立命 ~諾~ 立命
朱蜘蛛の横糸
ある蒸し暑い夜、朱雲は肥留野に呼び出された。
甲高い声でネチネチと絡みつくようなしゃべりをする肥留野。その声に絡まれないように用心していたのに、今度は何を言われるのか。気の重さがライフシェアタウンへ向かう朱雲の足取りに表れていた。
タウンの管理棟が見えた。朱雲は立ち止まり、建物の最上階を見上げた。
部屋に明かりが点いている。影が動いた。あの男が見ている。そう思うと、重い足取りが小走りに変わった。
息を整えタウン長室の扉を開けた途端、特徴ある声に襲われた朱雲は冷静さを失い、まともに呼吸ができなくなった。
「あれだけ身の回りをきれいにしとくように言いましたよね」
肥留野の冷ややかな視線が、瞬時に答えることのできない朱雲をじりじりと焼く。
「向出手という占い師が近々詐欺で捕まるそうですよ・・・朱雲さん、あなたは近しい付き合いをされていたようですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫です・・・」
「何が大丈夫なのですか?」
「なに?・・・と言われましても・・・それは・・・」
口ごもる朱雲を甲高い肥留野の声がマシンガンのように撃つ。
「あきれたものです。大丈夫、大丈夫。あなたは毎回そうおっしゃるが、何をもって大丈夫と言い切るのか。大丈夫と口にする意味が分かっていない。その上、責任の取り方も分かっていない。私は、あなたが福祉という名目を利用して追い込んだ、若者たちは大丈夫なのかと聞いています。訴えられたらどう責任を取るのか、尋ねているんです」
肥留野の声のトーンが下がった。
「私は心配しているのです」
「訴えられるんですか・・・そんな、私はどうすれば・・・」
「朱雲さん、悪事は必ず暴かれます。そのときの準備をしておくことです」
「準備・・・ですか?」
「NPOで止めてください。タウンに影響が出るようなことがあれば・・・」
「分かり・・・分かりました。なんとかしますから」
呪縛から逃れようと後ずさりをする朱雲の首に、ねっちりとした声が絡まった。
「尻に火が付く・・・今のあなたです。あなたのできることを考えて、火種はしっかりと消しておいてください」
肥留野に引導を渡された朱雲はすぐさま料亭の女将兎山凪子に会いに行った。凪子はネットワークビジネスを取り仕切っていた。
個室に通された朱雲は、何度も時計を見ながら立ったり座ったりを繰り返して凪子を待っていた。
30分も過ぎて朱雲が立ち上がりかけたとき、引き戸がスルスルと開き、女将の凪子がにこやかな顔を出した。
「朱雲さん、おひとりですか?お珍しい。お酒でも用意しましょうか?」
「注文は・・・あとでお願いします。とにかくご相談があって、そのお願い事なんですが・・・」
恐る恐る顔を上げた朱雲は、口を真一文字にむすんだ女将凪子の冷酷な表情に思わず正座をした。
「何をどうしろと言うんだい?あんたのしでかした話は聞いたよ。だけどね、こっちとらあんたと違って何1つやましいことはしてないんだよ。あんたが若い子に借金させてネットに参加させたことを今初めて知ったんだ。あたしゃね、人様に後ろ指さされるような商売はしてないんだよ。あんた、わざわざ顔出して、あたしを巻き込むつもりかい?えらい迷惑だよ。やめてくれ。あたしんとこはあんたとは一切関係無い。わかったかい、まったく、何ぼんやりしてんだい、とっとと帰っとくれ」
朱雲は動けなかった。両足に蜘蛛糸が絡まったのが分かった。
その夜更け、スマホを片手にまるで足に絡まった糸を切ろうとするように、NPO法人の事務所の中を歩き回る朱雲の姿があった。
朱雲はぶるぶると震える手で向出手に電話を入れた。
「もしもし・・・姐さん、私だけど」
「それどころじゃない」
恫喝とともに向出手は電話を切った。
へなへなと座り込んだ朱雲は、首に纏わり付く蜘蛛の糸を感じた。
蜘蛛は横糸で獲物を仕留め、絡めとる。
そして危険を察知すると縦糸をつたって逃げる。
だがその縦糸は切られ、朱雲は逃げ場を失った。
足掻く朱雲に、風にあおられた横糸が絡み纏わり付く。
必死で払いのけた指先に、借金のかたに結婚した羽純の契約書が張り付いていた。
眉間にしわを寄せ、目を閉じたまま天井を見上げていた朱雲は、突然カッと目を開き立ち上がった。
薄暗い事務所の机には、救済という名目で援助をした学生たちの名簿が何冊も並んでいた。向出手と組んで金儲けに利用した学生が何人も含まれている名簿だ。
1冊を手に取り開く。
借金のかたに結婚させられた羽純が笑っていた。
「あんた、今幸せだよね。私に文句はないよね」
ページを捲るたびに笑っている学生たちの顔写真に強気で問いかける。
「私はこの子たちを幸せにしてやった。路頭に迷っているのを手助けしてやったんだ。ライフシェアタウン事業にも貢献した」
何冊かをペラペラと捲り、机に重ねて置き、上から押さえてポンと叩いた。
と、叩いた手がなぜか震えだした。
「尻に火が付く・・・」
そうだ・・・誰かがこの子たちに今は幸せかと尋ねたら・・・ばれる・・・何人が騙されたと答えるだろう・・・私は逮捕される・・・都議会議員の私が・・・地に落ちる。
