立命 ~諾~ 立命
消すものは・・・イレーザー
月乃はレースのカーテン越しに射す暖かな陽ざしと、軽やかな鳥の鳴き声で目覚めた。
「・・・ここは・・・」
心地よさに身をゆだねてゆっくりと起き上がろうとしたとき、体の痛みが月乃の記憶を呼び覚ました。
WOMプリンセスのマネージャーの月乃は、徳島でルナを守るため囮になった。
追われて本殿の近くまで逃げたが、捕まり気を失った。
「ルナは・・・」
痛みをこらえて立ち上がり大きな窓のカーテンを開けると、目の前には美しい海が広がっていた。
「海・・・」
窓は施錠されて開かない。部屋を見渡した。
6畳ほどの部屋にトイレとシャワールーム付きで、そこはホテルのような作りだった。
月乃は唐突に自分の置かれている状況を理解した。
「・・・監禁なの?・・・」
ドアノブを回すが、鍵が掛かっている。
ドアを叩く。
耳を澄ませて外の気配を読もうとしたが物音ひとつしない。
ため息をつくと体がきしんだ。月乃は体の痛みのせいでパニックにならずに済んでいた。
窓際に小さなテ-ブルと椅子があり、冷蔵庫には軽い食べ物と飲み物が入っていた。
月乃はペットボトルの水を一気に半分ほど飲んだ。
椅子に座り、落ち着きを取り戻すと、急にさまざまな不安が広がってきた。
ルナは無事に逃げられただろうか?
月の使者と呼ばれて、ルナを守っていた雨弦、砂弦は大丈夫だっただろうか?
WOMプリンセスはどうなっている?
ここはどこなのか?
なぜ私は監禁されているの?
だれ・・・が?
私はどうなるの?
不安が凝縮して、恐怖の塊になっていく。
月乃はそれを必死で押さえつけようとしていた。
コンコンコン、ドアがノックされた。
月乃は咄嗟に立ち上がり、窓のほうへ後ずさりした。
ドアがゆっくりと開いた。
月乃はペットボトルを握りしめ、体の震えと戦っていた。
「おはようございます。失礼いたします。ご気分はいかがですか?」
にこやかな顔の女性が食べ物を乗せたワゴンを押して入ってきた。
月乃はその笑顔に緊張が解け、へなりと座り込んだ。
その女性は慌てて駆け寄ると月乃を支え、ベッドまで連れて行った。
「驚かれましたね、性急なことで申し訳ありませんでした」
その女性は丁寧に詫びて頭を下げた。
「朝食の準備ができております。こちらにお持ちいたしましたが、いかがされますか?」
「朝食は・・・結構です」
「さようでございますか。承知いたしました。それでは後ほど別の物をお持ちいたしましょう」
女性はそう言うと冷蔵庫の中を整理して部屋を出て行った。
話しかけようにも隙を見せない仕事ぶりに、月乃は尋ねたいことを口に出せなかった。
月乃はベッドに横になったが、痛みで体を伸ばせず丸くなった。左胸あたりがひどく痛む。
そっと撫でさする。その痛みは心まで広がっていった。
「ルナ・・・」
記憶をなくし、WOMプリンセスで月の姫を演じていたルナ。
満月の夜、奈留瀬の言葉で記憶が戻ったルナは、最愛の人を海で亡くしたという辛く悲しい結末を受け入れられず、生きた屍のような状態になっていた。
「私は愛する人のために美しくなりたかった。そばにいるだけでよかったのに・・・あの人は死んでしまった。あの男たちのせいで昇は死んでしまった。・・・違う、私を助けようとしてあの人は海に消えたの・・・」
ルナは悲しみの深淵に佇み、とめどなく流れる涙にくれながら、愛する人を待ち続ける月の姫を演じ続けた。その儚げな姿は、人々が想い描く月に消えるプリンセスそのものになっていた。
目覚めると、海に臨む窓に少し欠けた月が昇っていた。
テーブルにはいつの間にか夕食が用意されていた。その食事はまだ温かく、細やかな気遣いが感じられた。
しかし月乃は感謝しながらも手を付けることなく、ベッドに戻り目を閉じた。
3日も経つと月乃の体の痛みも引き始め、見計らったように用意された食事もとれるようになった。
監禁されているというものの、生活するには何不自由なく穏やかな時間が流れていく。
ある朝、月乃は物腰が柔らかく丁寧なスタッフの女性に、この場所について尋ねてみた。
