立の章 ~断~ 非命
そそのかす女・探目 その天敵は妻の世利
仕事を終え、事務所を出た大黒の公設秘書、探目加智子は、じめじめとした梅雨空を鬱陶しげに見上げた。
梅雨明けも近いというのに、その夜は大雨の予報が出ていた。
探目はタクシーを止めると大黒の私邸に向った。
明日の委員会に必要な書類を夕方までに届けるつもりでいたが、間が悪く夕食の直前に着いてしまった。
リビングに入ると、大黒の娘光りとその夫、国玉若彦、大黒の義弟の事代猛が、大黒を囲み雑談をしていた。
探目はつかつかと大黒に近寄り、書類を差し出した。
大黒は労をねぎらう表情で探目を食事に誘った。
「探目君、疲れているところ、わざわざすまないね。書類は書斎に置いてきてくれ。このあと何もないなら一緒にどうだい、食事はまだなんだろう」
そんな会話を聞きつけて、大黒の妻の世利がエプロンを外しながら台所から現れた。
「土屋さん、いらしたの?あら?・・・あんただったの」
世利は探目に冷ややかな視線を短く投げて、打って変わった笑顔を大黒に向けた。
「大臣、今日は家族水入らずの会食だから、余分なもの用意していないの。それに突然お誘いしても迷惑よねぇ、あんたは近いうちにね」
世利はそう言うと、今度は冷ややかな笑顔を探目に向けた。
「若彦さん、お送りして」
世利の言葉に、探目は口元に引きつった笑いを浮かべ、困った顔の大黒を見た。
「もちろんお邪魔はいたしません。書類を書斎に・・・」
言い終わらないうちに世利が口をはさんだ。
「光りさん、お預かりして」
はらはらと成り行きを見ていた光りは、世利に言われ探目の持つ書類を奪うように取り上げ、書斎に向かった。
「確かにお届けいたしました。ご家族でお楽しみください。それでは失礼いたします」
若彦は、怒りを隠して立ち去る探目を慌てて追った。
探目の後を追った若彦は、苦々しい横顔の探目から少し離れて立ち止まった。
玄関のドアの前、靴を履き終えた探目がゆっくりと振り返った。
フクロウのようにくぼんだ目が若彦を捉えた。
「若彦さん、茶徳さんのスキャンダルが掲載された週刊誌が、明日発売されるそうよ。ふん、あなたね、今回は私のお陰で事なきを得たけれど、・・・あの人の二の舞にならないようにね」
「何のことでしょうか?」
「あら?あなたの破滅のカギを握っていた人が、あんなにも都合よく交通事故で命を落とすはずがないじゃない?」
探目の目が「誰に頼んだの?これで上手くやったつもり?このままでは終わらないわよ」と言っていた。
切り返す言葉を探す若彦を、探目は嘲るように笑った。
「そうよ、隠し事は、ばれるものだから。まあ、今のところ私はあなたの味方よ」
「茶徳さんのことはあなたが仕組んだんですか?」
若彦の声は小さく震えていた。
「とんでもない。そんな、大臣にハニートラップだなんて。誤解しないでちょうだい」
「・・・もしかして僕のことも・・・」
「あなたのことはたまたま耳に入ったから、大事になる前にご忠告申し上げたまで。でも大黒大臣もあなたも、私のこと大切にしないとね。それじゃ失礼」
探目は上目遣いの気味の悪い薄ら笑いを浮かべて立ち去った。
若彦が食堂に戻ると、世利も席に着き食事を始めていた。
「土屋さんから遅くなるって連絡をいただいたわ。先に始めましょう」
待ちかねていた世利が若彦に着座を促した。
頭を下げて静かに着席した若彦に、大黒が声を掛けた。
「遅かったな。どうした?」
「茶徳国交大臣のことを話していました・・・」
「ああ、噂は事実なのか?」
「明日発売の週刊誌に載るようです」
「そうか・・・」
大黒が若彦のグラスにビールを注いだ。
「大臣・・・」
探目との関係を尋ねようとした若彦だったが、世利の視線を感じて、ビールを飲んでその場を取り繕った。
大黒と探目との関係。
探目は大黒の弱みを握っているような口ぶりだった。
そして若彦自身の弱みを掴んでいると言いたげだった。いや、言っていた。
それはない。
若彦はあの女の事故のいきさつを知らない。
誰がどんなふうに実行したのか知らされていないのだから、それを探目が知っているはずがない。
若彦にとっては面識もなく、付きまとわれていたことさえ知らなかった女が、交通事故にあったというだけのこと。
