立命 ~諾~ 立命
月の目論み・・・仕舞い時
月乃は夜明け前に入院していた病院に連れ戻された。
緊急車両の出入り口から入り、鍵のかかっているドアを通り、階下へエレベーターで降りて地下3階に着いたのだが、病院と思っていた入り口は一変して分厚い鉄の扉で仕切られていた。
その重圧感に月乃は立ち止まり、拒否する表情を成彦に向けた。
扉が開く。
すると強化ガラスの自動扉の先に薄暗い通路が伸びていた。
自動ドアが開き月乃が成彦について入ると、両側に同じドアが終わりが見えないくらい並んでいる。
ドアの前を通ると上部のセンサーライトが点灯し、通り過ぎると消える。
それが繰り返されたあと、成彦はある右側のドアの前に止まり、中に入るようにと月乃の背を押した。
月乃はそこに横たわるルナの姿に愕然とした。
そして月乃は後ろに立っている成彦の顔を凝視した。
「大丈夫です。命に・・・そう・・・ルナさんは生きています」
月乃は駆け寄り、ルナの顔にそっと手を当てた。
「ルナ・・・やっぱり生きていたのね・・・」
だがルナは海に漂い、助けられ、眠り続けたときの姿と同じだった。
「あなたはルナに何をしたの?」
月乃は離れて立つ成彦に詰め寄った。
「なぜルナの体はあんなに冷たいの?なぜ放っておくの?治療はしないの?」
「落ち着いてください。あなたは医学の知識があると聞いています。説明しましょう」
成彦はルナのベッドから少し離れたところに椅子を置き、狼狽える月乃を座らせた。
「あの日、四国から大阪に着いた奈留瀬さんから連絡を受けました。とある飛行場の場所と、そこにある倉庫にしまってあるものを保管してほしいと言ってきたのです。それがルナさんでした」
「セスナの事故のことは知っているわ。知り合いが教えてくれた。でも私は奈留瀬がルナを道連れにしたなんて信じていなかった」
「そのとおりです。彼はルナさんを助けるために大きな賭けをしました。私が倉庫に着いたときはすでに火の手が上がっていて、倉庫は火の海でした。そして、その中からルナさんは意識不明で発見されました」
「なぜ?・・・奈留瀬はそんなことを・・・なぜ火をつけたの?そう・・・ルナの身代わりって誰なの」
「ルナさんは不思議なことに、あの状態でも脳死に至らず命を繋いでいます。奇跡としか言いようがありません」
成彦は月乃の問いには答えず、視線をルナに移した。
その視線を追ってルナを見た月乃は、成彦の奇跡という言葉で平静を取り戻した。
そうなのだ。ルナは奇跡の女性なのだ。
月乃は京都の別荘でただ眠り続けていたルナを思い出した。
あの時と同じならルナはいつか目覚める。そう確信した月乃は深くうなずき、成彦に向き直った。
「佐多さん、少し考える時間をいただきたい。ルナと2人にしてもらえませんか?」
「・・・いいでしょう。あとで飲み物など届けさせますから、ゆっくりされるとよろしいでしょう」
成彦はあっさりと月乃の申し出を聞き入れた。
月乃は成彦が出ていくと改めて部屋を見渡した。
ルナの状態を計測する医療機器とテーブルと椅子のみの部屋。そして天井には設置された監視カメラ。
微動だにしないルナを監視している。
ふと月乃は舞台のセットの中に放り込まれたような感覚に陥った。
現実味のない創作劇の中に巻き込まれて、おろおろと脇役を演じている私。
主役のヒロインは物言わぬルナ。
今まで月乃は生きるために権力者にすがり、それに守られて生きてきた。それが月乃にできる唯一の生き方だと思っていた。だが導かれるように守らなければならないもの、ルナと出会った。
そのときから月乃は使命を意識した。
思い起こせば2月、奈留瀬の発したひと言で記憶を取り戻したルナは、そのあと辛い過去を月乃に打ち明けた。
嗚咽交じりの告白、ルナの深い悲しみと苦悩を月乃は医者として受け止めていた。
高校生の時の初恋。同じバトミントンクラブで出会った同級生の昇は、ルナのすべてを理解して受け入れてくれた。