にこやかな笑顔で、お答えできませんと返ってきた。
何を尋ねても同じ返答で会話が終わり、1週間が経った。
ある日の午後、スタッフの女性に散歩を勧められた。
思いもよらない提案に驚いたが、外に出られることが素直にうれしかった。
月乃は一歩出ると、外の空気を思い切り吸い込んだ。
少し潮の香りがした。
「ここはどこかの離島ですか?」
「はい、個人所有の島です」
何気なく尋ねた月乃は、返事があったことに驚きスタッフの顔をまじまじと見た。
「お答えできません、ではないのね・・・」
「はい、私が分かることであればお答えします」
「お名前伺ってもいいかしら?」
「鈴木と申します」
「鈴木さん・・・とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
「鈴木さん、わたしは」
自己紹介をしようとする月乃を、鈴木がやんわりと止めた。
「私どもはお客様のお名前を伺うことが禁じられています。申し訳ございません」
鈴木はにこやかな表情を崩さずに少し深めにお辞儀をした。
「そうなのね・・・ここは・・・」
言いかけて月乃は止めた。その問いにはお答えできませんという鈴木が見えていた。
何か?と言う鈴木に、月乃は笑って首を振った。
ゆっくりと歩く。
鈴木は少し下がってついてくる。
月乃は立ち止まり振り向かずに尋ねた。
「1人で・・・少し歩きたい・・・だめですか?」
「分かりました。このまま進みますと海に出ます。お帰りはこの道をお戻りください。お気を付けて」
鈴木は歩き出した月乃を見送り、職場へと戻っていった。
月乃は首をかしげた。
監禁、軟禁、幽閉、拘束、束縛、隔離、制限、なのにえらく簡単にひとりになれた。
この解放感はなんなんだろう?
監禁、確かに月乃の身に起こっていることなのだが、初めに感じた恐怖や不安はいつの間にか消えていた。
今ではここの生活が心地よいとさえ思い始めている。
だが手放してしまったものもある。
ルナ、WOMプリンセス。そして情報の遮断・・・社会からの隔離・・・もどかしい。
ルナは、会社はどうなったのだろう。
WOMプリンセスは月乃が心血を注いで作り上げた会社。月の姫のイベントを始めて会社の知名度も上がり、業績も右肩上がりになった。
そんな時期にルナが体調を崩した。ルナとは1年間の契約だったが、月乃は姉のように慕ってくれるルナが弱っていく姿に、樫戸綾にルナを手放すよう進言した。
しかし樫戸綾は契約の終了まではと承知せず、頼み込む月乃を鼻であしらった。ルナは記憶が戻ったあとも詳しい過去を話そうとせず、本名さえ明かそうとしなかった。そんな孤独なルナに何かあったとしたら、樫戸綾は病死として処理して平然としているだろう。
ルナを人間扱いしない樫戸綾は、月乃にとって恩人から疑惑の人物に変っていった。
月の姫のイベントは半年を過ぎるころには会員がかなりの数になっていて、月乃はその会員の健康管理と秘密の情報の管理を任されていた。
あるとき月乃は、樫戸綾と月の姫のイベントに毎回参加するVIPの1人との会話から、WOMプリンセスの本当の目的を知った。
名簿の活用、顧客の要望。顧客?樫戸綾の口から発せられた言葉を月乃は聞き逃さなかった。
そのとき、月乃は樫戸綾が隠し持つMデータの存在を知った。
樫戸綾主催の月の姫のイベントに参加した人々は、この国に影響力を持つ実力者の妻子たちだった。樫戸綾がそのデータをどのように使うのか、そしてそれに巻き込まれれば月乃の立場はかなり危うくなると容易に想像できた。
しばらくして月乃は、データの完成が間近なことを知った樫戸綾に身辺の整理を命じられた。
そんな矢先、樫戸綾の元へアポイントなしで1人の男が現れた。
社長室に通したその男から渡された名刺を見た樫戸綾は、椅子に倒れ込むように座り込んだ。
席を外すように言われた月乃は、樫戸綾の右手がスマートウォッチに触れたのを見逃さなかった。
月乃はすぐさま指示に従って、会員の健康管理と秘密の情報のすべてが入っているパソコンを破壊して処分した。
時間をかけて集めたMデータを躊躇なく消去させた男は何者なのか?
