立の章 ~断~ 非命
牙をむく不自然な死。・・・手立てはないのか?
秋津総合病院での検査を終えたテラは、自宅に戻って穏やかな日常を取り戻しつつあった。
秋津都医師から検査の結果に何ひとつ異常がなかったと改めて連絡を受けたテラは、新緑に変わった眼下の桜を眺めていた。
今日の桜は初々しく見えた。
満開の桜。花舞い散る桜。芽吹きの桜。青葉の桜。葉の散りゆく桜。耐え忍ぶ寒の桜。花芽の桜。繰り返し、蘇る桜。
内に秘めた強靭な生命力の源、ただひたすらに存在し続けようとする桜。
それは桜だけではない。
生きようとすることは、命あるものすべての宿命であり、そして希望なのだ。
テラは夢を追ってひたすら走り続けた。
そんな中、身体に異変が起きた。
受け入れ難い現実に耐えられず死を望んだが、それは叶わなかった。
そして意図せずに悪夢から目覚めたテラは美しさを取り戻していた。
異常とは何をもって異常というのだろう。
私の身体に現れたもの。
私の夢を打ち砕いたもの。
だがそれは知らぬ間に跡形もなく消えさり、そして私は変わりなくこうして生きている。
変わりなく?変わっていない?
自分の身体で何かが起きている。
現実と思っていた夢から覚めたとき、テラは見えない現実を体の中に抱えていた。
あの血管腫は何だったのだろう。どこに消えたの?
目覚めるまでの10ヶ月もの間、どうして命を繋ぐことができたのだろう?
それにUSBに残された私の言葉。
発した自覚もなければ、思い起こすことさえできない。
考えても考えても堂々巡り・・・
テラはもう一度新緑の桜を見た。蘇る桜・・・
起きたことは受け止めて、過去にしていこう。
私は今を生きているのだから。
だったら・・・何から始めよう・・・
美容室へテラを迎えに行った太力は、テラの変わり様に驚いた。
さらさらとした長い黒髪はベリーショートに刈り込まれ、前髪は落ち着いたワインレッドに染まっていた。
華やかでしなやかなモデルテラは、芯の強さがはっきりと見える女性に変わっていた。
そしてマンションに帰り着くと、テラは目を見張る太力を尻目に、大きく深呼吸をして客室のドアを開いた。
「太力、ここから片付けを始めるわ・・・」
連休が明けたら、テラのためにこのマンションへ由宇子がやって来る。
短い間でも居心地の良い部屋で過ごして欲しいと考え、まず由宇子の部屋を準備しようと決めていた。
「あら・・・」
しかしその部屋は埃ひとつないほど、きれいに片付いていた。
「熊野なのね・・・」
高千穂からの帰りを待っていてくれた熊野が心に浮かんだ。
彼女はどこにいるのだろう?何をしているのだろう?
気に入らないことがあればはっきりという熊野。
そんな熊野が連絡をくれないのは何か考えがあってのことなのだ。
立ち止まることをしない熊野は、どこかで次の道を見つけていると信じていた。
テラは静かにドアを閉めてリビングへ戻った。
カウンターの隅にテラを復帰させる企画書が置いてあった。
テラはカウンターチェアに座りそれを手にしたが、開こうとはしなかった。
そんな様子を見ていた太力が、テラの気持ちを察してペットボトルとマグカップをテラの前に置いた。
テラは水をマグカップに注いだが口はつけずに、ペットボトルを揺らし水の動きをぼんやりと見ていた。
「それで由宇子さんからは連絡はあったか?」
太力ののんきな言いように、熊野がテラからゆっくりと遠のいた。
「予定通りに連休が明けに来るってメールが来たわ」
楽しみにしている和久由宇子との生活が始まるのだ。
テラはほぐれた笑顔を太力に向けてマグカップの水を飲んだ。
そして10日が過ぎたころ、広島から東京に戻った由宇子が職場の寮を出て、テラのマンションに越してきた。
3ヶ月の間、由宇子はテラの健康管理と毎日の検査データを秋津都に報告をするという契約で、秋津総合病院の職員になった。
テラはその間、外出を制限されていたが、穏やかな時を過ごしながら徐々にその生活に慣れていった。
一方由宇子は、テラに合わせて極力外出を控えなければならなかったが、拘束される時間すべてを、持ち込んだ顕微鏡を覗く時間に費やすことで日々満足していた。