「彼に出会って、私は女になりたいと望んでいると気づいた。あの人の女になりたかった。そして、彼は私を俺の女だって言って海に消えたの。彼はもういない。二度と逢えない・・・」
ルナは涙にぬれた顔を月乃に向けた。
「月乃さん、私は・・・私は両性を持って生まれた・・・」
「ルナ、私は医者よ。気付いていたわ、始めからね。・・・ルナ・・・辛かったわね」
月乃はそっとルナを抱きしめた。
「昇さんという人のこと、元気になって聞かせてね。今はいろいろと考えずに身体を休めないと・・・」
ルナは子供のような泣き顔を月乃の胸に埋めて、大粒の涙をほろほろと流した。
「ルナ・・・記憶を取り戻したのだから、昇さんはあなたの中にいる。追い求め探す必要はないわ。亡くなったことは辛いけれど、昇さんとの思い出に生きてもいいのよ」
ルナは月乃の言葉にこくりと頷き、横になった。
目を閉じても憂いを残すルナの横顔は、打ちひしがれた思いが滲んでいた。
そのころの月乃は常に喜び、悩み、苦しむすべての行動を俯瞰して、冷静に判断している自分に満足していた。
すべてをシナリオどおりに演じきるという無意識の生き方が、実感のない人生を生んでいることに気づいていなかった。
だが手を離せば命尽きる状態のルナと出会い、その存在を守ることで、生きることの尊さと医師としての使命感に気づいた月乃だった。
そして今もまた、繰り返される劇中の一場面のように昏睡状態のルナを目の前にしている。
何があろうとルナを守るために、どんな試練でもあるがままに受け入れると決めた。
「奇跡を信じるしかない・・・ルナ、力を貸して・・・」
月乃はルナの奥に眠る温もりを探すように手を握り呟いた。
翌日、月乃は様子を見に来た成彦を引き留め、取引を持ち掛けた。
2人はルナのベッドの横に椅子を並べ話し始めた。
「佐多さん、お時間を頂けませんか?」
「ほう、改まって何事ですか?」
「あなたは樫戸綾の裏の顔を探っていた。そして証拠を掴むために会社を訪れたが、決定的な証拠はつかめないまま樫戸綾を拘束した。そしてその処分に困っているでしょ?」
「樫戸綾さん・・・ですか」
「あなたの探しているものを差し上げます。その代わりに私とルナを自由にしてください」
「今も・・・あなた方は自由です」
「馬鹿な・・こんな状況で何を自由とおっしゃるの?」
「こんな状況?ですか。取り方次第ですよ、我々はあなた方を保護しているだけです」
「まったく・・・やっぱり消すつもりなのね」
月乃は冷静になろうと息を吐いた。
「佐多さん、あなたはMデータには・・・興味はないということですね、唯一の証拠なのに」
「それは何でしょう?」
「あなたが樫戸綾から奪おうとしていたものでしょ、とぼけないで」
「それをあなたが持っていて私に渡してくれる・・・」
「そうよ、・・・私は消されても仕方ない、知りすぎているもの。でもルナやWOMプリンセスのスタッフは関係ないわ。だからあの人たちの生活を守ってほしいの」
「というと?」
「会社をスタッフの御剣咲紅にそのまま渡してほしい。あなたがすべてを仕切っているのでしょう?」
「私にそんな権限はありませんが・・・」
「ああ・・・分かりました・・・もう結構です」
月乃は諦めて会話を切り上げた。
しばらく成彦は何も言わず、その表情からは何も読み取ることができなかった。
月乃がその沈黙に耐えられなくなったとき、成彦が口を開いた。
「月乃さん、私どもからの条件を吞んでくださるなら考えましょう」
「・・・条件?」
「こちらの条件は、第一にルナさんの回復です。そしてあなたの持っていらっしゃるものを渡してもらうこと。それから・・・まあいいでしょう」
「ルナの回復・・・そんなこと願ってもないことです」
月乃は思わず立ち上がり、ルナの手を握った。
「あなたの条件、承知しました。手配しましょう。ただし完了するまでルナさんと一緒に監視下に置かれますがよろしいですね?」
そんな月乃に成彦は事務的に告げて部屋を出ていった。
