立命 ~諾~ 立命
真琴の遺志・卯月の意志・・・闇の意思
立の章
立 命 諾 (ダク)
不動の心を持ち、天命に身を捧げ、その使命を超然と全うする。
寛容ながらも無情なこの世の幾千万の正義を前に、何をもって善とし、何を見て悪とするのか。
その時を刻む者は、孤独の鎧をまとい、非情の剣を振りかざして、苦しみの根源を忘却の彼方へと運びさる。
ナミノホヨリ、 アマノカカミブネニ ノリテ、 ヒムシノカワヲウツハギニハギテ
波の穂より、 天の羅摩船に 乗りて、 ひむしの皮を 内剥に剥ぎて、
キモノニシテ ヨリクルカミアリキ。 ココニソノナヲ トワセドモコタエズ。
衣服にして 帰り来る神ありき。 ここにその名を 問わせども答えず。
マタミトモノカミタチニ トワセドモ、 ミナシラズト マオシキ
また所従の諸神に 問わせども、 皆知らずと 白しき
卯月は、鳴木目真琴が追っていた人物、国玉若彦が遊説先で倒れて死亡したというニュースを親友の和久由宇子とともに聞いた。
演説中に気分が悪くなった若彦は、熱中症を疑い、エアコンのきいた車中で横になっていたのだが、スタッフが会場の片づけを済ませて車に戻ってみると、すでに若彦の意識はなく、病院に到着したときには心肺停止の状態だったらしい。
処置をした医師秋津都は、原因を熱中症によるものと診断せざるを得なかった。
しかし、都は別れ際に気になることを言っていた。
「あの子・・・摩帆留。経過が似ている。不自然な死・・・」
卯月は自宅に帰り、真琴のことを思い出していた。
ニュースで流れる若彦の名前を聞いたとき天罰が下ったと思ったが、卯月の気持ちは晴れなかった。
なぜなら、真琴は若彦の死を願っていたわけではなく、何よりも真相を知りたかったに違いないからだ。
卯月の胸にいろいろなものが堰を作り、八方ふさがりになっていた。
真琴の事故は卯月との電話中に起きた。
卯月はすぐに現場に駆けつけたが、真琴はすでに救急車で運ばれ、ほぼ即死だったらしい。原因は加害者の居眠り運転で、その人も病院で亡くなったと聞いた。
真琴との急な別れに、話すことも手を握ることもできなかったことが今も悔やまれてならなかった。
卯月は後日、親しい間柄だけで行われた真琴の葬儀に参加したが、遺影を前にしても実感がなかった。妹さんに続いて真琴まで失ったご両親にかける言葉がなく、卯月は居たたまれずに連絡先のメモを渡して葬儀場を後にした。
帰り道、卯月は喪服のまま、真琴と話をしたファートフードの店に入った。
2人分を注文して、そのひとつを誰も来ない席に置いた卯月を、店員が不思議そうに見ている。
「ごめんね、真琴ちゃん・・・」
思い返せば2月のことだった。
何を調べていたのかもっと詳しく聞いていれば、真琴は死なずに済んだかもしれない。
後悔が何度も何度も卯月を叩いた。
涙が止まらなくなった。
氷が解け、寂しくて涙しているような2個のドリンクをそのままにして、卯月は店を出た。
葬儀の翌日、真琴の両親から引っ越し業者の立会いを頼まれ、思い出のものがあれば形見として貰って欲しいと言われた卯月は、真琴の部屋に向かった。
真琴の性格を表している部屋だった。
シンプルで飾り気のない部屋に残されたものをいくつかの段ボール箱に収め、職場から届いた物と一緒にまとめて、真琴の実家に送った。
卯月は真琴が趣味で描いていたスケッチブックとペンのセットを形見として、大切に持ち帰った。