目の前の何冊もの名簿が朱雲に今までの悪行を思い出させた。そしてその1枚1枚が朱雲の全身に張り付いた。両手を机につき、うな垂れていた朱雲は、ワン切りの着信音で顔を上げた。
切れたスマホをぼんやりと見ていた朱雲は、しばらくすると夢遊病者のようにふらふらと何かを探し始めた。そして青ざめた顔で、重ねられた名簿の前に立つと朱雲は静かに目を閉じた。
その姿は漆黒の糸で身動きできないほどグルグルに巻かれていた。
雄介がネット制裁の準備完了と連絡を佐祐から受けたのは、伊江谷の死からしばらく経っていた。
佐祐は鈴音のイベントに参加して、会合に呼ばれた男に当たりを付け近づき、そのときの様子を聞き出した。
その男の話によれば、黄利木と思われる男に先導された何人かの男が、鈴音のためにとターゲットにされた女にアタックをかけたらしい。
名乗りを上げた男には、黄利木から当日のターゲットの位置情報やそのときの服装の連絡があり、近くにいた者が実行するという簡単な計画だった。
その男たちには市子の写真が送信されていて、1人に1回だけのアタックが決められていて、成功者は鈴音のナイトと呼ばれ、ファンクラブでの特典が与えられたそうだ。
佐祐に話してくれた男は、待機していたがチャンスがなかったと笑っていたらしい
その後、実行した男たちは起訴されなかったが、これ以上ことが大きくなれば鈴音の活動に影響が出ると判断したのか、その会はいつの間にか自然に消滅したらしい。
しかし参加した男たちは、選ばれて鈴音のマンションに招待されたことを自慢していた。佐祐はその中に実行犯らしき1人の男を見つけて親しくなり、話をする機会を作った。
ビールを飲みながら話をするうちに、鈴音を崇拝する男の心の中の、燻る黄利木への猜疑心とも嫉妬ともつかぬ感情に気づいた。佐祐は男の黄利木に対する対抗心をあおり、黄利木と鈴音の関係を怪しむ話をした。
「そんなことを頼むなんて鈴音は先輩のことをよほど気に入ってるんすね。先輩も命かけるほど鈴音が好きなんすね。相思相愛か・・・羨ましいす。俺もそのマンションに行ってみてえなぁ。でも先輩、俺たちを犯罪者にしてなんとも思わねぇすかね?鈴音は・・・鈴音が先輩を使い捨ての駒で利用したんなら・・・俺許せねぇな・・・何はともあれ、先輩よかったすね、起訴されずに済んで。よかった、よかったすよ」
佐祐の言葉にその男の顔が強張り、血の気が引くのが分かった。
男は佐祐の言葉を最後まで聞かず、ガタッと席を立ち、店を出て行った。
「そんなことはない。鈴音は・・・俺の天使なんだ」
佐祐はその男の代わりに想いを口にしてニヤリと笑い、残りのハンバーガーを口に入れてカクッと首を鳴らした。
「仕上げに行きましょ」
鼻歌まじりに店を出た佐祐は、宇賀野の事務所に向かった。
事務所に着くと、佐祐はネット制裁の準備完了と雄介にメールした。
雄介が事務所に入ると、パソコンの前に座っていた佐祐が待ってましたと立ち上がり、手招きした。
パソコンには鈴音と黄利木が向かい合っている映像が映し出されていた。
「これは?」
「鈴音と黄利木が言い合いを始める前のショットっす。にらみ合っているけど見つめあっているように見えるっしょ。そいで・・・」
佐祐はパソコンにSOUSHISOUAIと打ち込んだ。
「これで鈴音は・・・終わりっす」
「あとはみんなの気持ちっす。行きますよ、雄介さん」
佐祐は右手の親指を立てて上げ下げして、エンターキーを軽く叩き、カクッと首を鳴らした。
雄介は伊江谷の死を知ったとき、虚しさと痛みを感じた。それは何日か経った今も消えていない。
佐祐はファン心理を利用した鈴音のやり口を暴露して、特定されたファンを被害者に見立てて、ファンを利用した鈴音をつるし上げると言っていた。
ネットで裁く。
だれが裁くんだ?・・・知らぬ間に裁かれる鈴音と黄利木。
ネットに慣れていない雄介には理解できない裁き方だった。
雄介の心の中に消えかけていた虚無感が痛みとともに広がった。
「佐祐、悪いけど俺、用事を思い出した。行くわ」
「雄介さん、結果はすぐ出ますよ。見てください。ほら、みんな反応してます」
「またな、連絡する」
画面を観て面白そうに笑う佐祐に、雄介は一言声をかけて背を向けた。
佐祐が指さしたパソコンの画面には追いきれないほどのコメントが次から次へと表示されていた。
雄介は複雑な思いを抱えて奥多摩の方向に走り出した。いつの間にか日が落ちて、辺りは薄暗くなっていた。雄介は、舗装はされているが、明かりのない山道をひたすら駆け登っていた。
俺は正義が分からない。昇を追い詰めた堂本が命を落とした。そして会社を騙そうとした伊江谷も命を絶った。確かに悪党で数々の悪事に手を染めた結果なのかもしれない。自業自得なんだと分かっていても、この後味の悪さは何だろう。
走っても走っても気持ちの晴れない中、その途中で楽しそうに笑う佐祐とすれ違った。雄介はスピードを落とし振り返った。
そこに佐祐の姿があるはずはなく、雄介が登ってきた道が暗闇に浮かび上がって見えた。雄介は足踏みをしている自分の足元を見た。その足は止まることなく遠い山頂へ向いていた。
一呼吸した雄介は再び山の中へと走り出した。