夕方には太力が現れて夕飯を作り、食卓を3人で囲み、片付けを済ませては帰っていく。
1ヶ月もすると、3人の奇妙な生活はそれなりに心地よく回り始めていた。
6月に入り、テラは由宇子とともに月1回の受診のため秋津総合病院へ向かった。
1泊入院の検査を受けるテラを病院に送り届けたあと、由宇子は神盛教授の所へ立ち寄った。
そこで、由宇子は3ヶ月ほど前に神盛教授に紹介された薬と毒の研究をしている伊豆野穂希と再会した。
高身長でひょろりとした青白い顔の男。まるで毒に侵されているように見えた第一印象だった。
その伊豆野は奈穂さんの薬の分析の結果を持って来ていて、すでに結果を聞いた教授は2人を残して部屋を出ていった。
神盛教授に送られてきた薬は普通の栄養剤だったとぼそぼそと話す伊豆野に、由宇子は相変わらず取っ付きにくいとため息をついた。
そんな由宇子に、気遣うこともなく伊豆野は淡々と話を続けた。
「しかし、この薬のことが分かるとは言えないけれど、奈穂さんのDNAを調べれば奈穂さんに何か変化があったかどうかは分かるかもしれない」
「奈穂さんのDNAってどうやって調べ・・・」
聞き流していた話の途中で由宇子は、はっと気付いた顔で伊豆野を見た。
「奈穂さんの髪・・・」
「そうですよ。髪の束です。長さは十分あるので時間は掛かるけれど、何か分かると思いますよ」
「私はお別れの気持ちとして奈穂さんが送ってきたんだと思っていた。まさかそんな意図を含んでいたなんて・・・」
「教授の娘さんですからね・・・その時点を捉えて調べないと捕まえられないのですよ」
なにが言いたいの?やっぱり解んない。この人・・・
それからも伊豆野は毒の話を長々と続けた。
由宇子も顕微鏡を友とする仕事柄、毒に興味がないわけではなかったが、伊豆野の捉えどころのない専門的な会話には付いていけず、しばらくすると嫌気がさして伊豆野を残してさっさと帰ってきた。
7月になり由宇子は再びテラと秋津総合病院に向かった。
今回は日帰りの検査になっており、都の提案でテラも含めた3人の夕食に、卯月を誘うことになった。
3時過ぎに卯月が院長室の隣の特別室へ顔を出した。由宇子が待ちかねたように出迎えた。
卯月は、テラと由宇子が出会い、新しい物語が始まった部屋を改めて見渡した。
「卯月、懐かしいそうな顔をしてる」
「うん、いろいろあり過ぎて追いついていないけどね」
「でも、奈穂さんのことが分かっただけでもすごいよ、手紙に「空空」って透かしてあったなんて気付かなかったから」
「だけどそれだけじゃ確証にはならないよ」
「教授は裁判を起こすって、おっしゃってたわ。奈穂さんの亡くなった経緯にまでたどり着けなくても、このことは奈穂さんが信者だったという証拠にはなるって。奈穂さんを無縁仏にはしないって、泣いてらした・・・」
胸を詰まらせながら教授との会話を話す由宇子の肩に、卯月は優しく手を置いた。
「そうだね、きっかけにはなるよね。座ろう。この際、トラ野郎の秘密を洗いざらい暴いてやろう」
2人は話しながらテーブルに並んで座った。
「その教団の情報をくれた人とはまた会った?」
「うぅぅん」
卯月は首を横に振り、残念そうな顔をした。
「連絡がとれないの?」
「そう、もともと軽いノリの人だったから・・・でもあのときは口先だけの感じではなかったんだけどなぁ。何度掛けてもスマホの電源が切れてるの」
卯月の表情が思案顔に変わっていた。
「テレビでも見る?」
手慣れた手つきで由宇子がテレビをつけた。
ワイドショーの画面に、ライフシェアタウンをバックに茶徳国交大臣の顔が映し出され、「セクハラ疑惑で辞任を」とスクープで取り上げられていた。
卯月はライフシェアタウンの今の様子を感慨深げに見ていた。
卯月は1年前にレポーターとしてあの場所に立っていた。
大黒厚労大臣にしつこく迫ったため、クレームを受け仕事から外された。
「茶徳国交大臣か・・・悪い奴だわ。でもこの告発した女性はすごいね。相手は大臣なのに怖くなかったのかな。勇気あるわね」
「そうだね、国交大臣はいろいろ噂のある人だったから、敵も多かったかもね。今どきセクハラで辞任だなんて信じられないよ」