ふと、ドアを閉めかけて立ち止まり、もう一度部屋を見渡した。
「何だろう?何かが足りないような気がする・・・」
そして葬儀から1週間が過ぎたころ、卯月はふと真琴のパソコンが見当たらなかったことを思い出した。あの日、見落としていたのはパソコンだった。
そうだ、真琴はパソコンに何か残していたはず、それなのにそのパソコンがないはずはない。
卯月は真琴の両親に尋ねたが、部屋にも、警察から帰ってきた真琴の持ち物の中にもパソコンはなかったと思い出すのも辛そうに答えてくれた。
「真琴ちゃんのパソコンはどこにあるの?・・・」
はたと思い立った卯月は、真琴の住んでいたアパートの隣に住む大家を訪ねた。
面倒見のよさそうな初老の男性が出てきた。
「すみません、お尋ねしたいことがあって伺いました」
「鳴木目さんのことかい?」
「はい、彼女のパソコンが見当たらないのです。部屋を片付けたときはなかったのですが、何かご存じありませんか?」
「パソコンねぇ、見たことないなぁ、捨ててもなかったしね」
「誰かに預けたのかな・・・」
「その辺は分からんね、ごめんな・・・」
「いいえ、ありがとうございました」
お礼を言い、頭を下げて帰りかけた卯月を大家が呼び止めた。
「・・・そういえば、関係ないかもしれないけど、事故のこと教えてくれたお巡りさんが部屋を見せてくれって、部屋に入ったなぁ」
「お巡りさんがですか?」
「ああ、事故にあったって聞いたから、びっくりして鍵を渡したよ。何か事件に巻き込まれたんじゃないかって思ってね」
「部屋には一緒に入ったんですか?」
「いいや、一人で行くって言われたからね・・・こんな話、役に立たんだろうが、鳴木目さんのことで気になったのはそれくらいかな、すまんね」
「ご親切にいろいろとありがとうございました」
卯月はもう一度頭を下げてアパートを後にした。
お巡りさん。その一言に卯月のアンテナが反応した。
「・・・そんなこと、警官が・・・する?」
「あり得ないこと。その警官は何者?そいつがパソコンを持ち出したのかもしれない」
「パソコンか・・・近頃は真琴ちゃんとはずっとスマホで連絡してたなぁ・・・」
家に帰り着くと卯月は、日が経つにつれ遠くなっていく真琴との繋がりを求めて、古いパソコンを開いた。
電源を入れると新着の文字が浮かびあがった。
真琴とあった。
手が震えた。
メールには、真琴が命をかけて集めた資料が残されていた。
卯月は冷蔵庫から取り出した冷たい水を一気に飲んだ。
「真琴ちゃん・・・無駄にはしないよ。あとは私が引き受けた。必ず真実を見つけるから」
卯月は何度も読み返した。
読み通していくと、関係していると思われる人物や背景が書かれていた。
国玉若彦、大山製薬研究所、芳志総合病院、トラ野郎の教団。そして大黒厚労大臣、その先に見え隠れするライフシェアタウンとの繋がり。
真琴の最後の言葉「あの男を見つけた」あの男とは誰?
それは国玉若彦だったのか?
国玉若彦と瓜二つのタウンの住人との接点は?
真琴を雉と言い、要らぬ苦しみを与えた教団の関与は?
その教団の信者だった神盛奈穂と若狭の薬とは関係はあるのか?
頻繫に出てくる赤いピルケースとは何なんだろう?
赤いピルケースを芳志総合病院で見つけた。赤いピルケースを国玉若彦の妻が所持していたとある。
妹の華琴が持っていたものは国玉若彦が渡したものなのか?
真琴は赤いピルケースを必死で探していた。
これが若彦と華琴を結びつける証拠の品なのか?
