断をしていた。
月を眺めて記憶を辿っていると、佐多成彦のことが浮かんできた。
樫戸綾が姿を消す直前に現れた佐多成彦。そのときから月乃の脳裏に居座っていた男が時を見計らったように再び目の前に現れた。
鍵を握る男。Mデータをどう使う・・・ルナの秘密は・・・守れるのか。
ルナ・・・我に返った月乃は、ため息をついて月が隠れるのを見定めて、目を閉じた。
ルナと離れて3週間、いつまでこんな生活が続くのだろう・・・
そんな生活の中でも月乃の体力は日が経つにつれ回復して、体の痛みは引いていた。
ある日の午後、月乃は担当医から散歩を勧められた。
承諾すると、すぐに職員が月乃のバッグと着替えを持ってきた。
「私がご一緒しますが、よろしいですか?」
特徴のある話し方をする職員は満面の笑みで月乃に尋ねた。
「もちろん、お願いします」
断れない誘い方をする女性・・・この雰囲気は持って生まれたものなんだろう。
月乃は技荻と名乗った女性にそんな印象を持った。
身支度を整え、外に出た月乃は、ここが伊勢市の伊勢神宮に近い病院だと知り驚いた。
なぜ三重の伊勢市に?あの離島は伊勢湾のどこかだったのかもしれない。
そんな疑問を抱く月乃に気づくことなく、技荻は導きの大神と呼ばれている神様を祀ってる神社へ向かっていると楽しげに説明した。
月乃は取り敢えず先のことは考えずに、古い歴史を持つ神社の散策を楽しむことにした。
技荻は少し前を歩き、一礼して大鳥居をくぐると月乃を待ち、説明をしながら歩き出した。
「この神社は進む道に迷いが生じたときにお参りすると、良い方向にお導きがあると言われています」
その言葉をなんとなく受け入れ月乃が歩を進めると、その先には古殿地とあり、八角形の石の前に着いた。
「この石に掛けた願いは叶うそうです」
そう言って技荻はみちひらきの石で止まり、にこりと笑って月乃に願掛けを勧めた。
技荻は、一礼して静かに手を合わせる月乃を静かに待っていた。
「あなたは願掛けはしないのですか?」
「毎月1回はお願いしています」
「そうですか・・・お願いは叶いましたか?」
「はい、叶っていますよ」
技萩は月乃の問いにもちろんと答え、先に見える拝殿へ月乃を促した。
月乃はひとり拝殿に向かい手を合わせて戻ってきた。
すると技荻は方向を変え、その先にある神社へ案内した。
「ここは猿田彦大神の奥さんが祀ってあるそうです。えらく気の強い神様らしい。今も昔も変わりませんね。女性は鋭くて強い。猿田彦大神もタジタジだったとか」
肩をすくめてエヘッと笑う技荻につられて月乃も笑った。
技荻はゆっくりと境内を散歩するつもりのようだ。
月乃はふと気づいた。
今なら・・・逃げられる。
鼓動が強くなり、手が汗ばんできた。
この女性は私を水難事故で運ばれた単なる患者だと思っている。まったく警戒していないのはここまでの様子で分かっている。
はやる気持ちを抑えながら人の流れに合わせて行くと、人で賑わう休憩所に着いた。
そこで月乃はトイレに行くといって技荻から離れた。
さり気なく振り返ると、小柄な技荻の近くを多くの人が行き来していてその姿は見え隠れしている。
今、死角に入った。
月乃は迷わず人ごみに紛れ休憩所の外に出て早足になった。
そして月乃は、進む先に迷いが生じたとき、お参りすると良い方向にお導きがあるという言葉を胸に止めて、京都の別荘へ向かった。
その夜月乃は京都の別荘で御剣の到着を待ちながら、ルナと一緒に過ごした日々を思い出していた。
記憶をなくし、生きることだけで精一杯だったルナの思いが残っている部屋を見回した。
ルナはベランダでよく月を眺めていた。
その空を見ると、いつの間にか上弦の月が昇っていた。
月乃は監視を逃れると盗聴を恐れてスマホの電源を切っていた。
御剣が来れば先が見える。
月乃は息を殺して御剣の到着を待った。
上弦の月が西の空に移動したころ、小さくドアノックが聞こえた。
足音を忍ばせて玄関に向かった。息を凝らして様子を窺う。
「月乃さん・・・雨弦です」
「雨弦・・・あなたなの?御剣は?」
月乃は慌ててドアを開けた。
雨弦は素早く外周りを確認して入ってきた。
「御剣は?なにかあったの?」
「御剣さんや咲紅さんは誰かに見張られている気配があるから動けないので、私が代わりに来ました」
「見張られている・・・確かなの?」
「御剣さんがいうことなので間違いはないかと・・・それでこれを月乃さんに渡すようにと言われました」
小さな箱を取り出し、渡すと雨弦は会社の状況を報告して東京へ戻っていった。
「これさえあれば・・・」
そのあと月乃は渡された小箱を手にして胸をなでおろし、ダイヤルの付いたその箱をバッグの底に隠すように入れた。
と、ドアがノックされた。
「雨弦・・・忘れ物?」
ドアを開いた月乃の前に佐多成彦が立っていた。
「月乃さん、探しましたよ」
不意打ちを食らい、後ずさりする月乃は、成彦の次の言葉に呆然とし立ちすくんだ。
「これからルナさんに逢いに行きましょう」
私は泳がされていたの?・・・この男の術中にまんまとはまってしまった。