「卯月は大黒大臣を追っていたんだよね」
「ふふふ、干されたけどね。諦めちゃいないよ、だって・・・」
「だって?」
「うん、今調査中だからはっきりしたら教える」
「ちょっと、大丈夫なの?なにか大変そう」
「大丈夫だって、私の中でも混乱してるんだ。まったく整理も付かないあたふた状態なのよ」
「そうなの・・・」
ドアが勢いよく開き、秋津都が白衣のまま顔を出した。
「天野ちゃんいらっしゃい。元気そうね、テラさんのことではいろいろとありがとうね」
「都先生、今日はお招きありがとうございます」
「ちょっと待っててね、もう少ししたらテラさんの検査も済むし、私も上がれるから。自宅でデリバリーサービス頼んで、ゆっくり話ししようね。その前にちょっと、コーヒーでもと思ってね」
「私たちもいただいていいですか?」
「もちろんよ」
由宇子が嬉しそうに缶コーヒーを冷蔵庫から取り出して、都の前に置いた。
「テラさんはどうですか?」
卯月の質問に都はお手上げとばかりにぼやいた。
「異常なし、特になし、何にもなし、無し無しづくし。無し過ぎて不自然」
「不自然・・・なんですか?」
卯月は異常がなければいいのではないかと言うように、由宇子に視線を移したが、由宇子はうんうんと都に同意していた。
「そう、消えちゃっている。結果があるのに・・・原因がない。おかしい。テラさんの血管腫は完治したのではないと思う。安治さんも若狭さんも同じ。原因がないなんてありえない。短い時間に身体が変化して死に至る。長い時間患ったものが、跡形もなく消える。原因、起因する物が必ずあるはずなのに、そこにたどり着けないなんて・・・悔しいわね」
卯月は頭を傾げる都に、高千穂でのテラの様子を話すべきか迷っていた。
理屈で説明できないことは、目の当たりにしなければ現実として受け入れることができない。
あのときの不可解なテラを、都にどう説明すれば信じてもらえるだろうか。
話せば原因や治療法が分かるかもしれない。
しかし由宇子にさえ言っていないテラの秘密。
目を閉じた卯月の脳裏に、佐多成彦の顔がちらついた。
「記事にするなよ」あの男の言葉は他言無用と言っていた。
卯月にもそれの意味するところは分かっていた。
そしてあの男の持っている絵の存在が、テラの秘密を更に不可解なものにしていた。
思考があてもなく廻る中、都の携帯の緊急呼び出し音が鳴り卯月は我に返った。
「分かった。すぐ行く。2人ともゆっくりしててね。また後でね」
慌ただしく部屋を出ていく都を、2人は立ち上がり見送った。
すぐに救急車がサイレンを鳴らしながら到着したのが分かった。
まったく関係ないのに、そわそわと落ち着かない2人が座り直し、コーヒーを飲もうしたとたん、ワイドショーのMCの慌てた声が聞こえてきた。
「スクープです。国玉若彦議員が遊説中に倒れて救急搬送されました。意識がなく生死は不明です」
ガタンと立ち上がった卯月の頭の中で、国玉若彦という名前がゆっくりと膨らみ、弾けた。
「真琴ちゃん・・・」
そんな卯月を心配そうに由宇子が見上げていた。
「卯月、大丈夫?顔色悪いよ」
「うん・・・大丈夫・・・」
そのあと2人はワイドショーの情報は耳に入らずそれぞれに考え込んでいた。
しばらくして無言を持て余した由宇子が卯月に話しかけた。
「あのね、卯月、6月に教授のところに伺ったときね、伊豆野さんに会ったのよ」
「薬の結果でしょ。栄養剤だったって教授も言ってらしたね」
「そのときにね、奈穂さんの髪の毛をDNA鑑定にかけるって言ってた」
「そうか、すごいじゃない、その人。だったらテラさんもいけるかも」
「でもテラさん、髪を切っちゃってた」
「ふぅん、いつ?」
「1ヶ月前。調べれば何か手掛かりになったんじゃないかなって思うと、なんで気付かなかたのかなって。」
由宇子は肩を落としてため息をついた
「そっかぁ・・・仕方ないね、もう切っちゃったんなら」
「手掛かりね・・・」
最も多くの手掛かりを持っている佐多成彦が卯月の頭を過ぎった。卯月の情報と突き合わせればもっとはっきりするだろう。
だが、佐多成彦は・・・情報を提供するだろうか?