ふと卯月は背筋にゾクリと冷たいものを感じた。
「真琴ちゃん・・・交通事故って・・・もしかして・・・」
梅雨晴れ間の蒸し暑い日、覚悟を決めた卯月は、真琴の資料のデータにあるカフェのドアを開いた。
ドアにつけてある飾りが風鈴のような音で来客を知らせた。
入るなり、すぐにいろいろな目が卯月を観察していると感じた。
こんなに居心地の悪いカフェはないと思いながら、コーヒーを頼んだ。
神盛奈穂と教団との関係を示す唯一の手掛かりの「空空」という文字。
これだけは確かめようと卯月は決めていた。
コーヒーを置き、にっこりと笑って「ごゆっくり」と言って背を向けた年配の店員に
「あの・・・」とかけた卯月の声は、突然現れた男の声で消された。
「レポーターのお姉さん・・・久しぶりだな・・・」
その声に振り返った店員は、ぽかんとした卯月と男を交互に見て、笑った。
「あら、雷ちゃんのお友達?コーヒーでいい?」
「頼んます・・・」
何なのと口を開きかける卯月を制するように、男は話しを続けた。
この男は一度ライフシェアタウンでインタビューをしたことがあった。
そのとき、教祖に犬と言われたと笑っていたが、強がるほどその顔は痛々しく見えたことを記憶している。
質問をしようとするのを何度も阻止する男の行動には意図があると察した卯月は、手相を見るという茶番に付き合うことにした。
この男、棚伏雷樹が真面目な顔で手相を見始めた直後、雷樹の背後に音もなく立っている男に卯月の顔が強張った。
男は軽やかではあるが、威圧的な態度で雷樹に声をかけてきた。
「おや?見かけないお嬢さんですね?」
突然、声を掛けられた雷樹は反射的に立ち上がって一礼した。
何者なのか?
柔らかく重圧をかけながら雷樹と二言三言、言葉を交わすと、その男は卯月たちが視界に入るカウンター席に座った。
男の登場や会話に一瞬怯んだ卯月だったが、現れた男を中心に醸し出される店内の異様な雰囲気に、俄然興味を持った。
卯月はもう一度手相を見るという雷樹に合わせて手のひらを広げた。
神妙な態度の卯月に、顔を近づけて雷樹が尋ねた。
「何をしに来たんだ?こんなところに」
この店があのトラ野郎教祖と関係していると確信している卯月は「空、空」とだけ答えてみた。
「それは教団の中で階級が上がると貰えるサインみたいなもんだ」
雷樹は即答した。
「空空という暗号みたいなものの意味が知りたくて・・・あの店員さんが知っているかもしれない」
人が近づくと雷樹は真顔になり、手相を見るふりをする。
「それはなかなか難しいと思いますよ、この線が邪魔をしてますね、焦らずに待った方がいい」
その度に邪魔をする雷樹に、卯月はカウンターの男から見えないように不満をあらわに舌打ちをした。
そんな卯月に、雷樹は笑いながら忠告した。
「正体がばれると何されるか分からないから、俺を信じろ・・・我慢して」
当たり障りのない身の上相談は、カウンター席の男が消えると終了した。
「今日はこの辺で・・・また会いましょう」
立ち上がった雷樹に促されるまま卯月も席を立った。
外に出ると先ほどの年配の店員が見送りに出てきた。
雷樹がてるちゃんというその店員に卯月の疑問を尋ねると、空空とは慈愛の賢者といわれる神盛奈穂さんの称号だったと教えてくれた。
それは奈穂さんが大禍津教の信者であることを示していた。
だがこれだけで証拠になるのだろうか?
棚伏雷樹という男は信者でありながら、教団のことを探っているようだった。
卯月は詳しく話を聞きたかったが、その日は急ぎの用があるらしく連絡先を交換して別れた。
卯月は教団の関係しているカフェを皮切りに、真琴が調べた場所へ足を運んだ。
最後に奈穂さんの葬儀が行われたという教団の施設に行った。
明るくて優しい色合いの建物へ向かう道を歩き始めると、突然めまいがした。
立ち止まって目を閉じた。
閉じた目の奥で何かが動いた。
卯月は後ずさりした。
閉じた目の中でパシャパシャと途切れ途切れの映像が映し出される。
あの絵?・・・秀という人の絵?
恐る恐る目を開けてもう一度見た建物からは、薄っすらと黒い靄が立ち上っているように見えた。
「帰ろう・・・ここは・・・入っちゃいけない」
踵を返して自宅へ帰った卯月は、塩で全身を清めてシャワーを浴びた。
「もう一度あの絵を見なければ先に進まないのかな・・・」
佐多成彦・・・なぜか馴染めない男。しかし絵の存在を無視できないし、相談ができるのは佐多成彦しかいないのだ。
「あああ・・・もう」
卯月は迷いを吹っ切るように小さく叫び、スマホを手にした。