男が去ったあと、樫戸綾は会社を畳むと言い残し一切の連絡が取れなくなった。
月乃は樫戸綾の指示に従い、腹心の御剣、咲紅とともに会社を売却する準備に取り掛かったが、不可解なことにすべての手配がすでに済まされていた。
あとは売却先を決めるだけとなったころ、ルナが四国へ墓参りをしたいと言ってきた。
奈留瀬がルナを狙っているという情報に不安を抱えながら、月の使者の雨弦と砂弦の力を借りて強行した。
用心していたが、最後に立ち寄った神社で何者かが襲ってきた。奈留瀬の犯行だと判断した月乃は、咄嗟にルナの身代わりになった。
そしてそのあと、何ひとつ分からないままここに監禁されている。
ぼんやりとした意識に、足裏の感触の変化が伝わる。
気づけば目の前には美しい海が広がっていた。
ほうっと息をつくと雄大な海原を前にして月乃の心配事は消えていた。
「今は一旦悩むのはやめよう、ここにいれば身の危険は無さそうだし、次の機会に備えよう」
月乃は溢れかえる情報のないこの状況を受け入れて、思う存分思考することを楽しむと決めた。
月乃はもと来た道を戻り、宿泊施設へと進み始めた。
晴れていた空に雲がかかり、あたりが薄暗くなり始めた。
少し早足になった月乃は進むその先の脇道に気づいた。
見過ごそうとしたが好奇心に負けて、引き返してその脇道へ入った。
人がひとり通れるくらいの小道で、その先にうっすらと建物が見えた。
木々に囲まれた建物には入り口と明かりの点いた小窓があった。
目を凝らした月乃はぎくりとして、来た道を全力で引き返した。
宿泊している建物が見えた。
息せき切ってたどり着いた月乃だったが、開いているその扉の中に入るのをためらった。
あの建物にあったのは鉄格子の窓・・・鉄格子はなくてもこの建物もおなじだ。
「やはり監禁・・・なのだ」
玄関で立ちつくす月乃を心配した鈴木が駆け寄ってきた。中へ入るように促し、月乃の腰に手を添えた。
「お帰りなさいませ。何かございましたか?お顔の色が・・・さあ早くお入りください」
空は薄雲に覆われて陽射しが消えた。
月乃は監禁というこの状況を楽観的に考えていたことを悔いていた。
この扉の向こうに入ってしまえば二度出られないと確信した月乃は、今すぐにここから逃げ出そうと決心した。
この女1人なら逃げ切れる。ここで一生を暮らすなんてまっぴら。
たとえ溺れ死んでしまってもあの海に逃げる。
月乃は血走った目で、横に立つ鈴木の様子を伺いながら、その時を待った。
「お客様、私にお尋ねになりたいことはございませんか?」
鈴木が尋ねながら一歩下がり、腰から手を離した。
今だ。
月乃は踵を返して海に向かい、一目散に走り出した。
走った。
海が見えた。
肩で息をしながら振り返ったが、鈴木が追ってくる気配はなかった。
おかしいと思いつつも胸をなでおろし、岩陰に身を隠してあたりを見まわした。
海は思ったよりも穏やかだった。目を凝らして海を見ると何隻かの船を見つけた。
私は逃げきる。逃げてやる。
運命に身を任せることを選んだ月乃は、海へと一歩踏み出し泳ぎ始めた。
泳ぎには自信があった。
沖合の船に向かう月乃は緩やかに当たる波を心地よく感じて泳ぎ続けていた。
そんな月乃をそれは突然襲った。
寄せは引く緩やかな波間にあの男の顔が見えた。
月乃は樫戸綾が話していたことを不意に思い出した。
イレーザー。
独自の判断ですべてを消し去る権限を持つ組織が存在する。
あの男がそうなのだ。
「私は・・・消される・・・」
月乃は何かが足に絡まるのを感じ、パニックになった。
もがくほどに絡まり、振りほどくことができず月乃は海中に沈んでいった。