確かに不思議な絵を見せてくれた。でも、佐多成彦という男の目的は、絵を解読することだけではないと卯月は確信していた。
テラさんの秘密は・・・誰にも言えない。
卯月は迷いを振り払うように頭を振った。
ワイドショーは引き続き、国玉若彦の遊説の様子や、病院にかけつける妻の光りを映していた。
「ねぇ、卯月、病院ってここじゃない?都先生の急患って・・・」
「もしかしてだけど、国玉若彦議員?」
2人は同時に顔を見合わせ、頷いた。
夕方の6時前にようやく都が仕事を済ませて戻ってきた。
立ち上がり、都の顔を凝視する2人に、やれやれという顔で都が口を開いた。
「お察しの通り・・・議員です」
「それで・・・」
「亡くなったわ。というより、着いたときには亡くなっていた」
2人とも言葉がなかった。
「あまり話せないけれど、熱中症という診断を出したわ。でも・・・」
2人はテーブルに座った都の次の言葉を待った。
「救急車が到着したとき、既に意識がなく、全身が赤く、軽度の全身熱傷が確認された。そして病院に着いた時点で重度の熱傷になっていて、残念ながら死亡が確認された」
部屋に重苦しい空気が漂う中、2人は冥福を祈るように静かに項垂れた。
「摩帆留、彼女と同じなの。具合が悪くなり、意識がなくなり、軽度の火傷からあっという間に重症化して死亡。熱中症から火傷になるなんて・・・当時そのことを目の当たりにした医師たちも納得していなかった。進行性の熱傷なんて・・・」
由宇子が腕組みする都に冷たい飲み物を持ってきた。
「ありがとう・・・ところで・・・なにか食べに行く?」
都のため息交じりの問いに、2人とも返事に困り、顔を見合わせた。
「こんな気持ちじゃ美味しいものも喉を通らないわね」
「都先生、今日は失礼します。私たちもショックが強すぎて・・・」
「私も卯月と同じで、縁もゆかりもない人なんですけど、今日は静かに過ごします」
「そうだね、会ったことない人でもご冥福を祈ろうね」
2人はテラが検査を終えると、迎えに来た太力の車で帰路に着いた。
眠れない夜を持て余し、朝方ようやく浅い眠りについた由宇子だったが、首筋に違和感を感じて目覚めた。
肌の薄皮一枚下に、そわそわとしたむず痒さを感じる。
そっと擦るが触れるものは何もない。
しばらくするとむず痒さは消えたものの気になった由宇子は、起き上がって鏡で首筋を見た。
そこには薄い皮膚の下にぶつぶつと赤い発疹が透けて見えた。
「何?・・・」
昨夜、都に聞いた国玉若彦議員の発症時の状況を思い出した。
由宇子は茫然と鏡の前に立ちすくんだ。
読んでくださる皆さんのお陰で何とか非命が終わりました。
立の章 立命がスタートします。これからもよろしくお願いします。