その後、月乃は成彦の保護のもと、京都の別荘でルナの回復を待った。
2か月ほど経ったころ、月乃は窓を開けて夜空を眺めながら、いつものように動かぬルナに話しかけていた。
「ルナ、今夜は晦日月。月が姿を現さない夜のこと・・・うん?あれは何?そんな・・・」
月乃は息もつかずに窓から身を乗り出した。
見上げた南の空に黒い月が浮かんでいた。
そして次の瞬間細い眉を引いたような月に変わり銀色の光を放った。
見間違い?・・・幻?・・・
瞬きをしてもう一度見上げると、その月は消えていた。
月乃は体の震えを止めることができなかった。
晦日月は物理的にあり得ないことなのだ。
だがその昔、晦日に月が現れたら、あり得ないことが起きるとの言い伝えがあったと聞いたことがある。
幻でもいい。確かに私は細く輝く晦日月を見た。
だからきっとあり得ないことが起こる。
「明日は新月、新しい時の始まりよ。ルナ、目を覚まして新しい人生を歩かなきゃ、私、あなたを待っているのよ、ルナ・・・」
その夜、月乃はルナに話しかけながら何度も空を見上げていた。
新月の夜、月乃はいつものように家事を済ませると、胸のざわつきを抑えながら2階のルナの部屋に向かった。
ルームライトのほのかな明かりの部屋の中で人影が揺れた。
月乃は固唾をのみ、立ち止まった。
人影はふらつきながら立ち上がろうとしている。
「ルナ・・・」
障子戸を開け、月乃はルナに駆け寄って支えた。
「なぜ?あの男が・・・」
怯えた顔で、ルナは肩で呼吸をしながら吐くように言った。
「ルナ、起きたのね、落ち着いて、座りましょう」
「・・・つ・き・の・・さん?」
「大丈夫よ、もう大丈夫」
月乃はルナを座らせると冷たい手を摩った。
「私・・・」
「今は何も考えないで横になって、少しずつね、何か飲む?」
ルナは首を振り、横になると目を閉じた。
朝方にはルナの呼吸は落ち着き、バイタルも正常になり、月乃は胸を撫で下ろした。
「ルナ、あなたはやはり奇跡の人ね・・・」
月乃が蜂蜜入りの暖かい飲み物を持って行くと、ルナがゆっくりと目を開けた。
ルナがひとくち飲むのを待って、月乃は成彦から聞いた事の顛末を話し始めた。
ルナは項垂れて聞いている。
「でも、セスナが飛び立つ前のことは何ひとつ分からないの。何があったのか、なぜ奈留瀬さんがあなたにそっくりな人と一緒に旅立ったのか、誰も知らないんだけど」
月乃の問うような語りかけに、ルナの頬には一筋の涙が流れた。
「倉庫の箱からあなたを助けてくれたのは佐多さんよ。昔からの知り合いなんでしょ?四国へ行った日、佐多さんに奈留瀬さんから連絡が来て、あの倉庫に行ってみるとあなたが倒れていた。そのときにはすでに奈留瀬さんはセスナで離陸していて、止めることができなかったそうよ」
ルナは別れ際の奈留瀬を思い出していた。
昇を死に追いやった男の行動を受け入れられずに苦しんでいた。
しばらくしてルナは膝を立てると、身体を守るようにタオルケットを引き寄せて口を開いた。
「なぜ昇を死に追いやった男が、私のためと言ってあんなことをするの?罪滅ぼし?それを受け入れて許してくれというの?命をかけて守ってくれたことを恩に着せて、それを一生背負って生きろというの?」
月乃は震えるルナを見守るしかなかった。
ルナをなだめてベッドに寝かせると、月乃は成彦が届けてくれたものを見せた。
2通の戸籍謄本とパスポート。
それは月乃が鍵の付いた小箱と引き換えに手に入れたものだった。
「槻ノ見流奈・・・新しいあなたの戸籍よ。佐多さんがパスポートも準備してくれたわ」
「どうして・・・成さんが・・・」
「私のもあるわ、これからは私と一緒よ。それから・・・これ」
月乃は1通の書類をルナに見せた。
「これは・・・」
「WOMプリンセスの権利書と謄本よ」
「この人は?知らない人だけど・・・」
権利書にある名前を見てルナは首を傾げた。
「それは新しい私」
ルナは目を丸くして月乃を見た。
