立命 ~諾~ 立命
秘匿・・・仕舞う物
佐多成彦は、秀の絵が見たいと連絡してきた天野卯月を市ヶ谷の事務所で待っていた。
机の上に並べた秀の絵を少し離れて眺める。
卯月が動くと言っていた絵。だが見ている限り絵が動くことはない。
成彦は1枚の絵を取り透かして見た。
ひらひらと動かしてみたが変化はない。
時計を見た。約束の時間は3時。とドアをノックする音がした。
ドアを開けると卯月が険しい顔で立っていた。
成彦が招き入れると、手土産らしきものを差し出した。
「甘いものが好きみたいだから、・・・どら焼きです・・・」
「・・・甘いものが好きなのか?俺は・・・」
「あら、嫌いなの?」
「・・・ううん・・・好きかな」
面食らって曖昧な答えをしたが、この短いやり取りで尖った雰囲気がいつの間にか消えていた。
成彦は場を一変させるこの能力は侮れないと、改めて思った。
「秀の絵を出しておいたが、何か気付いたのか?」
4枚の絵を見た卯月は首を振った。
「これではなくて、もっといっぱい人が書いてある、この絵の前のが見たい」
成彦は重ねてある絵の中から1枚抜き出した。
オロチが四方から人々に襲いかかる様子が描かれている恐ろしい絵。
人々の日常に起こる幸せと不幸せが混沌と描かれている。
それをすべて飲み込もうとしているオロチ。
オロチが囲こむ中には、人々の日常があった。
その絵は一見すると何かの模様のように見えるのだが、よく見ると一場面、一場面がとても細かく、写真のように描かれていた。
卯月はその絵を細かく見て、ひとつの場面を指差した。
「これは私の知り合いだと思う」
そう断言する卯月の顔は真剣そのもので、成彦は指差された箇所を凝視した。
「何故、そう思う?」
「1ヶ月前、この事務所からの帰りに私は友達と会う約束をしていた。電話で話している途中で友達は突っ込んできた車の下敷きになって亡くなった。」
「・・・」
「それがここに描かれている」
「事故の現場を見たのか?」
卯月は首を横に振った。
「見ていないけれど、ここに描かれていることはすべて意味があると思う」
「決めつけるのはどうかな?」
「・・・あなたは秀さんがなぜこの絵を描いたと思うの?あなたに何かを伝えたくて動かない手で描いたものが、無意味なものだなんて軽く考えていいの?そんなことは考えられない」
「それは・・・そうだな」
卯月は挑むように成彦を見て、USBをテーブルに置いた。
「私の友達が、亡くなった妹さんのために調べた資料がここにある。もしこの部分が友達の事故の絵なら、ここに描かれてていることと同じことが現実に起こっているのかもしれないでしょ。テラさんのことも、流浪の賢者や若狭さんのことも、知り合いのお医者さんが言っていた不自然な死についても詳しく調べるべきだと思う」
成彦はUSBを手に取った。
「この中に、この絵に関係する資料があるというのか?」
「関係するかどうかはわからない・・・」
成彦の興味なさげな顔に卯月は、無性に腹立たしくなり語気を荒げた。
「もっと詳しく調べるべきだと言っているの。これが予告絵だとしたら、幸せな未来が描かれていないことを、重くとらえないといけない。秀さんがあなたに託したことでしょ。私の知り合いの医師が不自然な死と言っている事例がある。もしかすると、この絵の中にそのことが描かれているかもしれないのよ」
「その医師にテラさんのことを話したのか?」
「言ってないわ、あなたが止めたから」
「賢明な判断だ」
「何を言っているの?こんな状況なんだから情報を共有して、早く謎を解いて危機を回避すべきでしょ」
「ちょっと大げさだな」
「あなた、公務員でしょ。国民のこと考えなさいよ。何かが起こっているのに何も知らされずにいるのよ。国民は知る権利がある」
「なるほど、いかにもジャーナリストの考え方だな。知る権利は大切だが、国民とやらが何を知りたいか、君は知っているのか?俺だって秀の絵が持つ意味を軽く考えてはいない。
俺は秀が動くはずのない手で絵を描いているのを確かに見た。そして君は動くはずのないこの絵が動いているという。俺は君を信じる。だがそのことは俺たちにとってはまぎれもない事実だとしても、世間一般では非現実的ことで、ましてこんなことを立証するのは到底無理だ。この絵が示すものは不幸な未来なのか?君は絵が動くと言っている。ということは変化しているということだ。この絵は未来は変わりうると言っているのに、今、不確かな情報が流れてみろ、このネット社会はどうなるか。パニックになり、大混乱が起きる」
「今すぐに国民に知らせろとは言っていないでしょ。ただ・・・この絵につながる情報を持っている人に・・・せめて秋津先生に高千穂のテラさんのことを話せたら、何かがはっきりするかもしれないでしょ」