しかしその妹の鳴木目華琴のことは気にかかっていた。
深く考えずに違法治験を頼んだ女子大学生。
その女も心臓まひでこの世を去って今はいない。
若彦は自分と瓜二つの男の名前を使って付き合っていた。
調べられても鳴木目華琴との接点は出てこないはずだ。
探目が何と言おうと俺につながる証拠は何もない。
隠し通せるはずだ。
これからの俺の人生に何も影響はない。
何も知らず父親と会話をしている妻の光りに目をやると、無邪気に笑い返してきた。
若彦は軽く頷き、グラスに残ったビールを不安と一緒に飲み干した。
「おお、いい飲みっぷりだ。ほれもう1杯」
「ありがとうございます。いただきます」
大黒の妻の世利は、そんな若彦の様子に首をかしげていた。
他愛のない話をしながら食事を済ませて、一同はリビングへ移った。
世利がワインとグラスを持ってきた。
大黒はよほど機嫌がいいらしく、若彦のグラスが空になるとワインを注いだ。
「ねぇ、大臣?」
妻の世利は大黒を大臣と呼ぶ。人前では決して名前で呼ばない。
「ん?なんだ?」
「探目さんとはどういう関係?」
その言葉に、若彦の諦めていた大黒の過去への興味が一気に頭をもたげた。
若彦はワイングラスに内心を隠して、聞き耳を立てた。
「昔からの知り合いだ」
「どんな?」
「世話になった・・・恩人とも言える」
歯切れの悪い返答に、納得しない世利は畳み掛ける。
「恩人?助けてもらったの?」
「昔のことだ・・・」
「どのくらい昔?」
「君と出会う前だよ」
「そんな前なのに、まだ恩返しは終わっていないの?」
「ああ・・・」
世利の切れ長の目が大黒を刺して放さない。
その執拗さを見かねた光りが割って入った。
「世利さん、どうしたの?パパはあんな人、相手にしないわよ。秘書だから親しくするのも仕事でしょ、ね、若彦さん」
「・・・そうだ、そうだよ。世利さんは気にすることないですよ。あんな人はどうでもいいですよ、大臣との関係なんて忘れて飲み直しましょう」
突然振られた若彦は裏腹な答えをして、世利のグラスにワインを向けた。
「あの人、気に食わないの。大臣をそそのかして必要ないことさせるから」
世利はぶつぶつ言いながらグラスを若彦に差し出した。
注がれるワインを見ながら、若彦は、大黒と探目の関係がこれからの人生の切り札になると確信していた。
「本当に世利さんはパパが大好きなのね・・・」
光りがおおらかに笑った。
「そうなんだよ、世利のヤキモチはどうしようもない」
焼きもちで済ませようとする大黒をきっと睨みつけた世利に、インターホンが来客を知らせた。
「土屋さんがお見えになったみたい・・・」
と光りが大黒に目配せした。
「世利さん、お迎えして」
大黒に言われ渋々玄関へ向かう世利に、やれやれと言いながらも大黒は満更でもない顔で光りに目くばせを返した。
一方大黒邸を後にした探目は、タクシーを拾うために大通りに向かった。
途中、予報どおりに雨が降り始め、探目はバス停に駆け込んだ。
雨宿りをしている人たちが恨めしそうに降り出した空を見上げている。
腹の虫がおさまらない探目は、煙草を取り出し火をつけた。
口元まで持っていったが、冷ややかな周りの目にはっとした。
探目は素知らぬ顔で煙草を足元に落とし、ハイヒールで踏みつけた。
踏みつけながら世利の仕打ちを思い出した。
あの女、奈良の安旅館の娘のくせに何様だ。教養のかけらもないくせに、嫉妬深く、いつもいつも必要以上に嫌がらせをしてくる。
あの女は私のことをあんたと呼ぶ。今まで名前で呼ばれたことがない。今日も恥をかかされ、すごすごと帰る羽目になった。
あの女が来るまでは私邸への出入りは自由だったのに、今ではあの女の機嫌次第で入ることもできないときがある。大黒もあの女の言いなりで、頼み事もしづらくなった。
探目は腹立ちまぎれに捨てた煙草を踏みにじった。
探目の前にタクシーが止まった。
煙草は粉々になり、湿った地面に張り付いていた。
そう、あの女は大黒の秘密を知らない。
大黒は何があってもこの探目を切ることはしない。
「あの女・・・いつかこうしてやる」
探目はふふっと笑いながらタクシーに乗り込んだ。
ようやく投稿できました。非命も終わりに近づきました。
今後もよろしくお願いします。