「何が起こったの?なぜ・・・私に新しい戸籍が必要なの?・・・」
「混乱するよね。実は私たち恐ろしい連中に目をつけられたらしいの」
「襲ってきた人たちのこと?」
「そう、奈留瀬はそれを知ってあなたを守ろうとした。あなたが死んでしまえば探しようがない。生きていたらあなたは一生つけ狙われて、いずれは捕まってしまう、そう思ったらしい」
「あのとき一緒にいた人は私にそっくりだった。あの人を私の身代わりに・・・したの?」
「分からない、でもその人も承知だったはず。奈留瀬はその人を拘束していなかったから、逃げようと思えば逃げることはできたはずよ」
「・・・私・・・」
「ルナ、忘れてとは言わない。でも私たちは自分らしく生きるチャンスを貰えたの。だから先に進むことを考えよう」
そう励まされて、ルナは弱々しくもはっきりと頷き微笑んだ。
しかし先に進もうとする月乃には懸念されることがあった。
ルナを看ながら気づいたこと。
傷1つなかったルナの背中に1センチほどの傷があった。それは刃物で切ったものを縫い合わせた痕だった。そして同じものが、月乃の背中にも傷跡として残っていた。
その懸念は疑念へと変わり、成彦への不信感となり月乃を悩ませていた。
そして月乃だけが知るルナの秘密。
キメラ体のルナ。だがそれだけではなかった。
ルナの遺伝子に現れたそれは、現代の人々が持ってはいないものだった。
そしてそれは、右足の血管腫とともに消えてしまい、そのあと何度調べても姿を現すことはなかった。
深いため息をついた月乃は、ふと伊勢でみちひらきの石に掛けた願いを思い出した。
何物にも束縛されない生活。
そのためには何があっても後戻りはできない。前に進むしかない。
月乃はすべてを胸に秘めて、ルナとともに新天地へ向かう決心をした。
そして8月、月乃とルナは新しいパスポートを手にして、関空から新しい人生へと飛び立った。
そんなルナの旅立ちを成彦の連絡で知った雄介は、搭乗口に入るルナを柱の陰から見送っていた。
ルナは笑っていた。
「昇、よかったな。ルナが笑っているぞ。カナダに行くそうだ。ルナを守ってやれよ」
雄介は気持ちの整理をするときが来たと感じていた。
何を捨て、何を持ち、何を仕舞うのか。決めなければ先に行けないのだ。
ふいに後ろから声がした。
「話さなくてよかったのか?雄介」
振り向くと、成彦が珍しく心配そうな顔をして立っていた。
「いいんだ・・・俺、ルナに合わせる顔がない・・・昇を巻き込んで死なせた。ルナは一生許しちゃくれないだろうし、俺を見ると辛いことを思い出すだろうから・・・」
「そうか・・・」
だけどな、雄介、ルナにとって昇との思い出を語れる相手はお前しかいないんだぞ。俺にとってもそうだ。お前は大切な・・・
成彦はそんな思いを胸の奥に仕舞いこんだ。
「成さん、俺、島根に帰ります」
「おう、竹林庵か?」
「あそこに帰って民宿しながら農業します」
「島根に待っている人でもいるのか?」
「そんなことないですって・・・じゃ、これで失礼します」
成彦の横に立っていた雄介が、照れくさそうに笑って頭を下げた。
頭を上げた雄介を成彦が引き留めた。
「雄介、白峰の逮捕の件だが、実は堂本が情報をくれた」
雄介は耳を疑った。
「堂本が・・・白状したのか・・・」
「ああ、あの堂本が証拠まで用意して洗いざらい話してくれた。八神会もそれで手を引いたんだ」
「・・・俺、帰ります」
成彦を残し人を避け走りながら、雄介は堂本の言葉を思い出した。
一生に一度ぐらい、いいことをしたい。
堂本はそう言っていた。
「あのやろう、あのやろう、なんで・・・馬鹿野郎・・・」
雄介は、はたと立ち止まり振り返った。
すでに成彦の姿は消えていた。
「成さん、あんた何者なんだ?」
雄介は触れようとしなかった成彦の職業に興味を持った。
佐祐が言っていた消しゴム屋。
「まさか?・・・」
雄介は笑ってはみたが、払拭できないものを持ったまま出口に向かい歩き始めた。