「秋津・・医者の名前か?」
「そうよ、秋津都先生、テラさんの主治医。都先生は私たちに起きている不可解なことを感じ取っているの。都先生の元で、息を引き取った人たちの死を不自然な死だと言って納得していない。秀さんの絵にヒントがあればきっと何か分かる。だからこの絵を・・」
成彦を見上げた卯月は、その厳しい表情に断固とした拒否を見て取り、口をつぐんだ。
「分かったわよ、他言無用でしょ、誰にも言わないから」
捨て台詞のように言うと、卯月は事務所を飛び出した。
無性に腹が立った。
あの超然とした迷いのない姿には、どうあがいても歯が立たないと分かっていた。
それを認めればなおさら怒りが増してきた。
私もジャーナリストの端くれ、隠すにも限界がある。
「いつか、あんたの正体を暴露してやる」
吐き出すように言って気を取り直した卯月は、その足で神盛教授を訪ねた。
すでに調べた結果は由宇子を通して報告していたが、預かっていた手紙を返さなければならなかった。
神盛教授は奈穂さんの手紙を前に、卯月の話を静かに聞いていた。
奈穂さんは、教祖の息子の世話係だったこと、名前さえ口にできないほど恐れられていたその息子を育てた奈穂さんは、慈愛の賢者と呼ばれていたこと、「空空」とはそれを示すものであること、確認はできないが葬儀は教団の施設で執り行われたことなどを、あらためて教授に伝えた。
「その手紙にある「空空」は大禍津教の信者であったことの証拠になる」
そう言いながら父親の顔で奈穂さんの手紙をそっと撫でた神盛教授は、娘を取り戻すべく裁判を起こすと言葉少なに語った。
卯月はその言葉に今後も協力することを約束して、30分ほどで神盛宅をあとにした。
奈穂さんについて報告はしたものの、卯月は神盛教授の救われない思いをひしひしと感じていた。
奈穂さんは父親の元に帰りたかったのだろうか?
あの髪の束は死を前にした奈穂さんが、信者として死を迎えるという決意を父親に伝えたかったのではないだろうか?
今となっては奈穂さんの気ちを確かめることはできない。いくら思いを巡らせてもたどり着くことのできない逝ってしまった人の本心。
別れを惜しむことが出来なかった真琴を思い出し、卯月は深いため息をついた。
家に帰っても卯月は拭えない思いにとらわれていた。
「真琴ちゃん・・・」
湯船に浸かっても、食事をしても、楽しみにしていたTVを見ても、真琴のことが思い出されて、その夜卯月は寝付けずにいた。
諦めて起き出した卯月は、取材のメモ帳を取り出した。
そして雷樹の話を読み返した。
教団では、霊命薬という薬を飲めば粗末な食事でも命を繋ぐことができるという錠剤が配られていたという。それは来世への道を開く薬という触れ込みらしい。
唐の時代、不老不死の薬を求めて日本に渡来した徐福方士。その不老不死の薬だと教祖が開発をしたらしいが、値段が高く一部の人間しか手にできず、借金をしてでも手に入れようとする信者も少なくないと言っていた。
その霊命薬とはどんなものなのだろうか。奈穂さんの薬と同じなのだろうか?
その怪しい薬も、雷樹が手に入れてくれると言っていた。
信者が実際に飲んでいるものが手に入れば、奈穂さんが信者であったことがよりはっきりするし、亡くなった原因の追及にも役立つかもしれない。
そして卯月はもう1つの気がかりをメモしていた。
都先生が不自然な死と言う、流浪の賢者と呼ばれていた芦屋彦治さん。彼も教祖の息子の教育係だった。
その息子に関係した人が2人亡くなっている。これは偶然なのだろうか?
今度雷樹に会うときに詳しく聞いてみよう。
先を見て、先を考えると顔は上がる。
卯月は気持ちが沈んだときに切り替える方法としてそれを実践していた。
しかしながら、人の縁は不思議なものだ。
1年前ライフシェアタウンで、たまたま2人の男性にインタビューした。
そして再び2人に出会うと、1人は未来を担う宿命にあり、もう1人は犬という宿命を背負って未来に挑戦していた。
ふと手にしている手帳を見て、つい先ほど喧嘩別れをした佐多成彦を思い出した。
この手帳が縁で知り合った不思議な絵を持つ男。
佐多成彦の事務所で、その絵を見た日に真琴が事故にあった。
絵は今も卯月の目の奥に張り付いていて、時折目を閉じると現れては動いて消える。
動いて見えるあの絵が、微妙に変化をしているようにも感じられる。
佐多成彦・・・あの男は何を背負っているのだろう。
そして私は・・・何者なのだろう。
冷静になった卯月は、佐多成彦との縁の深さを改めて感じていた。




